第八十話 マテライトへの出発
「この二人を大会に出すと言うのかい?」
若干嗄れた声でエイダが問い返した。眇めた顔で目の前の来訪者を一瞥する。
「えぇまぁ、急遽そんな話になったみたいで。それで出来れば直ぐにでもお二人をマテライトまで連れて行かなければいけなくなってしまったんですよぉ」
水晶に映る来訪者の顔がぐにゃりと歪んだ。苦笑して困った顔を見せる彼の自信のなさは相変わらずだ。
「だそうだが二人共どうするね?」
エイダが視線を走らせバレットと風真に問いかける。とは言っても少くとも一人は確実に乗り気であるが。
「随分と面白そうな話じゃねぇか。全くここんとこ退屈で身体も訛ってしかたなかったからな」
立ったままの姿勢でこきこきと首を鳴らす。正面で腕を組むその姿は相変わらずの風格だ。
「あのバレットさんもOKですか?」
「そうだねぇ」
バレットは横目で風真をみやる。やる気はまんまんなのか鼻息も荒く感じられた。
だがそれも仕方ないかとバレットはここ三、四日程の事を思い返す。
オーク王との出来事が終わり、ダグンダの街に戻ってきた二人ではあったが、それから暫くはトロンとの約束もあり連絡が来るまで街での待機を余儀なくされた。
その間の風真は終始退屈そうであった。バレットに関しては持ち前の気楽さでのんびり街を回ったりしていたが、風真に関しては食べ物以外には特に興味が無いようで、一日も経てば暇を持て余すようになっていた。
とは言え、二人は一応拐われた人々を救った人物と言う事もあり、今となってはちょっとした英雄扱いであった。二人が歩けば自然と人々も集まり色々質問もしてくる。
それらにバレットは上手く対応(特に女性には)していたが、風真にとってはそれもまたうざったく感じられたようであり――
「シンバルさん。お茶、どうぞ」
トレイにカップを人数分乗せて、リディアが三階から姿を現した。
現在メルクール家の一階は、風真とバレットの寝床として提供してもらっている。最初に出会った日は宿をとって貰ったが流石に何日もとなるとそこまではしてられないと、少しの間厄介になる事になったのだ。
「ありがとうリディアちゃん」
そう言ってシンバルがティーカップを受け取った。この数日でシンバルは何度かここに姿を見せていた。勿論それは風真とバレット二人のお目付け役を任されたからに他ならないのだが、その感リディアが――様と言うのは止めてほしいと願い入れ結果今の形に落ち着いた。おかげで少しは打ち解けているようにも感じられる。
「で? 今日は何の話をしていたの?」
「いやぁ、なんでもオイラ達に生誕祭というので行われる武闘大会に出て欲しいって話みたいなのさぁ」
リディアが両眼を皿にさせた。
「えぇ! 武闘大会って確か随分久しぶりに開かれるって事で話題になってたイベントよね? それに二人が?」
「全く随分急な話だよ」
白い陶器製のカップを口に付け、エイダが紅茶を一口啜る。
「でも何で今になって? 出場者はもう選考されて決まっていたんじゃなかったの?」
「それが急に二人欠場が出たんですよ」
リディアの質問にシンバルが答えた。
「それでオイラ達に白羽の矢が立ったってわけね」
バレットは金色の眉を広げ肩を竦めてみせる。
「それで、風真は……聞くまでもないか」
「あたりめぇだ。そんな面白そうなの出るなと言われても押しかけるぜ」
風真の返事に呆れ顔のリディア。そのままバレットの方へ振り返り、
「やっぱり一緒に出るの?」
と問いかけた。
「う~ん。オイラは気が進まないねぇ。それはどうしても出ないとダメなのかい?」
「え!?」
と素っ頓狂な声を上げるシンバル。予想だにしてなかったという反応だ。
「いや。その、出来れば」
急にまごまごしだし、いつものはっきりしない様相を見せる。
「バレットが参加しないと何か問題あるの?」
とリディア。
「てか何でお前出ねぇんだよ。その腰にぶら下げてるもんは飾りってわけじゃないんだろ?」
「う~ん、おいらこう見えてあがり症だからねぇ。そんな大勢の前で戦うなんて恥ずかしくてとてもとても」
相変わらずの軽い感じでおちゃらけて見せると、けっ、と風真が唇を歪めた。
「それに、もしかしたら旦那と試合でぶつかる可能性もあるんだろ? オイラそんなおっとろしいこと考えたくも無いさぁ」
バレットは両肩を抱え震えて見せる。
「チッ、まぁやる気の無い奴とやっても面白くねぇしな」
舌打ち混じりに風真が小指で耳をほじくった。
「いや、でも参ったなぁ。どうしても出たくないですか? あの、例え出るにしても出ないにしてもマテライトまでは来てもらう事になると思うんですが……」
シンバルが訴えるような視線をぶつけてくる。
「それは問題ないさぁ。それに試合を見るのは楽しそうだしねぇ」
バレットの返事に、まるで上からオークの巨体にでも押し潰されたが如く、シンバルがずんと肩を落とした。
その姿を見ると若干忍びない気持ちにもなるバレットだが、それでもやはり大会に出るつもりにはなれない。
それは彼の持つ武器にも理由がある。大会ともなれば弾丸をどうするかという問題が出てくるからだ。
そもそも銃の扱いに関しても色々問いつめられる恐れがある。
「……なぁシンバル」
バレットがそんな事を考えていると、静かに紅茶を啜り、エイダが言葉を続けた。
「その大会の参加者として推薦したい人物がいるんだが、私の頼みって事でその一枠に加えて貰うことは可能かい?」
勢いよくシンバルが顔を上げた。
「え? いや確認してみる必要があるとは思いますが、でもエイダ様の推薦なら恐らく問題は無いと思いますよ!」
その表情に明かりが灯る。
「へぇ~、お婆ちゃんがねぇ。一体どんな人なの? やっぱり相当な使い手の魔術師だったり――」
「推薦するのはリディアあんただよ」
孫の話を最後まで聞くことなく、エイダがあっさり言い放った。
「へぇ~、そっかぁ私なんだ~。へ、へえ、えぇえええぇええええ!」
身体全体を使って驚きの声を上げる赤髪の少女。その左右に纏められた紅の尻尾が大きく上下する。
◇◆◇
「あ~緊張する」
馬車の前ではリディアが深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとしている。
メルクール家でのエイダの発言により戸惑いを隠しきれないリディアであったが、シンバルがマテライトに連絡をとり、話はトントン拍子に進んでいった。
バレットが試合に参加しない事は、かなり残念がられたそうであるが、代わりに参加するのがエイダの孫と言う事で、それならば問題ないだろうという話になったようだ。
「よし……がんばるぞ!」
最初は不安がっていたリディアであったが、
「そろそろ魔術の腕を磨くのにいい頃あいさね。勝ち負けを気にせずがんばるんだよ。あんたが私の血を引いてる以上素質は間違いなくあるんだから」
と言うエイダの言葉に触発されやる気を出したようであった。
バレットの正面でリディアが、うんっ――と伸びをした。羽織られたオレンジ色のジャケットに太陽の光をめいいっぱい染み込ませている。半袖から伸びた白い腕、動きやすいという理由で履いてきたというショートパンツから魅せる両足。それらがとても健康的に見え溌剌な印象に拍車が掛かっている。そして腰には、以前エイダ救出に向かう際に下げていたウェストバックがしっかり装着されていた。中にはエイダからの推薦状も入っているらしい。
「今更こんな事をいうのも何なのですがリディアさん大丈夫なのでしょうか?」
バレットの横に付き、シンバルがそっと耳打ちしてきた。その横ではドラムが仏頂面を浮かべながら風真やリディアに視線を走らせている。
「まぁエイダの言うことだからね」
苦笑混じりに返す。シンバルが心配するのも判る気はした。彼は森でリディアの魔術の腕を目の当たりにしている。あれを見ているから、エイダの素質があるという言葉が信じられないという思いなのだろう。
ただ、勿論その事は向こう方には告げてはいないようだ。余計な事を言ってエイダの気を損ねたらまずいと思っているのかもしれない。それに大会の人数が揃わないというような事はどうしても避けたいというのもあるのだろう。
「しかしよぉ、場合によっては俺がこいつとやり合う可能性もあるって事か」
風真の言葉にシンバルが目を見開き驚きの表情を浮かべた。その事をあまり考えていなかったのだろう。
「リ、リディアちゃん。今更こういうことを言うのも何だけど考え直すなら今だよ?」
心配そうな顔でそんな事を言う。
「あはは、大丈夫ですよ。まぁもしそうなっても私の魔術でちょちょちょいって片付けちゃいますから」
リディアは吹っ切れたのか明るくガッツポーズをとった。
「へぇ、いい度胸してんじゃねぇか」
威圧感のある声で睨みを訊かせる風真。こういう所は大人気ないなとバレットは思う。
「おい、こいつが暴走しないようにしっかり見ておけよ」
ドラムがシンバルに向けてそんな事を言った。バレットが改めてドラムの姿をみやる。彼が件の森で受けた怪我は見た感じ見事に完治していた。かなり手酷い傷を負っていた筈なのだが、医療魔術という物の治療を施された事により一ミリの傷をも残していない。
全く大したものだとバレットは感心した。ちなみにドラムが治療を受ける際、一緒に手当を受けるよう勧められた風真だったが、そんなもの必要ねぇ、と一蹴していた。おかげで着物の隙間から深い傷跡が覗き見える。が、本人曰く戦での傷は武士の勲章らしい。
「そろそろ出発させていいかい?」
馬車の影からナムルが姿を現した。
「あ、はいお願いします」
シンバルがぺこぺこと頭を上下させる。
「お婆ちゃんは一緒にいかないの?」
リディアの目の前には見送りに来ていたエイダが立っていた。背筋はしっかり伸びている。どうやら腰はすっかり良いようだ。
「私は後から行くよ。生誕祭が始まってからになるかね。試合の時はしっかり観戦させて貰うさ」
エイダがそう言い終えると、その横から獣耳の少女が飛び出し風真とバレットに声を掛けた。シェリーである。街中で大会の話を聞きつけたようで、三人の事を見送りにきてくれていたのだ。
「皆さん、頑張って下さいね!」
「おう。全員纏めてぶっ飛ばしてきてやるよ」
風真の言い方はかなり物騒だが、シェリーの頭を撫でる表情がどこか穏やかでもある。
「でもバレットさんは出ないんですね。残念だなぁ」
「こいつは怖気づいたらしいからな」
尖った視線を向けて来る風真に、ガンマンは首を竦めてみせる。
「それではそろそろ出発しますから皆さん乗り込んで下さい~」
シンバルが手を大きく振って全員に声を掛ける。車内にはまず風真が乗り込み、リディア、バレットと後に続く。
「何か暫くドラムさんに任せっきりになってしまうみたいでごめんなさい」
「おお。お前もあんまりびくびくしてないでしっかりやれよ」
最後に馬車に乗り込んだシンバルへ労いのような言葉をかけるドラム。
「は、はい何とか頑張ります」
と、言う彼の姿はまだどこか頼りなさげに感じるが、何はともあれ一行を乗せた馬車は首都マテライトに向けて走り出した。
彼等を乗せた馬車が速度を徐々に上げていく。見送りに来ていた人々の姿も段々と小さくなりそして見えなくなった。街を抜け平原の街道を馬車が駆ける。頭上には雲一つない抜けるような青空が広がっていた。
「この空みたいに何の問題も起きなきゃいいんだけどねえ」
「え? バレット何か言った?」
独りごちるバレットに問いかけるリディア。だが、いや別になんでもないさぁ、と何時も通りの笑みでバレットは返すのだった――