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第七十三話 黙って寝てろ

 その脚を雷人が止めた瞬間。周囲に激しい土煙が舞い上がった。


 忽然と姿を現した雷人に近くの射手が一瞬驚きの表情を見せるが、無防備な姿勢で背中を見せる雷人を格好の的と判断したのか矢を弦に番え大木の影から飛び出す。


 今だ動きを見せない雷人に対し、片側の口角を吊り上げ射手はその首元へ狙いを定め番えていた指を離した。


 狙い通り直進する矢を見つめながら恐らく射手は仕留めた――と確信していた事だろう。


 だが今正しく矢弾が雷人の首を貫こうとした瞬間――表情も変えず射手にも矢にさえも目を向けることもないまま、まるで風にそよぐ柳のような動きでソレを躱したのである。


 驚きのあまり瞳を見開く射手。だがもう止まることは出来ない。男は横に疾走を続けながらも次の矢を尻籠から抜き弦に番えようとする。

 その時、雷人の頭が巡り、一瞬互いの目と目があった。


 刹那――


 横走りしていた筈の射手の身が後方にそびえ立っていた巨木に勢いよく叩きつけられた。

 あまりに唐突の出来事で弓矢を構えたまま男は目を白黒させる。その為、痛みを感じるのも遅れたのだろう。


 唐突に感じた違和感で射手の男が己の胸を見た。銀色の刃が深々と減り込んでいる。


「あ――がっ――」


 声にならない声で男は雷人の背中に爪を突き立てる。が、それが最後の抵抗であった。事切れたその身はまるで糸の切れた人形のように頭と両の手足をだらりと垂れ下げる。


 男の死を確認し雷人は踵を返し林の中を更に疾走した。


 敵はまだ近くにいる。豊田と荷を護衛しながらも雷人は淀みなく繰り出される矢弾をしっかりと見据え、敵の配置を掴みきっていた。恐らくは先に林へ入っていった男達より正確に。


 程なくして雷人は二人目の獲物を発見した。射手は樹木の影から半身だけ乗り出し、今正しく矢弾を繰り出そうといている所であった。


 雷人は疾走しながら、わざと枝と身体の触れ合う音を奏で、敢えて相手に自己の存在を気付かせる。怒涛の勢いで迫りくる雷人の姿を捉えた瞬間男の顔が恐怖でひきつっていた。


 その姿は虎か狼か、肉食獣の牙が今まさに己が喉元に食いつこうとしているのだ。


「ひぃっ!」


 それはあまりに情けない響きであった。仮にも常に死と隣り合わせの戦場にそぐわない声音。男はほぼ条件反射で雷人目がけその矢を放った。だがそのような物が彼に命中する筈もなく首を少し振るだけで矢は雷人の後方を突き抜けていった。そしてその瞬間射手の死は決まっていた。


 男の肌を風と影が通り過ぎた。痛みすら感じる暇もなく男の首筋が大口を広げた。鮮血が花弁のようにはらはらと宙を舞うとその身は地面に崩れた。きっと辺りに生い茂る草木の良い肥やしとなる事だろう。


 雷人は脚を止めなかった。立木と草々に支配されるその地で五感を研ぎ澄ませ獲物を追う。


 ふと視線の先に俯せに倒れる男の姿。雷人はその横でようやく脚を止めた。男は既に事切れていた。先に入った護衛の男だ。


 雷人にとっては予想通りではあった。しかし遺棄された仏を只無視するのは忍びなかったのか、雷人は軽く屈みこみ両の手を合わせた。


 弦を引く音が聞こえた。地上では無い。上方からだ。盗賊の一人が梢から雷人を弓で狙っていたのだ。弦を目一杯まで引き、絶対の自信からか軽くほくそ笑んでいるのが見て取れた。


「悪いがちょっと拝借するぜ」


 雷人が一人呟き、直後、その右腕がしなるように振るわれた。


「へっ?」


 梢に潜んでいた男から間の抜けた声が漏れた。額には何時の間にか刀の柄が引っ付いていた。後頭部からはおまけとして鉄の刃が突き出ている。


 思わず引き抜こうと男は右手で柄を掴みにかかるが、その願い虚しく掌は空を切り男は力なく地面へ落下した。


「これで少しは報われたかい?」


 静かに眠る彼に向けて雷人はそう小声で語りかけた――。


 




◇◆◇


 朝倉を相手にしながら大牙は林に目を向けた。訝しげな表情が垣間見える。

 何かがおかしい事に感づき始めたのかもしれない。


「よそ見をしている間など無いぞ!」


 叫び朝倉が大牙を上から下へ切り付けた。身体を捻り躱す大牙。だが頬に僅かな傷が付く。完全には躱しきれなかったのだ。


「どうした? この程度も見切れぬようじゃこの先到底勝ち目は無いぞ?」


 微笑を浮かべ言い放たれた朝倉の言葉に大牙が、

「ちっ――」

と舌打ちで返す。


 だが大牙は感じていた。相対する朝倉よりも底知れぬ何かの気配を――






◇◆◇


「これで七人か――」


 面前で倒れる遺骸を見下ろし雷人が呟く。


「これで残りは――一人」


 誰にともなく言葉を加え雷人は更に駆けた。事前に掴んでいた情報、音、そして風にのって漂う匂い。それらがすべて獲物の位置を指し示している。


「こいつは――?」


 再び地に伏せた骸を見つけ雷人は脚を止める。鎖鎌を片手に絶命している猿顔の男。だが少しだけ妙に感じる事があった。


 その時、草木が揺れた。今度は手を合わせる暇もなく少し離れた木と木の間から射手が飛び出して来たのである。


 弓は既に引かれていた。だが相手が一人であれば雷人に取ってそれほど怖いものではない。

 掛けられた指が離され矢弾が一直線に突き進む。その時、男の表情が醜く歪んだ。


 雷人は気が付いた。男は雷人の事を見ていない事に。視線はその更に後方に向けられているのだ。


 刹那――小さな影が背後の樹木の隙間から飛び出してきたのだ。刀を大きく振り上げ雷人の背中を斬りにかかる。


 前方には矢弾。後方からは迫る刃。絶妙な間で二つの牙が雷人へ襲いかかる。


「な!?」


 思わず前方の射手が両眼を大きく見開いた。男の耳朶に触れる金属音。だが刃でどちらかを凌いた所で逆の一手は防げない。男はそう考えていた、が、その双眸に映るは左手で矢竹を掴み右手に握られた刀で後方からの刃を受け止める雷人の姿。


「くそっ、神雷!」


 射手が叫び、同時に弦に矢を番える。再度射撃を繰り出すつもりだ。射手の声を聞き受け神雷と呼ばれた少年も後方に飛び刀を正面に構えなおす。再び挟み打ちを行うつもりなのであろう。だが――


「ちっ――」


 舌打ちするとほぼ同時に雷人が深く腰を落とし脚を前に踏み込んだ。あまりの素早さに神雷は一瞬雷人の姿が消えたかのような錯覚に陥った事だろう。若干の間を置いてようやく神雷の視線が下に向けられたが既に遅し、雷人は刀を抜く勢いに任せてその鳩尾に柄を叩きつけた。


 あまりの衝撃に神雷の口は極限まで広げられ、その身は前のめりに雷人へもたれ掛かる。そしてそのまま少年の意識は飛んだ。


「子供は黙って寝てろ――」


 雷人はそう静かに呟くと、もたれかかる少年から離れ、後方から迫ってきていた矢弾を振り返るど同時に難無く叩き切った。


「ち、畜生、畜生!」


 上下の歯をガチガチと鳴らしながら男は無我夢中で尻籠から矢を抜き取る。


「悪いが――」


 矢を番えるより早くソコに鬼がいた。両手に握られている刀の尾に垣間見える金色はまるで死を運ぶ常世の光。


「お前さんには、容赦しないぜ」


 宣告と共に刃が左脇から右肩に掛けて振り抜かれた。多量の鮮血が上空に舞い上がり雷人の身体へ降り注ぐ。


「これで、ここは終わりだな」


 誰にともなく声を発し、雷人は少年の姿をみやった。倒れたままの状態を保っている。しばらく目覚めることは無い筈だ――


 そう思いながら雷人は猿顔の男の前でも両手を合わせ、そして再び駆け出した。





「――遅かったか」


 林を抜け、眼前で横たわる巨大な骸を眺めながら雷人が呟くように言った。


 身体全体を無数の矢に包まれたあの巨漢の男。だが致命傷は寧ろ下腹部を数箇所差し貫かれている事が原因であろう。


 男の周りには他にも遺骸が転がっていた。只では殺られまいと思ったのか三人は道連れにしたらしい。その内の一人は彼の巨大な掌で頭を握りつぶされていた。その光景だけでもこの戦いの壮絶さが伝わってくる。


 雷人が素早く頭を巡らすと荷台を守るように総髪の男が刀を構え身構えていた。面前には盗賊の三人が獲物を構え総髪の男との距離を詰めている。


 正しく絶体絶命と言える状況下でも護衛としての努めを果たそうとするその気概は見事なものである。


 しかし後ろから、

「こっちは高い銭はろうとんのになんてざまや! しっかりせんかい! 命に変えてもそれ以上そいつらを近づけるなよ!」

と喚く豊田の愚挙ぶりは見るからに愚劣の極みである。


「おい――」


 雷人は盗賊たちの背中を見つめながらそう声を掛けた。三人の内二人が声のする方へ振り向き両の眉を大きく寄せた。


「ちっ! まだ一人居やがったか!」


「小癪な!」


 声を沸らせ、二人が同時に刀を振り上げる。が、

「遅せぇよ――」

と雷人が囁くのと同時に既に刃は鞘に収まっていた。


「おいどうした? さっさと片付けちまえよ!」


 三人の残りの一人がちらりと様子を窺い声を掛けた。


 だが二人はゆっくりと首だけを回し、

「あ”……あ”」

と言葉にならない声だけを最後に言い残し腹部から大量の血飛沫を噴き上げ朽ちていった。


 あまりの事に総髪の男は言葉も出なかった。半ば呆然と口を広げる総髪の男へ、

「残りは、頼んだぜ」

と雷人が声を掛ける。


 その言葉で総髪の男は平静を取り戻した。まだ終わりではない。一人残っているのだ。


 総髪の男はこくりと軽く頷いた。


 雷人は微笑を浮かべながら苦々しい表情で骸と化した仲間を交互にみやる男を他所に馬車の反対側へ向け脚を早めた――

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