第七十二話 乱戦
馬車の後方では、巨漢の男が現れた賊の群れをその双眸で舐め回すようにみやり、徐に背中の棍棒を取り出し右手で握り締め肩に掛ける。
「ふん! そうこなくちゃ面白くないぜ!」
鼻息荒く一人そう叫ぶと、前方の先ほどの護衛が言葉を引き継ぐように、
「数だけ揃えたところで所詮烏合の衆よ。我らの敵ではないわ」
と威勢良く述べた。
馬車の脇では豊田と馬子が肩を寄せあい固唾を飲んで見守っている。
「ふむ――確かに俺らは所詮数を揃えるしか脳のない、ケチな牙という盗賊さ。まぁ俺はそんな中でも一応は野郎共をまとめてる大牙と言うんだがね」
顎を摩りながら盗賊の頭、大牙が言う。
するとその言葉に何名かの身がぴくりと反応し、
「成程こいつらがあの牙か」
と朝倉も呟いた。
「ふん成程な。っで? まぁ聞くまでもないかもしれないが、その盗賊さんがこんな所まで態々何用で?」
護衛の男は少々コケにするような感じで言葉を吐いた。
「なぁに、盗賊のやることなんぜ昔っから決まりきっている。人様の物を強奪するのが目的さ。悪いがそれが俺らの仕事なんでね。っで今回はその荷をちょっくら貰い受けようって魂胆なのさ」
堂々とした口調で述べ、荷台に向かって指を突きつける大牙。
「っで、まぁ無駄だと思うが大人しく荷を置いていく気はあるかい?」
「ふざけるな!」
紡ぐ大牙の言葉へ、にべもなく正面の男が吠えた。
「誰が貴様ら不逞の輩の言うことなど聞くものか! 返り討ちにしてくれる!」
正面の男の言葉に誰一人反論するものはいなかった。
豊田に関しては、
「いいぞ! 高い銭払ってんや! 死ぬ気で荷を守れよ!」
と必死に馬車の影に隠れながら勝手なことを言っている。
とはいえ、残ってるものではこの場から逃げよう等と考えるものが一人もいないのも事実であろう。皆それほど己の腕に自信のあるものばかりだ。
「そう来ると思ったぜ」
大牙が口角を吊り上げいやらしい笑みを浮かべる。
「随分と余裕を持ってるようだが、たかが前後を挟み撃ちにしたぐらいで調子に乗っているなら大間違いだぞ」
前方の護衛三名がきつく大牙達を睨みつける。
「前後ねぇ……」
再び顎を擦り意味深気に大牙が呟く。
「違うな――」
雷人が鋭い眼光を宿らせる。
「流石だな。気付いたか」
朝倉も同じように瞳を尖らせ言葉を返した。
「さてと、そろそろ――」
言って大牙が野太刀の柄に手を掛けた。その動きに合わせるように護衛の男達も身構え出す。
「かかれぇ野郎ども!」
大牙の号令と共に鬨の声が上がる。その瞬間――
「気を付けろ! 横からも来るぞ!」
と朝倉が吠え上げる。
――刹那。
無数の矢弾が再び林の中から護衛目がけ突き進んでくる。
護衛達の意識が瞬時に迫り来る矢の大群に奪われた。先程と同じようにその全ては彼らの手で弾き落とされるが、矢弾の射出が終わると同時に迫り来る盗賊達への反応が若干遅れてしまう。
「雷人! ここは任せたぞ!」
言うが早いか朝倉が前方に出来た群れに飛び込んでいった。
「あ、おい!」
と雷人が声を掛けるが最早動きは止まりそうも無い。
「おい! お前! わしと荷をしっかり守れよ!」
後ろではうるさい狸が吠え立てる。雷人はやれやれと頭髪を掻きむしった。
瞬時に戦場へと成り代わったその地に、得物と得物のぶつかり合う音が響き渡る。
敵味方入り乱れての攻防戦は、各自の腕前だけ見れば、豊田陣に分があるようにも見受けられた。
事実、飛び出した朝倉は敵方とすれ違いざまに一人切り裂いた。それこそ目にも止まらぬ早業で。
後方ではあの巨漢が手にした棍棒を派手に振り回し敵が近くまで寄れない程である。
だが、しかし、ここで思わぬ障害になったのは、林の中から撃たれる矢弾であった。
林の中に潜む伏兵はかなりの手練なのか、敵見方が入り交じって戦いを繰り広げる中、豊田側の陣営目がけ高精度で狙いを付けてくる。
本来なら雷人も戦闘に加わりたい所なのだろうが、狙いは豊田の方にも定められているらしく幾本の矢が間隔を開け射出されてくる。
勿論それらは全て雷人の刀で弾き飛ばされるてるわけだが。
「おい! 絶対ここから離れるなよ! わいと荷物を守り通せよ!」
と後ろの狸が騒ぎ立てる為動くに動けなかった。
雷人はとりあえずは戦況を確認しようと首を巡らす。
前方では朝倉が更に相手一人を切り伏せた所だった。だが休む間もなく別の一人が前方から朝倉に近づき、更に横からも小さな影が迫った。
朝倉は咄嗟に影を刀で払い、同時に斬りかかった敵の刃を流れるような動きで受け止める。
暫しの鍔迫り合いが続く中、朝倉の前方左側。林に近いほうの位置では髷を結わえた護衛の一人が敵の一人を討ち取った所であった。
肩で息を切らし屍を見下ろす髷の男。
朝倉はその男へと視線を送る。すると男も気付いたようで朝倉の方へと瞳を向ける。
朝倉は鍔迫り合いを続けながら僅かに林の方へと顎を突いた。その意味を理解したのか髷の男が軽く頷き林の中へと入っていく。
すると後方で敵一人の首を鎌で掻き切った猿顔の男が後に続くように林の中へと駆けていく。
林の中から放たれる矢弾はそれだけ厄介であった。斬り合いの最中正確に射られるソレにまで気を回さねばいけないのは、かなりの精神をすり減らし身体の疲れもます。
出来るだけ早く伏兵は片付けなば行かないだろう――
◇◆◇
林の中に飛び込んだ猿顔の男は首を左右に巡らし弓兵を探した。勿論何の根拠もなく飛び込んで来たわけではない。矢の射出位置と角度で大まかな位置は掴んでいるつもりであった。
「いた!?」
思わず男が呟いた。大木の影に隠れる様にして一人の弓兵が尻籠から矢を取り出し玄に番えている。
猿顔の男は口角を吊り上げた。獲物を狙う瞳でそっと近づき、狙いを定める弓兵の袂へ鎖分銅を投げつける。
狙い通り鎖は弓兵の腕に巻き付いた。猿顔の男は巻き付くと同時に鎖を引き、相手の動きを阻害する。
その時になってようやく相手が猿顔の男に顔を向けた。
「今更気付いてももう遅いさ」
猿顔の男は呟きながら鎖をたぐり寄せるようにして徐々に間合いを詰めていく。
すると弓兵の男が嫌らしく唇を歪め、巻き付いた腕と逆の方の手で鎖を掴み勢いよく引っ張り始める。
その行動により猿顔の男が姿勢を崩しかけるが、
「こしゃくな!」
と叫びながら体勢を立て直し、同じように強く引っ張る。身体は小さくても腕力には自信があるようだ。お互いの力は均等し鎖がピンと直線上に張られる。
しかしその瞬間。猿顔の男の腰上から胸部にかけて鋼の刃が貫いた。男の表情は歪み、口内からごぼごぼと血潮が溢れ出す。
猿顔の男は首を巡らせ背中側を見下ろした。
そこには一人の少年の姿。刀の柄を両手でしっかりと握り締め男の背中に刃を突き刺す少年の姿だ。
「ち――くしょおぉ」
呻きの混じった声が少年の耳に届く。
少年は躊躇うこと無く刃を寝かせ一気に刃を引き抜いた。男は力なく跪き、そのまま大地へと崩れ落ちる。そしてもう二度と立ち上がることは無い。
「ありがとうな神雷」
腕の鎖を解きながら弓兵の男が言った。
すると神雷は軽く頷き、そして踵を返し反対側へと駆けていった――
◇◆◇
「全く何をあいつらやっておるんだ! あんな盗賊共などさっさと片付けてしまわんかい!」
すっかり高みの見物を決め込みながら豊田ががなり声をあげた。
その様子に雷人も辟易とした表情を浮かべる。
馬車の前方では朝倉が二人目も見事に斬り殺し三人目を相手にしているところであった。
朝倉から少し離れた位置では残りの二名がそれぞれ一人ずつを相手に刀を交えている。
この面子では朝倉の実力は他よりも抜きん出ていた。それは転がる骸の数からみても窺える。
勿論他の男達も決して弱いと言うわけでは無いのだが、朝倉に比べれば大分盗賊たちに手こずっているようだ。
やはり林の中から執拗に矢で狙い撃ちされるのは精神的にも応えるのだろう。
各自の表情には疲れの色も見え始めてきていた。
雷人は相変わらず煩い豊田の傍で荷と狸の番をしているが、心情的にはいつ繰り出そうかといった面持ちで戦況を眺めている。
熾烈を極める戦いの最中、馬車の前方の戦いに変化があった。
護衛三人の内の一人が敵を切り伏せると同時に少し遠目から戦いを眺め続けていた牙の頭、大牙目がけ駆け出したのだ。
大牙は野太刀の柄に手を掛けたままの状態であった。太刀の尺は雷人の持つ長物に勝るとも劣らず、その上、通常の倍以上ある幅広の刃は圧倒的な存在感を示している。
だが、だからこそ鞘に収まった状態では抜くのが容易ではなく咄嗟の一撃に対応出来ない筈と踏んだのだろう。
とはいえ、これだけの数の盗賊をまとめ上げる頭が、豊田のように何の考えもなくただ威張っているだけの男であろうわけが無い。
大牙は近付いて来た男を一瞬見下ろすと、荒々しい掛け声と同時にその豪腕を振るった。
その瞬間、既に男の首から上は消失していた。そして暫しの間の後、空中に赤い帯を残しながら歪な形状のまりが一つ地面に落下する。
恐らくは一瞬の出来事に男は痛みすら感じなかったであろう。
大牙の放った居合のような斬撃には雷人も思わず目を丸くさせる。
「次はてめぇか」
大牙が頭を巡らすとそこには三人目を切り伏せたばかりの朝倉の姿。
「なるほど。てめぇはちょっとはやるようだな」
右肩に野太刀を乗せ、左手で顎を摩りながら大牙が朝倉へ言葉を投げかける。
「あんたも相当やるようだな。今のは居合か? 盗賊風情がそんな技術を持ってるなんて少々驚いたぞ」
朝倉の言葉に大牙は目を丸くさせ、
「居合? 俺はそんな高尚な技使っちゃいねぇよ。ただこれを振っただけさ」
そう言って大牙は肩に乗せていた太刀を片手で振って見せる。
恐らくかなりの重量があるであろうソレを、片手で軽々と振ってみせる豪腕には目を見張るものがあった。
どうやら大牙の言うように先ほどの一撃は只力任せに太刀をふるっただけらしい。しかしその事が逆に朝倉には空恐ろしかった。
「流石にこのままじゃまずいか――」
誰にともなく雷人が言葉を口にした。
朝倉と大牙が対峙する中、馬車の後方ではより厳しい戦いが繰り広げられていたのだ。
後方では既に護衛の一人は首に矢を受け倒れ、残ったのは総髪の男と巨漢の二人のみであった。
巨漢の男は必死に得物を振り回し応戦するのだが、矢継ぎ早に射出される矢弾を身体中に受け見た目はまるで巨大な山荒らしのようだ。
さすがにこれだけの矢尻を身体に受けると巨漢の男から余裕の笑みは消え、顔中から脂汗を吹き出し苦渋の表情を醸し出していた。
その少し後ろでは総髪の男も二人を相手に立ち回っている。倒れることなく二人の敵を同時に相手しているのは賞賛に値するが戦況が芳しくないのは確かであろう。
雷人が林の中を睨みつけながら、
「悪いが出るぜ」
と後ろに聞こえるように言い放った。
「で……出るっておま! 何を言ってるんや! わいらと荷物はどうなる!」
振り向くことなく雷人はやれやれと髪を掻き毟った。
「あんたらはそこでじっと黙っていれば暫くは大丈夫だろうさ。荷だって弓矢ぐらいでどうなるもんじゃないだろ? とにかく林の中の奴を片付けないとじり貧になる一方だ」
「しかしお前! 第一林にはさっき向かった奴がおるだろうが!」
「あいつらは恐らくもう殺られてるよ。とにかく四の五の言ってる暇はねぇ。あんたらはそこを動くな!」
そう言い残し、雷人が力強く大地を蹴り飛ばす。
「お! おい待――」
豊田が声を掛ける間もなく既に雷人の姿はそこには無く、ただあんぐりと口を広げる豊田と馬子が荷台の後ろで呆然と立ち尽くしていた――