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第七十一話 護衛

 男が見上げると、上空を鳶が弧を描くように飛んでいた。目の前に広がる青空からは軽快な鳴き声が大地に向けて振りそそぐ。


 季節は既に神無月。だが今日この日は晴天に恵まれ太陽から照らされる日差しも暖かだ。

 

 そんな和やかな空を眺めながら、ゆらりゆらりと揺れる馬車の荷台に腰掛けていた男が大きく伸びをした。


 草木の生い茂る道を馬車はゆっくりと進んでいく。


「おい、いい加減そこから降りないと豊田様にどやされるぞ」


 この陽気に絆されて、両眼を瞑りついうとうとしかける荷台の男を睨みながら総髪の男が促すように言った。


 すると荷台の男は片目だけ開き、大口広げふぁ~っと欠伸してみせる。


「全くなんて奴だ」


 男の態度に髪を後ろで縛り上げた総髪の男が眉を顰める。


「豊田の旦那も物好きだよな。なんだってこんな男を雇ったんだか」


 総髪の男に更にぞろりと続く集団の一人が野太い声で口をはさんだ。

 着物に収まりきらない腹が外にはみ出た男だ、顔は随分と角張っていて厳つい感じである。全体で見ればこの集団の中でも一番体格が良い。


 だが、顕になった腹はまるで甲羅のような形容で覆われており只のでぶでは無いことも見て取れる。今連なっている者たちは大抵は腰に刀を差し持つ男が殆どだが、この大男は背中に人を食うと噂される鬼が持つような鉄の棍棒を布でたすき掛けにしてしょい歩いている為、全体でもかなり目立つ存在だ。


「あんた、名と流派はなんだったかなぁ?」


 今度は背のちびっこい猿顔の者が男へ問いかけた。大男とは対照的に集団では最も小さく、彼もまた刀は持たず代わりに鎖鎌をその身に巻きつけている。


「雷人。風雷流」


 男は名と流派をいかにも面倒だといった感じでぶっきらぼうに答えた。


「だってよ。誰かそんな流派聞いたことあるかい?」


 太めの男が全員に聞こえるように問いかけると、

「さぁ聞いた事ねぇなぁ」

「風来坊の間違いじゃねぇのかい?」

と周りの連中が小馬鹿にしたように述べ大笑いした。


「おいお前たち何を騒いで……あぁ! お前勝手に荷台になんて乗っかりおって! はよどかんか無礼者!」


 上等な身なりをした男が声を荒げた。小太りで背の低いこの男が全員の雇い主【豊田 州阿久】その人である。


「へいへい申し訳ありませんっと」


 雷人は耳をかっぽじりながら荷台から地面に降り立った。五尺八寸《約174cm》ある長身で、面子の中では後ろを歩く腹の出た男に次いで大きい。


 そんな雷人の姿を周りの者がにやにやしながら眺めていた。


「全く持っている業物だけは偉く立派なもんだ」


「だがよぉ、とんだはったりだぜ。あんな長い得物。どうやって扱うってんだ」


「まぁ、多方報酬に釣られてやってきた口だろうがはったりだけじゃ護衛は務まらねぇぜ」


 後ろの数人から口々にそんな嫌味混じりの言葉がひそひそと漂ってくる。


 「全く報酬目当てなのは奴等も一緒じゃねぇか。なぁ?」


 雷人へ一人の男が肩を並べて来て囁いた。まん丸な眼と柔らかい表情で他に比べてかなり親しげに雷人へ接しているが、二人は初対面である


 雷人は男に目をやった。雷人に比べれば頭半個分ほど小さいが中々身なりのきっちりした男である。終始和やかな男に対し雷人も笑顔を浮かべ、

「まぁ好きに言わせておけばいいさ。報酬目当てっていうのは否定も出来ねぇしな」

と返した。


「はは、成程中々素直だねぇ」


 男は口を大きく広げ笑った。見た目とは裏腹に笑い声は豪快である。


「まぁこの中であんたみたいに報酬で動いていない人間はそう多くないさ」

といって口元を悪戯っぽく緩める雷人。


 その言葉に男は只でさへ丸い眼を更にまん丸く広げ、

「どうしてそう思うんだい?」

と訪ねた。


「なぁに、あんたの目は他の奴と違ってがつがつとしてねぇ。その癖、妙な自信と落ち着きを漂わせている。只の金目当ての輩じゃこの風格は出てこないさ」


 両眉を広げ応える雷人へ向けて男はにやりと笑った。


「おい、あのはったり野郎の隣のはよく見たら北辰一刀流の朝倉あさくら 剣志郎けんしろうじゃねぇか?」


「おいおい、なんだってあんな剣豪があんな男と親しげに?」


 すると、後ろの男たちがひそひそと囁きあう。


「なるほど、あんたがあの朝倉さんか。どうりで俺なんかとは違うわけだ」


 そう言って眉を広げる雷人へ、

「いやいや君だって相当なものだと思うよ。只の金目当てにはとても思えない。本当、出来れば一度ぐらい手合わせ願いたいぐらいだよ」

と返し笑みを浮かべる朝倉。


「いやいやそれは買い被りすぎ。俺は只、酒代稼ぐ為に来てるだけのしがない男さ」


 雷人は右手で盃を傾ける仕草をやって見せた。


「酒? 酒か? なるほど確かに酒は旨いな。しかし酒代を稼ぐためとはな、あっはっは」


 朝倉は再び大口を広げて笑い出す。


「おい朝倉。いい加減定位置に戻れよ」


 すると、馬車の側面に付いている細身の男が口を出してきたので、朝倉は笑いを止め頭を数度擦り。


「やれやれ、呼び戻されてしまったよ。しかし豊田も何を考えているんだか、人数だけ揃えればいいってもんではないだろうに。なぁ?」


 そう同意を求められたが、雷人は言葉では無く肩を竦めて返す。


「ま、良かったら今度旨い酒でも交わそうや」


 そう言って朝倉は雷人の肩を軽く叩き定位置へと戻っていった。

 雷人はその後ろ姿を眺めたあと、う~ん、と大きく背伸びをした。上空ではまた鳶が弧を描き鳴き声を発していた。


 朝、出発点から歩き続けて既に太陽は空の中心近くまで昇ってきている。

 豊田の護衛として雇われた男達の中には、既に疲れからか息を切らしている者もいた。


「全く情けない奴らだ」


 太めの男が呆れたように言った。護衛は馬車の前方に三名、左右に二名ずつ、残りは全て後ろに付いており総勢で十二名となる。


 そこに雇い主である豊田と馬子が付く形である。


「ほらほら、お前らここからが本番やで。高い銭払ってるんやからしっかり頼むで」


 豊田は馬車の荷台に特別に設置させた腰掛けに座り悠々と言った。


「ちっ……呑気なもんだぜ」


 豊田には聞こえないぐらいの声で誰かが愚痴を呟く。


 報酬が良いとはいえ、全く休ませようともせず行歩が続くことに溜息混じりの声も聞こえてきたが、雷人には特に疲れた様子も感じられない。


 そもそも少しでも腕に自身のある者は、この程度で音を上げるような事は無く、澄まし顔で歩みを続けていた。逆に言えばそれだけ雇われた護衛の力量にばらつきがあり玉石混淆といったところである。


 逢坂山の峠道は林で囲まれた中で続いており、その昔牛車で荷を運ぶ際に通行が困難であった為、多くの工費をつぎ込み約三里にかけて車石を敷き詰め完成させた道である。


 豊田は今回馬車を使い荷を運ぶ上で先代が苦労して築き上げたこの道を何の労も無く(とは言ってもそれに付き合う護衛達は大変であろうが)ちゃっかり利用してやろうという魂胆なのである。


 峠道は、車道の少し上方に人が歩くための歩道も備わっており上と下で道が二つに分かれている。

 護衛率いる豊田一行は当然馬車での移動の為、下の道を突き進んでいる。


 逢坂山に入るまでは前方と左右側面、そして後方にと分かれた配置であったが。


 峠に入ってからは馬車は歩道側の土壁へ出来るだけ寄らせ、前方と片側側面そして後方の三方に分かれる配置で進んでいる。


「ふうぅ」


 腰掛けに座っている豊田が自前の水筒を口に含み喉を鳴らした。


 基本的にはほとんど只座っているだけの筈なのだが、何故か疲れたような表情をし暑くもないのに扇子を取り出すと顔を仰ぎ出す。


「やれやれこの道は一体あとどれぐらい続くんだい」


 何人かの護衛の視線が一声に豊田に向けられた。それはこっちの台詞だと言わんばかりに。


「このまま何も起こらなきゃ……まぁ良いんだろうけどねぇ」


 少し含みのある感じに朝倉が言葉を述べた。


「ふん! 冗談だろ? こちとら折角この豪腕をふるえると思って気合いれてやってきてるのに、こんなんじゃとんだ拍子ぬけだぜ」


 後方のでかい男が、力こぶを見せ付けるように腕を掲げた。


「でもよぉ、最近は盗賊共の話もよく聞くし油断は禁物ですぜ」


 猿顔の男はそう言って辺りをきょろきょろと見回す。


 しかしそんな様子はどこ吹く風と馬車のすぐ後ろに付いている雷人が大きく欠伸した。


「全く呑気な男だ」


 近くを歩く総髪の男が眉間に皺を寄せる。


――その時、林の中から微かな気配が発せられた。殆どのものは気づかなかったようだが雷人を含めた何人かの顔付きが変わる。


 林の中で僅かな影が蠢いていた。気付いた護衛達に緊張が走る。


「止まってください」

 

 徐に馬子の傍へ近づいた朝倉が、その面前で片手を翳し落ち着いた口調で伝える。


 馬子の命令で馬の動きが止まった。それに合わせて皆も歩みをやめる。


「おいどうした? 何をしている!」


 嫌な気配に対して愚鈍な豊田が、咄嗟に怒鳴り散らした。だが誰もその場から動こうとはしない。


「おい! 誰だ! 隠れてないで出てこい!」


 堪えきれず巨漢が叫んだ。朝倉がやれやれといった表情を見せる。雷人も肩を竦めた。


 その時、小さな影が風を切る音と共に豊田の鼻先を掠め土癖に突き刺さった。


「――ひぃぃい!」


 情けない声を上げ、豊田が座席から転げ落ちる。


「来るぞ!」


 何時の間にか馬車の側面に付いていた雷人が口にした言葉と共に、一斉に林の中から馬車と護衛目掛けて矢弾が射出される。


 弓から解き放たれた無数の矢弾は目標目がけ一気に直進してきた。

 だが雷人は面前に迫るソレを手にした短い方の刃で全て薙ぎ払ってみせる。


「ふぅ」


 一息つけ雷人が横を見やると両の手で刀を握り締めた朝倉が、飛び来る驚異に動じることなく涼しげな顔をしている。眼下には半分に折れた矢の残骸が散乱していた。


 その姿に、やるねと言わんばかりに片眉を吊り上げ微笑する雷人。

 林からの初撃が止み、辺りはまた静けさを取り戻した。雷人と朝倉を含め腕自慢の猛者達は飛んでくる矢弾をものともしなかった。だが、正しく報酬に吊られただけの自称用心棒達は見る影も無く大地に無残な姿を晒している。殺られたのは三方の配置から一人ずつ計三名であった。これにより護衛は九名を残す事となる。


 豊田は只管ひぃひぃとだけ叫び地面に蹲っていた。落ちた方向が土壁側だったのは幸いだった。もし倒れた方向が逆であったなら邪魔者以外の何者でもない。


 雷人は首を巡らせた。生き残った面々は皆、腕の立つ連中である。それは叩き落とされた矢弾の数々を見ればわかった。


「ちっ――どうした! もう終わりか!」


 巨漢の男が吠えた。体躯も声も人一倍でかい男である。

 するとその言葉に触発されるように再び無数の矢が飛来した。


 だが既に皆なれたのか、雷人と朝倉は勿論の事、二度目の襲撃に倒れるような物はここには居なかった。


 刀を手にした武士達は迫り来る矢を次々と叩き落とし、猿顔の男に関しては鎌の尾に付いた鎖分銅を器用に回し次々と矢弾を弾き返して行く。


 特筆すべきは巨漢の男で、彼は棍棒には手をつけず、巨大な掌で蠅でも相手するようにソレを叩き落として行く。それでも動きは俊敏ではないので腹部に何本が鏃が突き刺さるが、分厚い筋肉の壁の前にはそれほど問題とならないのか、蚊にでも刺されたぐらいの感覚で突き刺さった矢をはたき落として行く。


 矢波はまるで潮が引くように収まった。誰一人倒れることなく皆自信満々な表情で悠々としている。例え再度同じように攻撃を仕掛けられたとしてもびくともしないであろう。


「おお! お前達いいぞ! その調子でしっかりわいと荷物を守れよ!」


 先程まで蹲ってぶるぶる震えていた男が立ち上がり、皆に声援を送った、だが誰ひとりとして聞いているものはいない。


 その時、またガサリと音がした。今度は草木が揺れ動くよりはっきりとした物音が馬車の前方の方から響いてきたのだ。


 そして、林の中から何体もの影が遂に姿を現した。


「お前ら中々やるようだなぁ」


 道の真ん中を堂々と陣取ったその男は、護衛の巨漢に勝るとも劣らないと言える体躯の持ち主であった。腹こそ出ていないが着衣の上からでも判る筋骨隆々の肉体はまるで野生の熊の容貌である。そしてその脇を更に数名の男が固め全部で八名が前方を立ち塞いだ。


「ふん、随分と余裕をかましているようだが、よもやお主ら、たかがそれだけの人数で我らを相手にする気か?」


 馬車の前を守る三人の内真ん中の男が正眼の構えを保ったまま暴漢共へ告げた。両隣の護衛も刀を身体の横で立てるように持つ八相の構えを取り相手を睨みつける。


「違うな――」


 朝倉が囁くように述べた。その言葉に隣に立つ雷人も、あぁ、と答え軽く頷く。


 直後後ろからも先程と同じように草木の揺れ動く音が響いた。そして数名の男どもが姿を現し、後ろを塞ぐように立ち並ぶ。その風貌から彼等が前の輩の仲間なのは間違い無いだろう。これで馬車は前後を完全に塞がれる事となった――

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