第六十九話 試合と死合
「全く盗賊風情がこんなところでご苦労な事だ。だが相手が悪かったな」
これだけの輩に囲まれていても父親は臆する様子なく鋭く研ぎ澄まされた眼光で辺りを見回し、
「貴様ら――我を神威逸刀流師範、神威 勇と知っての狼藉か!」
と声を張り上げた。
「神威逸刀流だと?」
「確か瞬速の剣捌きで一撃の下に相手を倒すという……」
「この界隈じゃ結構有名な剣術ですぜ頭」
周りの手下たちが口々に語りだすが、大牙は気にする様子も無く耳を穿り。
「ふん、有名といっても所詮ままごと剣術だろ? それでどうするんだ? 言う事を聞くのか? 聞かないのか?」
そう敢えて馬鹿にしたように言い放った。
「貴様! 愚弄するか!」
怒りの言葉と共に神威が柄に手をやる。
「どうやら殺る気みたいだな――そうこなくちゃ面白くねぇ」
大牙がニヤリと口角を吊り上げる。
「父の傍を離れるなよ」
すると、神威が静かな口調で息子に告げた。
その時、大牙は神威とその息子を交互にみやり微笑を浮かべ口を開く。
「あんた中々腕に自身がありそうだな――いいぜ、サシでやってやるよ。お前らは手を出すな」
大牙は口を大きく広げ周りの手下たちに命令した。手下たちは各々一瞬目を見合わせたが直ぐに、了解、と告げその場から少し離れた位置に立つ。
神威と大牙の立つ位置を中心に手下たちが前方と後方に立ち並んだ。手は出さないまでも逃げられないようにはするつもりらしい。
神威からして見れば、寧ろこの隙に片側の盗賊たちにだけ切り込んで突破する事も出来たかもしれない。それぐらいの腕前はあっただろう。
だがそれは武士としての誇りが許さなかった。
「大した自信だな」
静かな口調で言葉を投げかける神威。
「勇次郎少し離れてなさい」
先程とは変わって神威が息子、勇次郎に命じた。一体一の戦いとなり傍で見ている必要も無くなったからだ。
「おっと待ちな。確かに俺とあんたはサシで決着をつけるが、その餓鬼も戦ってはもらうぜ」
「何?」
神威の眉間に皺が寄った。
「おい神雷お前あいつの相手をしてやれ」
「ちょっと待て! そんな話は聞いていないぞ!」
声を荒げる神威を睨めつけながら、
「なんだ嫌なのか? その餓鬼の腰に指してる刀はお飾りなのかい?」
と馬鹿にしたように言い放つ。
「くっ!」
思わず苦々しい表情で唇を歪める神威。
「大丈夫です父上やれます!」
勇次郎が自信気に神威へ言葉を返した。
「お前……しかし」
「大丈夫です! 私だって父上の息子であり剣の技を受け継いだ武士です! このような輩に負けましません!」
言って神雷を睨みつける勇次郎。
「神雷――出来るな?」
大牙の問いかけにこくりと頷く神雷。
「よし、いい子だ。それとな一つ条件がある。あの餓鬼を殺るとき着物を汚さないよう上手くやれ。あれは中々いい生地を使ってやがるからな」
神雷にだけ聞こえるような小さな声で囁く大牙に、わかった、と一言告げて神雷は道の反対側の方へと寄っていった。
それに合わせるように勇次郎も動き出す。
今は道を真ん中でわけで左右に神雷と勇次郎。大牙と神威が対峙する形だ。
「頭! 頼みますぜ!」
「神雷も頑張れよ!」
離れて見ている手下たちから激励の言葉が飛ぶ。
「後悔するなよ」
鋭い眼差しを大牙に向け、神威が刀を抜き構える。取った構えは正眼の構えだ。
鋒を相手の目に向けて正面に構える最も基本的な型だが、状況に応じて他の構えへの移行も迅速に行え更に攻防共に隙が少ない。
一方大牙も鞘から野太刀を抜くが――
「貴様……馬鹿にしてるのか?」
大牙が取った行動は、野太刀の柄を右の片手で持ち、峰の部分を肩に載せて立つというとても構えとは言えないようなものであった。
「いやいや別に馬鹿になんかしてないぜ、まぁひとまずこれで様子見ってか」
嘲るように言う大牙に、神威の眉間に出来た青筋がピクピクと波打つ。
「舐めるなよ! 参る!」
言うが早いか先に動いたのは神威の方であった。
瞬時に間合いを詰め、大牙の斜め右側に付け、踏み込みと同時に刀を右肩側から左下にかけて袈裟懸けに切りつける。
その素早さに大牙の眉間がピクリ動き、
「おっと危ねぇ」
と言いながら後ろに飛び退き交わす。
「まだまだぁ!」
叫び神威はすぐさま刀を立てて右手側に寄せる八双の構えを取り、そのまま刃を水平に振る。しかしその一撃も大牙は後ろに飛び躱す。
「くっ! 体格に似合わずちょこまかと! ならば!」
振った刀を後ろに引く神威。そして奥歯を噛み締め大牙の喉元目がけ鋭い突きを繰り放つ。
「ふん!」
一言発すと同時にようやく大牙の手が動いた。相手の突きに合わせるように右手を振り野太刀の柄頭を神威の刃に叩きつける。
「ぬ!」
大牙の一撃により神威の突きは軌道が逸れ相手の首の皮一枚を掠る程度に終わった。
苦虫を噛み潰したような表情に変わる神威。だがその隙に、大牙は野太刀の柄を握り締め肩に乗せていた刃を一気に振り落とした。
神威は見開いた双眸で突いた刃を引き戻すと同時に後ろに飛び退く。
低く唸るような風切り音と共にまる突風のような風圧が神威の身を貫いた。当たりこそしなかったが、その一撃は神威をたじろかせるのに十分なものであった。
対峙するお互いの距離が離れた。そのままでは斬撃も届かない距離だろう。
時折吹き抜ける風は冷たい。にも関わらず神威の額から多量の汗が玉となり頬を伝い顎から地面へと滴り落ちる。
「あの男、師範というだけあって大した手練だな」
「あぁ。あの流れるような剣撃。大した腕だが」
「おいおいいくら手練と言っても頭ほどじゃねぇよ。見たかよあの一撃。あの神威って野郎もすっかりぶるってやがるぜ」
観客に回った男達が口々に感想を述べる。
「しかし――頭に比べたら神雷はどうしちまったんだ? 全く不甲斐ないぜ」
手下の一人が言った言葉で数名が神雷と勇次郎の戦いに瞳を向ける。
その戦いはどう見ても勇次郎の方が優勢に見えた。
二人は大牙の立つ位置より更に後方で戦いを繰り広げている。とは言っても勇次郎の一撃一撃に対し風真は防戦一方。
その為少しずつ後方に押されて行っている形である。
勇次郎も父、勇と同じく正眼の構えからの畳み掛けるような連撃で神雷を押していた。ただ勇の言いつけは律儀に守ろうとしているらしく、あくまで狙いは小手や脚に集中している。
一方神雷は型に定まりがなく、その場その場で持ち手を替え構えを替えといった感じである。
しかし運動能力に関しては寧ろ神雷の方に比があるのか勇次郎の攻撃は全て躱している。その合間合間に神雷も攻撃を加えるが、なんとも引き締まらない一撃は簡単に勇次郎の手によりいなされてしまう。
「おいおいどうした神雷情けないぞ」
「そうだ! そんなんじゃその餓鬼が調子づくだけだぞ!」
周りの男達が神雷に向け一斉に言い放った。言葉は汚いが彼らなりの激励のつもりだった。
その言葉を受け神雷も防御から一転攻撃に回る。
片手で持った刀を水平に振り、裕次郎が引いた所に刀を両手で振り上げ一気に斬りかかる。だが、裕次郎も負けじと刀を振るいお互いの刃と刃がぶつかった。
激しい鍔迫り合いでの押し合いは大人顔負けの迫力で互いの力と力がぶつかり合う。が、しかし、単純な力の勝負であれば神雷の方が遥かに秀でていた。
「だらぁ!」
と言う掛け声と共に、神雷が勇次郎を押し切り尻餅を付く形で勇次郎が大地に腰を付ける。
「今だ神雷!」
「殺っちまえ!」
男達の猛った声が神雷の耳に響く。刀の柄を強く握り締めその手の刃を一気に振り上げる――
だがそこで動きが僅かに止まった。それはほんの一瞬の躊躇だったが勇次郎は刀を握り直し神雷の肩に突きを入れる。
「くっ!」
神雷の表情が僅かに曇った。勇次郎の突きが肩を抉ったのだ。その瞬間血の赤が僅かに空中に舞い上がった。
神雷は肩を押さえ少し後方によろめく。
「もう諦めろ! 勝負は私の勝ちだ!」
勇次郎が言い放った言葉に奥歯を噛み締める神雷。
「どうやらあっちは私の息子が優勢のようだな」
硬い笑みを浮かべ言い放つ神威の言葉に、
「ふん!」
と鼻息荒く返す大牙。
「そんなに自分の息子の事が気になるのか? さっきからぴくりとも動かねぇじゃねぇか」
大牙は先程と変わらず野太刀を肩に乗せたまま口を開き、
「それとも――びびっちまってんのか?」
と続けた。
「くっ! ふざけたことを――我ら親子貴様ら等に負けはせん!」
柄を握る神威の腕に力が入る。
「そうかい……まぁ確かにあんたは強ええ。油断したらあっさり殺られかねないしな――ちょっと真面目にいくか」
大牙の眼光が鋭く光り、ようやく大牙が野太刀を両の手で握り締め構えを取り出す。
「なん……だと」
思わず呟く神威の双眸に映るは、野太刀を頭上に振り上げ構えをとる大牙の姿だった。
【天の構え】その見た目通り、攻撃に特化したこの構えは極論で言えばその体制から行われるのは振り下ろしの一撃のみ。
だがその分、振り下ろすという動作においては最速の行動が可能である。しかし当然、身体は相手に対して剥き出しの状態となる為、防御には向かない極端な構えである。
「攻撃は最大の防御って事か……」
呟きながら神威は再び正眼の構えでじりじりと大牙との距離を詰めていく。
神威の持つ打刀に比べると、大牙の持つ野太刀は一尺近く長い。
その為、二人の攻撃に転ずる事の出来る間合いを比較すると圧倒的に大牙に分がある。
嫌な汗が身体中から吹き出してくるのを神威は感じていた。
元々圧倒的体格差はあったが、今目の前に立つ大牙の姿は、神威にとってまるで巨人のように大きく感じられた。
「くっ!」
ギリリと歯を噛み締め、左側に弧を描くように少しずつ足を動かしていく。
一撃喰らえばそれで終わりである。だが、躱しさえすればほぼ間違いなく勝利を収める事ができる。
神威の精神は大牙の一の太刀を避ける事に集中されていた。
ゆっくりと上下する大牙の肩の動きに呼吸を合わせ機会を待つ。
ふと対峙する二人の間を横風が通り過ぎ、風に乗った木の葉が舞い上がる。
――刹那。
神威が一気にその距離を縮めた。その動きに合わせるように大牙の太刀が振り下ろされる。
土が舞った。大牙の振り下ろした刃が道の土を抉ったのだ。そこに神威の姿はない。
神威は見事に大牙の斬撃を見切り、躱したのだ。
彼は思わず口角を吊り上げた。それは勝利を確信した表情であった。
だが――
「甘いわ!」
声を張り上げ、大牙が身体を回し力任せに下ろした刃を再び振り上げた。
かなり強引な体勢ではあったが、振り上げた刃の峰が唸りをあげ、今まさに切り掛ろうとしていた神威の脇腹を叩き付ける。
「ぐはっ!」
身体をくの字に曲げ神威が苦悶の表情を浮かべた。思わず地面にその身を預けそうになってしまう。
しかしなんとか意識を保たせ膝に力を込め耐えた、大牙の野太刀は身体にめり込んだままだ。何とか耐えて次の一手に持ち込もうと柄を握る力を必死に保つ。
だが大牙が次に取った行動は神威にとっては考えられない事だったのかもしれない。
大牙は何の躊躇いも無く得物を持つ手を放したのだ。当然刃は神威からも離れ地面へと落ちてゆく。
そして――太刀が完全に地面に落下しようとしたその時、大牙の両の手が神威の着物の襟を掴み、その身を大きく払いあげるように腰を回した。
視界が回転し神威は背中から思いっきり地面に叩きつけられた。あまりの衝撃に彼の口から呻き声が溢れる。
「これで俺の勝ちだな」
神威の腹に巨大な右足を乗せ大牙が醜悪な笑みを浮かべる。
「ぐぅ……無念」
片目を瞑り言葉を漏らす神威をよそに大牙は手放した野太刀を再度拾い上げる。
「所詮てめぇがやって来たのは試合という名のおままごとに過ぎなかったってわけだ。だがこれは死合、敗者には――」
言って大牙は力任せに野太刀を振り下ろした。直後頭骨の砕ける音をその耳に残し、
「死あるのみだ」
と冷たい声を骸に残した――