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第六十八話 初めての殺し

「どうした坊主? 別に難しい事じゃねぇだろ?」


 大牙が少年の頭に手を置きながらそう告げた。地面に突き刺された刃には焔の深紅が映り込み妖しい光を放っている。


「あの女に何を遠慮する事がある? 蜥蜴と一緒でお前を蔑んできたような売女じゃねぇか。散々お前を罵り馬鹿にして来たんだろう? だがな、その刀を握れば……お前は強者だ、弱いまま死にたくは無いだろ? 殺っちまえよ。そして――男になれ」


 少年の耳元で告げられたその言葉は悪魔の囁きであった。

 少年は刀を見て――そして女を見た。

 頭の中を今まで散々なまでに言われた口汚い言葉の数々が巡る。


 刃の中に少年の瞳が映り込む。鋭く研ぎ澄まされた決意の瞳が。

 少年は大地に突き刺さった脇差の柄に手をかけた。


 刀を握った拳にぎゅっと力が入ると、心地よい鉄剃り音と共に抜身の刃が姿を現す。

 少年はその刀を正面に構え梨花の下へ近づいていった。剣術の心得など持ち合わせてはいなかったが見よう見まねで初めて刀をその手に持ったのだ。


 一歩……また一歩と少年は梨花との距離を縮めていく。


  その様子に気付いた梨花は突如瞳を見開き、地に腰を付けたまま後ろ手でゆっくり後ずさりしだす。


「い……嫌! やめてぇ――お願い許してぇ」


 目の前に近づいて来る刃に死を感じた梨花は、顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにさせながら生を懇願した。このようなボロボロな状態に陥っても尚、生に執着を持ったのだ。


 少年の脚が止まった。その未成熟の身体はまだまだ小さいものだったが、それでも少年の瞳には目の前で命乞いする女の姿がとても小さく思えた。


 なんて事はないこの刃を振り下ろせば――


 刀を持った腕を振り上げながら、そんな考えが少年の頭を過ぎる。しかし少年の腕は振り上げたまま一向に動こうとしなかった。


 泣き喚く目の前の女は、確かに大牙の言う弱者なのだろう。そして今、刃を振り上げる少年は強者の筈。


 しかし出来なかった、少年は瞳を伏せその刃をゆっくりと下ろした。


 固唾を飲むように見ていた周りの観客から、

「なんだよ――」

「やっぱ所詮餓鬼だな」

などという言葉が囁かれた。


 少年は顔を下げたまま肩を落とす。


「どうした坊主やらねぇのか?」


 ふと、少年の真後ろから大牙の声が聞こえて来た。山のような影が少年の身体を瞬時に包み込む。


「まぁまだ初めてだしな。仕方ねぇ最初だけ俺様が手伝ってやるよ」


 身体の芯まで響き渡るような低音と共に、少年の腕を巨大な掌が包み込んだ。


「いいか刀はなこうやって――使うんだ!」


 刹那、少年の意思とは無関係に刃が突き進んだ。梨花の胸元めがけ――

 それはまるで時が突如緩やかになったかのごとく少年の目に飛び込んできた。


 鋒が女の胸を突き肉を抉り、ズブズブという音と共に刃を通して肉の感触が伝わってくるようであった。


 刃がある程度のところまで達すると梨花は呻き声を上げ、その身をくの字に折り曲げる。


 その様子を堪能したように大牙が口端を吊り上げ一気に少年の腕を引き刃を抜き取った。

 とたんに鮮血がまるで花弁のように辺りに舞い散る。


 梨花の口からは呻きと共に血塊が吐き出され、地面に赤黒い血溜りを作っていく。

 その光景に少年の瞳は大きく見開き、鋒は小刻みに震えていた。


「坊主。ここまでは手助けしてやった。ここから先はおめぇ次第だ」


 大牙は後ろから少年の耳元でそう囁くと、

「おい! それをこっちに寄越せ!」

と近くの手下に命じた。


 すると一本の刀が大牙に向かって投げ渡される。

 空中漂う刀を見事に掴み、大牙は梨花の下へと歩み寄った。


「お願い助けて――お願い……です」


 爬虫類のように這いつくばりながら梨花は大牙へ懇願した。時折咳き込み、口を手で押さえると吹き出した血潮がポタポタと溢れ落ちる。


 胸の傷は致命傷に成りかねない程だったが、僅かに刃が心臓をそれていたおかげでまだ女の意識はなんとか保たれているようだ。


 梨花は上目遣いで媚びるように、お願いします……お願いします、と言葉を繰り返す。


「いいぜ、助けてやっても」


 這い蹲る女を、見下した瞳で眺めながら大牙が言った。その言葉に梨花の動きがピタリと止まる。


「俺はこう見えて優しい男なんだぜ? 片方にばかり機会をやっても公平じゃない。だから――」


 言って大牙は身を屈め、梨花の手に件の刀を握らせ耳元で囁いた。


「あの坊主を殺せたらお前を助けてやる」


 そう静かに告げ、大牙は立ち上がり少年の方へ振り返ると堂々と歩き始めた。


「俺はお前を見込んでいる――頼むから失望させないでくれよ?」


 少年とすれ違う直前、大牙は静かにそう呟いた。

 大牙の足音は段々と後方へ離れていく。


 そして手下に囲まれながら大牙がドスリと地面に腰を落とすと。

 梨花がその身をゆっくりと起き上がらせる。


 しばしその場で梨花は揺れ動き、その細い両の脚を数歩動かし少年の下で直立した。

 右手に持たれた刀はカタカタと震えている。


 一連の様子を、狼狽した様子で眺め続けていた少年が視線を上げる。


「お前を――お前を殺せば……」


 口角を極限まで広げ切ったその口。血走った両眼。

 少年から見たその姿はまるで鬼女そのものであった。


「死ね――死ね! 死ねぇぇぇえ!」


 滾った声で吠え上げ梨花が右手の刀を大きく振り上げた。

 その時、少年の脳裏に死の一文字が浮かんで消えた。


「強者になれ――坊主」


 遠くから眺め、大牙が注がれた酒を口に含んだその瞬間。


 重なり合う二人の間から血飛沫が舞い上がった。


「お……鬼。あんたは……鬼の子だ――よ」


 最期の言葉を呟き、梨花の口から吹き出した血潮はまるで雨の様に少年の身体へ降り注いだ。


 斜めに薙ぎ払うように振り抜かれた少年の刃から血が滴り、ドクドクと大地に吸い込まれていく。


 すると、大牙は口元をニヤリと吊り上げ立ち上がり、再び少年の傍へ歩み寄った。


「坊主、これでお前は俺たち牙の一員だ」


 その小さな頭に手を添え少年へ告げると大牙は振り返り、

「文句はねぇな! お前ら!」

と叫んだ。


 大牙へ返事を返すように周りの手下たちも一斉に立ち上がり歓喜の声を上げる。


「坊主、お前名はなんと言うんだ?」


 大牙の問いかけに対し少年は静かに一言だけ呟いた。


 神……雷――と。






◇◆◇


 緑道を歩く二人の父子。時は神無月、冷たい木枯らしが吹き親子の羽織る着物をハタハタと揺らしている。


「父上、本日の出稽古とても勉強になりました」


 利発そうな少年が父に向かってそう述べた。眉目の整った顔立ちで年の功は十程度であろうか。

 明瞭な発声とピンと芯が通ったような姿勢で歩く様からは育ちの良さがにじみ出ている。


「そうか、機会があったらまた付き添わせてやるからな」


 父は両の袖に片方づつ手を突込みながら笑顔で答えた。


「しかし、今日は驚いた。お前がこんなに腕を上達させていたとはな」


 父の問いかけに少年は照れくさそうにしながら、

「いえ。それでもまだまだ父上には及びません。私も早く父上のような立派な剣豪になりたいです」

と返事を返す。


「なぁに、お前ならすぐ私を超えられるさ」


 言って父は息子の頭を撫でた。少年から朗らかな笑みが溢れる。


「父上、早く帰って母上の食事が食べたいですね」


「そうだなぁ、帰ったらたっぷりと馳走を作ってもらって力を蓄えねばな」


 父はそう述べ高らかに笑った。

 父の背中に憧れる息子と子を見守る父。旗から見ればとても幸せそうな親子がそこにいた。


 だが――そんな幸福を切り裂く不穏な影が二人の親子に近づきつつあった。


 親子が道を歩いていると茂る木々の影からがさがさと音がした。


「父上。何か音がしたような……」


 不安そうな表情で呟く息子に父親は、

「どうせ狐か狸だろう」

と言いのけた。


 木々の生え渡る緑道だ小動物の一匹や二匹確かに珍しくない。が、しかし、更に続けて今度はより大きく薮が揺れ音が鳴る。


「誰か――いるのか?」


 息子の動きを左手で制し自らも足を止め父親が言葉を発する。


 すると生え渡る木々の中からまず二人現れ、道行く親子の前に立ち塞がった。それと同時に四方から数名の男達も姿を現し周りを取り囲む。


「……何奴――」


 眉間に皺を寄せ目の前の男を睨みつける父親。前方に立ち塞がるは、身の丈六尺三寸(約190センチ)程の巨漢とその隣には対照的に小さな少年の姿。


「何奴ってかい。俺はこの辺りでケチな牙という盗賊を率いてる大牙っていってな。あぁこっちは神雷といって――まぁ俺の義子(むすこ)みたいなもんだ」


 大牙が神雷の頭に手を置き返答する。


「牙? 成程、それで、その盗賊風情が我らに何の用がある」


 大牙の言葉で父親の眉根が上がった。牙という名に聞き覚えがあるのかもしれないが、あえて触れず言葉を返した。


「なぁに、ここら辺は俺等の縄張りみたいなもんでな。通るというならまぁちょっと金目の物でも置いていってもらおうかなと思ってなぁ」


 父親は一瞬瞳を瞬かせたが、すぐに大きく口を広げ高々に笑い出しだ――


ちょっと長いですがこの続きは今日中に更新します。

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