第五話 獣耳と豚
「う……うぅぅーん」
風真が呻き声をあげながら、うっすらと目をあけ目の前に見える景色を眺めた。
「一体……どうなってるんだこりゃ?」
風真は上半身を勢いよく起こし、辺りを見回しながら思わず疑問の声をあげる。
そして自分の記憶の糸を手繰りよせるように考える。
「確か俺はさっきまで警官隊の奴等や……相澤と戦っていて……しかし……」
そう呟きながら、辺りをキョロキョロと見渡すも警官隊や相澤の姿は見当たらない。
それどころか今、目前に広がる光景は先程まで彼奴と死闘を繰り広げていた場所とは違いすぎていた。
散々斬り倒したはずの屍が一切見当たらない等の基本的な疑問もそうだが、今、風真を取り囲むは、辺り一面に生い茂る緑色の草と大木達。
色とりどりな花もチラホラと目につくが、花に疎い風真にはその種類までは判別つかない。
風真は、
「やれやれ……」
と一言呟きながら髪を掻き毟り重たい腰をもち上げる。
立ち上がった際に感じられた身体の節々の痛みや、その身に纏う着物に染みとなって残っている血痕から、先程迄の激しい死闘が夢などでは無いことが伺える。
「とりあえず此処が何処なのかって話ではあるが……」
「――$仝&〆§々」
ふと生い茂る木々の奥から奇妙な声のようなものが風真の耳に聞こえてきた。
「なんだ今のは?」
風真は訝しげな面持ちで木々を掻き分け声のする方へ歩み出す。
「これは…まぁ何とも面妖な……」
木々を掻き分け声のする方に向かった風真は、その光景に思わずそう呟いた。
その視界に映るそれは風真と同じように二本足で立ち、身長は七尺(約二百十cm)位はあるだろう、その上丸々肥え太っており相当な図体の持ち主である。
そしてでかい図体の上に鉄の板のような物を組み合わせた甲冑が身に付けられているが、その身に纏われた甲冑は鈍い軋み音をあげ今にも弾け飛びそうな勢いだ。
その姿は、遠目からみる分にはたっぷり肥え禿げ散らかした親父かとも思えなくもない。
しかし斜め横から見ると、その面構えは何と白豚の其れである。
「これが都で現れると噂の物の怪という奴か、見るのは初めてだがまぁ不細工な面だな」
そんな言葉を発しながらふと視線を物の怪の足下に移す。
その物の怪の足下には体を縄で縛りあげられ、その身を小刻みに震わせる童らしきものの姿が見える。
その童は大体の構造は風真の知る物と同じく、目と耳、細かく言えば眉毛の数も二つ、鼻と口も一つ、但し耳の先は少し尖っていて髪の色は金、目は綺麗な緑色である。
身長は立ち上がったとしても風真の三分の二程度であろうか、かなり小柄である。
その童に向かって、白豚の物の怪が右手の棍棒を振り上げながら風真には意味不明の言葉を発している。
どうやら童はなんとか逃げ出そうとしてるのか、手足を必死にばたつかせるが、その体格の違いである、まるでお話にならない。
物の怪の大木のような太い腕で、その身をむりくり引きずられるようにしている童の姿を見た風真は、
「あの白豚から助けてやれば何か聞けるかもな……」
と一人呟いた。
今陥ってる状況が把握しきれていない風真に取ってはこれは僥倖ともいえる。
風真は辺りを見回し近くの手ごろな木の枝を一つへし折る。
「おい白豚野郎!」
風真は白豚の物の怪に聴こえるぐらいの大声で叫び、へし折った木の枝を物の怪の頭目掛けて思いきり投げつけた。
風真が投げつけた木の枝は、鈍い打撲音と共に見事に物の怪の後頭部にぶち当たる。
だが、投げつけられた木の枝は物の怪の頭に深くめり込んだようだが、その弾力性にとんだ肉質に跳ね返されゆっくりと地面に落ちた。
「何か美味そうな肉だな……」
一瞬とんでもないことを呟いた風真の方へ物の怪が振り返り、地面をその大きな足で何度も踏みつけると、やはり理解出来ない言葉で何かを叫んでいる。
風真はそんな物の怪に向かい臆することなく歩を進める。
その姿を見た物の怪も、掴んでいたロープを手放し、そのぶっとい脚を動かし風真の方へと向かうが、物の怪はその見た目通り動きが鈍く、数歩脚を前後に動かしただけで風真と対峙する形となった。
そして物の怪の目前で足を止めた風真は、視線を上げその姿をマジマジと見る。
「やっぱり不細工だなこりゃ」
と侮辱の言葉を発する風真。
その不細工な物の怪は目前に佇む男を見下ろし、まさしく見た目通りの豚鼻から勢いよく鼻息を吹き出しはじめた。
「あぁ、この言葉はわかるぞ。あれだ、ブヒーブヒーって奴だな」
明らかに興奮している物の怪に対し風真はおちょくるような言葉を吐きだす。
すると、その口が閉じられたとほぼ同時に、物の怪が雄叫びを発しながら巨大な棍棒を大きく振りかぶり力任せに目標目掛けて振り下ろし、低く鈍い音がその場にこだました。
そして物の怪は、醜悪な豚面に下品な笑みを浮かべ、理解出来ない言葉を発しながら棍棒を持上げる。
しかしそこに風真の姿は無かった。
「何だかニヤついた顔も醜いなぁこの豚は」
物の怪が声のする方に目を向けると、そこには余裕の表情で耳をほじくる風真の姿があった。
その言葉に反応した物の怪が風真の方へ目を向けると、風真は耳に突っ込んでいた指を抜き大きく肩を落としながら、
「ハァァァァ……」
と、深く大きい溜め息を吐き出した。
「物の怪という奴に少しは期待したんだが所詮はこんな物か……」
風真は落胆と侮蔑の表情で物の怪の姿を見つめ、残念そうに呟いた。
相変わらず風真に理解出来ない言葉と鬱陶しい鼻息を喚き散らかす物の怪。
しかし風真の関心は既にソレには無く、その後ろで縄で縛られている童に移っていた。
すると風真は、すっかり興味をなくした物の怪を無視し、軽快な足取りで童の元へ近づこうとする。
そんな風真に対し、物の怪はドスドスと地面を揺らしながら風真に駆け寄り、再度棍棒を振り上げ攻撃を仕掛けようとする。
しかし刀が鞘に収まるような高音が白豚の物の怪の耳に響いた直後である。
「おい童、大丈夫か?」
既に風真は、童の下におり、平然とした表情で声を掛けていた。
「?!」
頭に疑問符が過ったような表情を浮かべた物の怪は、いつの間にか通り過ぎていった風真の方へ向こうと身体を大きく廻そうとする。
すると物の怪の身体はぐるんと独楽の要に勢いよく回転した。
その有り得ない自分の動きと、下半身に違和感を感じたのか、物の怪が視線を下に向けると、その足の爪先は明後日の方を向いたままである。
そして、物の怪がその異変に気付いた時には既に意識は途絶え、身体の上半身がゆっくりと滑りながら抵抗感なく地面に流れ落ちたのだった。
◇◆◇
「よし、これで大丈夫だな」
風真は童の縄を解きながらそういった。
その身を拘束していた縄が解かれると、童は立ち上がりきょろきょろと辺りを見渡す。
ふと童の視線が先程まで我が身を拘束していた物の怪の前で止まる……が、すぐにまた視線を風真の方へ戻した。
そんな童を見下ろしながら風真は、
「なぁ童、ちょっと聞きてぇんだが……」
と聞こうとした途中で、いきなり童が踵を返し猛ダッシュで明後日の方へ駈け出した。
「お……おい! ちょっと待てよ!」
しかし待てと言われても待つ様子など微塵も感じられない。
すると、
「チッ……」
という舌打ちと同時に風真がその脚に力を込める。
刹那、駆ける童の横を黒い影が追い越し、
「ちょっと待てといってるだろうが!」
と疾走する童を立ちふさぐようにして風真が叫んだ。
突如目の前に現れた風真に立ち塞がれ、童は驚きのあまり目を大きく広げ口をパクパクさせている。
怯えたような表情で風真を見つめる童。
そんな童に対し風真は指で頬を数回掻いたのち……
いきなり両手で顏を大きく広げ舌をだし踊りのような滑稽な動作を繰り出し始めた。
その姿を見るや童は目を丸くさせキョトンとした表情を見せる。
そして更に風真は表情を変え面白おかしい表情を繰り返した。
「……プッ……アハッ、アハハハハハハッ」
すると、風真の滑稽な表情と動きに、遂に耐えられなくなったのか童は風真に向け指を指し大声で笑い出したのだった――