第五十四話 俺は異世界人
「――おいてめぇ! さっきから聞いてれば勝手な事ばかりほざきやがって!」
一拍置くように背中で呼吸した後、風真の口から怒声が響き渡った。
マージルの押し潰されたような細い目が、これでもかと言うほどに大きく広がる。丸い豚鼻の下では、太い唇が半開きのままぱくぱくと上下していた。
「き、貴様! 王に向かって何という無礼な口を!」
表情を一変させ、指を突き付けながら声を荒げるマージルだが――
「てめぇはさっきからぶひぶひうるせぇんだよ! 俺はこいつと話してんだ! 黙ってろ!」
一蹴するように風真が言い放った。
その言葉でみるみるうちにマージルの肌が赤く染まっていく。開いた唇からは、悔しそうな歯ぎしりの音が今にも聞こえてきそうだ。
「王よ! この男の無礼な物言いの数々、私はもう我慢なりません! どの道こいつが我らの同胞を殺傷したのは事実! 奴等が何もしないならこちらで今すぐ引っ捕えてしまいましょう!」
王に向かってマージルが思いの丈をぶつけた。
「まぁ待て」
すると、ゆったりとした口調で王がマージルを収める。
王の瞳が再びぎょろりと動いた。その研ぎ澄まされた瞳は眼下の風真をしっかりと捉える。
「お前、儂に何か言いたいことがあるようだな。勝手な事と言っていたが――よもや今になって自分はやっていない等と言うつもりでは無いだろうな?」
「だとしたら飛んだ嘘つきか鳥頭のどちらかですな」
オーク王の問い掛けに便乗するようにマージルも言葉を乗っけた。小馬鹿にするような薄い笑みが憎たらしい。
「ふん!」
と風真が鼻を鳴らす。
「オークを俺が斬った事に間違いはねぇよ。それよりも気に入らねぇのはな、てめぇら相手に真面に戦って俺が勝てるわけないってところだ! 相手の不意を付くような卑怯な真似をしただと? 舐めてんじゃねぇ!」
王に向かって風真が奮然と叫び上げる。
「全く何かと思えばとんだ戯言を」
マージルはやれやれと言わんばかりに吐息を付いた。
「まぁ口でなら何とでも言えますがなぁ。しかし、どうみてもお前風情が我がオークの精鋭たちに勝てるとは思いませんが」
マージルはニヤリと口角を吊り上げ挑発するような言葉を吐く。
「はん! 何が精鋭だ。そこで雁首揃えてる奴等は、見た目ばっかりで腕はさっぱりだったぜ。正直肩透かしもいいとこだ」
今度は風真が嘲るように言い返した。
瞬時にマージルの瞼に深い皺が刻まれる。
「貴様! 我等を愚弄するか!」
マージルが拳をぷるぷると震わせながら叫んだ。
すると周囲のオーク達がざわめきだし、その声が段々と大きく広がっていく。風真の言葉の意味を理解したオークが訳し、周りに伝えたのだ。彼等の語気は明らかに強まり、口々に何かを叫んでいる。オーク特有の言語の為、細かくは判らないが、雰囲気から風真に対する非難や罵声である事は確かだろう。
「見ろ! 我が同胞も貴様の言葉に怒りを抑えられずにいるぞ!」
「けっ! だったらこう伝えるんだな! てめぇら文句があるならそんなところで眺めてないでかかってきやがれとな!」
「な!?」
マージルが両眼を見開き絶句する。だがそれはマージルに限った事では無い。
バレットは顔を巡らす。横のドラムは苦々しく唇を歪め、シンバルはより一層狼狽えながら、
「こ、これはちょっとまずいんじゃぁ――」
と指を噛むような仕草で辺りを見回している。
トロンに関しては立ち上がったまま呆然とその光景を眺めていた。だがそれも仕方のない事かもしれない。
マージルが伝えるまでもなく、風真の言葉は即座に周囲のオークに広まった。彼等は一丸となって地面を右足で何度も踏みつけ、激しい震音を辺りに響かせている。武器を持つ者に関しては、上空に向かって荒々しく得物を突き上げ鬨の声を上げだす始末だ。
辺りは一触即発の空気に包まれ始めている。この状況は流石にまずいとバレットは思った。風真の腕前は認めているが、これだけの人数相手に無事に済むとは流石に思えない。何よりも周りの皆が心配だ。
「静まれい!」
大気を震わせるような怒号が周囲に響き渡った。オーク王の一喝で、あれだけ興奮していたオーク達が瞬時に口を噤ませ静まり返る。流石は一族を治める王といったところかとバレットは感心した。
顔を巡らせ周りの者を見回した後、王は再び視線を風真へと向けた。あれだけお喋りだったマージルも糸で縫い付けたように唇を閉ざしている。オーク王の纏う空気が口を出すなと告げているのだ。
「全くお前はおかしな奴だ。この状況で言い訳どころか、全員を敵に回すような事を平気で口にするとはな」
両の瞳で風真をしっかり見据えながら、王が、だがなと言葉を続けていく。
「お前のその言動が、周りの者の立場すらも危うくしてるのが判らんのか? そこにいるトロンという男も、いやマグノリアの女王すらも、貴様の言葉一つで我等と対立せざるを得ない可能性も現状低くはない」
遠まわしに言ってはいるが、それは忠告にほかならなかった。今は王の言葉で静観しているオーク達ではあるが、命が下ればすぐにでも襲いかかってくるだろう。
「はぁ? あんた何言ってんだ。大体俺とあのおっさんはそもそも何の関係もねぇ。女王とかいうわけのわかんねぇのもな」
その言葉に王の瞼がぴくりと動く。
「関係ないだと?」
「あぁそうだ。大体そもそもは俺がてめぇと話をつけるって言ったんだが、あのおっさんが勝手にしゃしゃり出て話を進めるもんだからよ」
そう告げ風真が頭を数度掻く。
「言っている意味が理解できんな。そもそもお前もこの国の民ならば、全く関係ないなどと言う事は無いだろう」
「だからそこがそもそも間違ってんだよ。あれだ俺や、あぁあとあそこの野郎――」
そう言いながらバレットに向かって顎をしゃくり、風真は更に言葉を続ける。
「まぁなんだ、俺達二人はあれだ、え~、なんだ、そもそもこのマ、マグ……」
「マグノリアかい旦那?」
バレットが、首を捻る風真へ助け舟を出す。
「あぁそれだ! そこのあれだこく、こ……?」
「国民」
今度は呆れたようにリディアが言う。
「おう、それだそれ。つまり俺やあそこの野郎はそもそもマゲノリアの国民じゃねぇ! だから女王とかいうのもあのおっさんも関係ねぇってわけだ」
風真が最後には随分堂々と言い放った。一文字間違っているのはご愛嬌かと、あえてバレットもそこには突っ込まない。
「マグノリアの者じゃ無いだと?」
オークの王が呟くように言った。
「馬鹿な! だったらお前は一体何者だと言うのだ!」
堪らずマージルが口を開き、問い詰める。
「何もんと言われてもなぁ――」
言いあぐねるように風真が再び首を捻る。
「どういう事だ? まさかお前は他の国からたまたま来ていた旅の者とでも言うつもりか?」
続けて王も風真へと問う。
「いや、だからそんなんじゃねぇんだよ」
風真がいらいらした様子で髪を掻き毟る。
「ようはあれだ、俺とあそこのいけすかねえ野郎は――」
親指で指し示され、酷い言われようだなとバレットは眉根を広げる。
「こことは、あ~、琴のなる、せたい? だかなんだか――」
「異なる世界だぜ旦那」
「そうそう。異なる世界! 俺たちはそこから来たって話だ」
またもやバレットの助け舟を借りて、言葉を締めた風真だが、
「異なる――世界だと?」
とオーク王は理解に苦しんている様子だ。
「全く馬鹿げた話ですな」
若干戸惑いを見せる王の隙に、マージルが口を挟み出す。
「よりにもよって、そんなでたらめを王の前で良く言えた物だ。こんな男の言う事を信用する必要はありませんぞ王よ――」
「お言葉ですが」
風真の後ろからトロンが声を上げる。
「彼とバレットの二人が、マグノリアの国民でないことはこちらの調べでも確かです。更にいうなら彼らが異なる世界から来たというのは――エイダ様がおっしゃられている事です」
「エイダがだと?」
王の瞳が見開かれる。
「ふん、何をいっているのか。あの婆さんも耄碌したのかね」
瞬時にオークの王がマージルを睨みつけた。
「あ、いや、これは失言を……」
身体を小刻みに震わせながらマージルが倒れこむような勢いで頭を下げた。エイダが王に一目おかれる存在であることは間違い無いらしい。
「し、しかし――」
とマージルが言葉を繋ぎ。
「このような突拍子もない話。証拠もなく信じるのは如何なものかと……」
と顔を軽く上げ、王の表情を窺いながら意見を述べる。
「証拠ならあんだろ」
風真があっさりと言う。
「しょ、証拠があるだと!?」
驚いたようにマージルが背筋を伸ばした。
「なんでも俺や奴には、マナだかカナだかが無いらしい。よくは判んねぇけど、それが無いというのは普通有り得ないんだろ? だったらそれが証明になるじゃねぇか」
バレットは目を丸くさせた。てっきりエイダとの話は適当に聞き流してると思っていたので、要点をある程度掴んでいた事が正直驚きだったのだ。
バレットが視線を向けた先では、オークの王やマージルが両目を見広げ風真を見ていた。
「な、何を馬鹿な事を! 言うに事欠いてマナが無いだと? ならば何故お前は平気な顔してそこに立っていられる! マナがあらゆる生物の命の源であるぐらい我々も知っている常識であるぞ!」
マージルが垂れた頬を激しく上下させ、口早に言い切る。
「そうは言っても事実らしいから仕方ねぇだろ」
「えぇい! 黙らんか! 大体――」
「マージル」
一度口を開いた瞬間、堰を切ったように喚きちらすマージルだが、王の一言を聞き、くっ――と一言漏らしながらも大人しくなる。
「しかしマナが無いとはな――こやつの言ってることは本当なのか?」
王が風真より更に後ろ、トロンに視線を向け問いかけた。
「はい。エイダ様からはそのようにお聞きしてます」
そう応じるトロンであったが、自信がある雰囲気ではない。エイダから聞いているとはいえ、自らが確認できる事ではなく、どこまで本気にしていいか判らないといったところなのかもしれない。
「ふむ――」
とオーク王は一言漏らし、何かを考えている。
「王よ! まさかこやつらの言う事を信じるおつもりですか? 正直に申しまして、そこの不逞の輩は勿論の事、トロンというのも腹の底では何を考えてる判ったものではありませぬぞ!」
「腹の底ではねぇ……」
マージルの言葉に思わずバレットの声が漏れてしまう。
ハットのブリムに指を掛け、考えを巡らせた。このままいくとまたマージルが何かを言い出すかもしれない、だが状況的にただエイダが言っていたというだけでは弱い――
「トロンも風真の旦那も嘘は言ってないぜ」
一枚のカードを生かす為には別の手札を切っておく必要がある――
意を決っすように言い放たれたバレットの言葉。王の横に立つマージルの口端が歪む。また余計な奴が、と思っているのかもしれない。
オーク王の射抜くような視線が、瞬時にバレットに向けられる。目は口ほどに物を言うとあるが、確かにその通りだ。鋭い瞳からは長としての威厳と誇りを、そして同時に野生としての雄々しさも感じさせる。
バレットは大きく息を吐き出した。添えていた指をブリムから放し、王へと向ける瞳に力を込める。
「おいらも風真の旦那と一緒に話を聞いた口さ。エイダは間違いなく俺たちにマナは無いと言っていた」
勿論この話だけでは何も変わらない。
「全く次から次へと――」
マージルが鬱陶しそうに右目を窄める。
「王よ、そもそもこいつはそこの風真と森で行動を共にしていた男。信用など出来たものではありませぬぞ」
マージルはとことん人間側の意見を否定する。
「まぁ確かに、おいらみたいなちんけな男をを信用しろというのは無理な話かもしれないねぇ」
やれやれと言わんばかりに両手を広げるが、直様、だがね――と繋いでいく。
「風真の旦那やおいらにマナが無い事を証明できるのは、別にエイダだけってわけじゃないぜ」
右手をハットに添え直し軽く押し上げる。顎の上がった彼の表情に微笑が浮かんだ――