第四十七話 森のオーク
せっかく用意してくれたナムルの甲斐なく、馬車を使った森への移動時間は10分と掛からなかった。
「いやぁ流石に早かったねぇ」
トロン、リディアと共に馬車を降りたバレットが、外の空気を肺一杯に吸い込み大きく伸びをする。
「全く、離れたと思ったらこんなすぐ顔を合わすことになるなんてな」
開口一番そんな事を言い出す風真に、
「それはこっちの台詞よ」
と反撃するリディア。
「あの……喧嘩とかせずに仲良くやりましょうね」
シンバルが二人を抑えようと言葉を掛けるが、この二人のやりとりにそんな心配は不要だろう。
「てかお前は本当に大人しくしてろよ。その刀とかいうのも抜くんじゃねぇぞ!」
ドラムが風真に向かって釘を差す。
「あん? なんでそんな事てめぇに言われなきゃいけねぇんだよ。刀を抜くか抜かないかは俺が決める。指図される覚えはねぇ」
刺された釘を引っこ抜き、更に投げ返すような風真の言動に、ドラムの顳かみがぴくぴくと波打った。
「だったら俺はコレで、てめぇを叩っ斬ってでも止めるからな」
ドラムが腰の剣に手をかけながら、風真を睨みつける。
「そんな鈍で、やれるもんならやってみろや」
この二人のやり取りも街から何も変わっていない。トロンは頭が痛そうに額を右手で抑えた。
「バレットどうしたの?」
そんな風真とドラムがやりあう中、じっと森を見つめ続けているバレットに、リディアが声を掛けた。
「あぁ、いや、おいらが初めて来たのがこの森だと思うとちょっと懐かしくてねぇ」
「やだ、懐かしいって昨日の事じゃない」
くすくすと笑いながらリディアが返す。
「うん? あぁ、まぁ確かにそうだねぇ」
微笑を浮かべながら、バレットがハットのブリムを両手で直した。
その様子に少し違和感を感じたのか、リディアが少し腰を屈め、
「大丈夫?」
とバレットの顔を覗き込むようにしながら、可愛らしい唇を動かした。
「う~ん大丈夫じゃなかったら、リディアが慰めてくれるかい?」
バレットの言葉にリディアの頬が赤らむ。
「な~んて、冗談冗談。おいらは別にいつも通りさぁ」
言葉通りいつもの笑みを浮かべ、いつものように軽い口調で返すバレット。
「もう! 知らない!」
その軽い言動に、むくれたリディアがそっぽを向くのと、
「二人共、森に向いますよ。宜しいですか?」
とトロンの声が届いたのはほぼ同時であった。
そして、トロンを先頭に一行は森に向かう。最初の時はシェリーの案内で森を出たが、トロンが脚を進める先はバレットの記憶と異なる。
バレットは前にウィルの家で見た地図を頭に描いた。ダグンダの街は森から出て北に向かった先にある。
そして以前、森を抜け出たのは街寄り、つまり地図上では森の北東側にあたる。
だが、トロンが馬車を停車させ、今向かっているのは森の外周の丁度中心あたりだ。
それ自体は特に大した問題では無いのだが、地図の表記を思い出す限り、森はマグノリア西側の三分の一を占めるぐらいの規模である。
地図上ではそれほど大きくは見えないが、実際改めて目の当たりにすると中々広大だ。
もし、何かあった時に迷うような事があっては厄介である。
バレットは入った位置と大体の道順ぐらいは覚えておこうと、地図のイメージを脳内に貼り付ける。
とは言え、今回は人数も多く、殆どがここマグノリアの人間であり、あくまで念の為といったところだ。
トロンは木と木の間に出来た細い通路のような位置から森の中へと脚を踏み込んでいった。両脇に立ち並ぶ木々はどれも幹が太く、少しの間かなりの圧迫感を感じた。
だが、先に進むと道は一回り程開け、大人三人ぐらいはギリギリ横に並んで歩けそうなほどとなる。
地面は多少はごつごつとしているが、最初にシェリーと歩いた時の事を思えば大分ましであろう。
「おい! 狭いだろ! もう少し離れろや!」
バレットの背中に風真の声が響いた。現在バレットはリディア、トロンと共に前方を歩き、風真に関しては後ろでドラムとシンバルに挟まれるようにして歩いている。
「うるせぇ! てめぇは少し自分の立場をわきまえろや!」
続いて聞こえたのはドラムの声だ。その相変わらずのやりとりにバレットは苦笑した。
「あれは――」
すると、暫く歩いた先で誰にともなくトロンが声を漏らす。
トロンの視線の先にバレットも目をやる、そこに佇むは三匹の――オークであった。
◇◆◇
「これはこれは、また随分とお揃いで」
一行が近づくと、三匹の内、真ん中に立つオークが口火を切った。
口調はバレットと風真が以前追い払ったオークより滑らかで、全員がよく理解できる流暢な言葉遣いで話しかけてくる。
「連絡用の大鷲から手紙を受け取り、ずっとここで待ってたのですがね。待てど暮らせど来ないものですから、てっきり臆病風にでも吹かれたかと思いましたよ」
目の前のオークが嫌味混じりに言葉を続ける。只でさえ醜悪な顔が歪めた唇で更に醜い。
「これは大変失礼致しました。こちらも色々と準備があったもので。しかし臆病風とはどういう事ですかな? 我々はここに話し合いに伺ったまでです。その様な事を言われる筋合いでは無いと思いますが」
トロンは軽く頭こそ下げたが、強い口調で相手を咎めるように言葉を返した。その風格は流石であり、二人の部下を従え守長と言われるだけの事はある。
「ふ、ふん! 話し合いねぇ。まぁそれもいいでしょう。だが王は今回の事でそうとうお怒りだ。その事を肝に命じておくんですね」
豚鼻を強く鳴らし、オークが言葉を返す。見た目が豚なので表情の変化は察しづらいが口調はどこか強気だ。
「てかよぉ。なんだこのちっこいのもオークなのか? 随分偉そうにしてるが全然強そうじゃねぇな」
後ろから風真が口を挟んだ。風真の言う通り、先程から一人で話し続けているこのオークは脇の二体と比べても随分小柄で、下手したら身長はリディアよりも低いかもしれない。
「な!? なんだこの輩は! よりにもよってこの私にそのような無礼な口ぶり!」
「いや、だからてめぇはなんなんだよ。ブヒブヒうるせぇなぁ」
耳をほじくりながら面倒くさそうに言う風真に、オークは両の拳と小さな身体をぷるぷると震わせた。
いつもならこの辺でドラムが何か言いそうだが、終始無言で我関せずといった所である。恐らくはこのオークの態度に少なからず気分を害していたのだろう。
「この無礼者が! よく聞け! 私は王の側近を努めるマージルだ! ちゃんと有難い名があるんだよ! 貴様みたいな奴にてめぇとか言われる筋合いではないわ! 大体ブヒブヒなど鳴かん! 我らをあの汚らしい家畜の豚と一緒にするなたわけが!」
「てか豚に名前があるのかよ? 変わってんな」
「だから豚と一緒にするなと言っておるだろう! 耳がないのか貴様は!」
風真の歯に衣着せぬ物言いは相変わらずである。遠慮や配慮といった物は恐らくとっくの昔に何処かへ捨ててきたのだろう。
ただこの時ばかりは、訊いている皆も一様に笑いを堪えていた。
「もうその辺にしておきましょう。我々も出来るだけ早く王に御目通りしておきたい」
結局その場はトロンが収めた。マージルというオークは些か負に落ちない感じであったが、両隣のオークと一言二言、言葉を交わし、顔を戻した。どうやら一向に通じる言葉が喋れるのはマージルだけのようで、他の二人とはオーク特有の言語で意思を確認しあってるようである。
オークの中にも人間の言葉を簡単にでも話すことが可能なのもいれば、マージルのように完璧に理解し話すものや全く話すことの出来無いものもいるのだろう。
「それでは、案内はこのマージルが務めさせて頂きますが――ここにおられる方全てが向かわれるので?」
「えぇ、確かに少し多いように思われるかもしれませんが、全員今回の件に関わりの深い者たちなので――」
「ふ~ん。その小娘もかい? とてもそうは見えませんが」
そう言ってマージルはじろじろとリディアを見た。
瞬時にいつもの可愛らしい顔が怪訝な表情に変わる。舐めるような視線に不快感を覚えたのかもしれない。
「リディア様は、あのエイダ・メルクール様のお孫さんです。本来はエイダ様にもご同行願いたかったのですが、ご本人の体調が優れなく、代わりにリディア様にご足労頂いた形です」
トロンの説明にマージルが両眼を丸くさせた。
「ご理解できましたか?」
確認するようなトロンの問いかけに、
「ふん、まぁいいさ。だけどねぇ――だったらその後ろの餓鬼も何か関係があるのかい?」
とマージルが風真達の更に後ろに向けて指を差しだ――