第三十九話 読めないふたり
リディアの家の前まで辿りついたジョニーが、
「これは?――」
と誰にともなく呟いた。ジョニーのすぐ後ろでは風真が眉を顰めている。
昨日、物の見事に扉が消失した入口には薄いベニヤ板のような物が張り付いていた。
どうやら、とりあえずの補修のつもりのようだが、かなり不格好である。
板は元のドア枠の片側に簡易的に取り付けただけのようで、ジョニーが端に指をかけて力を掛けると簡単に開いた。雨風を凌ぐには少々心もとない。
「邪魔するぜぃ」
すると、ジョニーを差し置いて風真がずかずかと中に入っていった。相変わらず遠慮というものがない。
ジョニーも、やれやれとハットに手をやり中を覗き込むが、そこにはリディアの姿があった。
「おはようリディア」
そう挨拶をし、家の中へと踏み込むジョニー。
「あ、おはようジョニー! っと、あと風真も」
「俺はついでか!」
風真の文句は気にも止めず、ジョニーがリディアの下へ脚を進める。
「リディア、朝から掃除だなんて感心だねぇ」
リディアの姿を視界に収め、そう話しかけるジョニー。
リディアの両手には箒が、床には雑巾の掛かったバケツが置いてあった。
「うん。それがね」
急にリディアが肩を落とす。
「昨日、二人を宿に案内して戻ったらお婆ちゃんが待ち構えていて、すごい剣幕で怒鳴られちゃって――」
悲しそうに話すリディアだが、確かに昨日の出来事を考えれば無理もない話とも言える。
「そりゃね! 多少は魔術の実験って気持ちもあったけど! でも私お婆ちゃんの為に頑張ったのに、あんなに怒らなくたって! 酷い話だと思わない?」
瞳をうるうるさせて賛同を求めるリディアだが、ジョニーは返答に困ったように頬を掻く。
「そんなの自業自得じゃねぇか」
そして、正面で腕を組みながら見事に気持ちを代弁した風真。
「うっさい、あんたには聞いてない!」
リディアは瞳を尖らせた。風真に対しては妙に言葉がキツイ。
「ところでリディア、エイダは?」
ジョニーが本題を切り出すとリディアが後ろに手を回し、
「あ! うんお婆ちゃんなら朝から支度して二人の事二階で待っててくれてるよ」
と返答した。
「だったらさっさと行こうぜ」
髪を掻き毟りながら、風真が壁際まで脚を進め、印が刻まれた壁に触れた。昨日のリディアの行動を覚えていたようだ。が、しかし、当然反応は無い。
「あんた馬鹿? 学習能力無いわけ?」
リディアが腰に両手をやり、言葉の弾丸を放つ。
それが効いたのか風真が青筋を立てながらむきになって何度も壁を叩きまくる。
「ちょっと止めてよ! 壊れたらどうすんのよ!」
リディアの訴えでようやく風真が、ケッ! と捨て台詞を吐きながら身を引いた。
「全くもう――」
一人呟きながら、リディアは刻印された壁に手を触れる。すると天井の一部が開き、そこから階段が姿を現す。
「お婆ちゃん。ジョニーと風真が来たよぉ」
そして、先ずリディアが階段をあがり、エイダに声を掛けた。
「ふん、やっと来たかい」
リディアが言葉を発するのと同時ぐらいに、ジョニーと風真両名が階段を上り部屋に入った。
エイダは昨晩と同じように黒いローブを羽織り、頭には先のとんがった帽子を被せている。
「やぁエイダ。腰の具合はどうだい?」
「あぁ、大分ましになったよ」
片目を見広げながらエイダが答えた。
「そうかい、悪かったね、そんな時に無理言って」
「ふん、余計な心配だよ。この程度、なんて事は無いさ。それよりも早く座りな。ほれ! そこのお前もキョロキョロしてないで早くおし!」
そう言って、エイダがジョニーと部屋の中を物色するように眺めていた風真を促した。
エイダの座っている正面では、その顔と同じぐらいの大きさの水晶玉が台座の上に乗せられていた。台座と水晶玉の間には位置がずれないようにか紫色の薄手のクッションが置かれてる。
エイダに言われるがまま、ジョニーは台座の前に置かれた木製の丸椅子に腰を掛けた。
次いで風真が、
「ちっ。あいかわらずうるせぃ婆だ」
とぼやきながらジョニーの隣の椅子に座る。
「ところでリディア、掃除は終わったのかい?」
二人の後ろに立って様子を見ているリディアをエイダが睨みつける。
「も……もうすぐ終わるわよ。ねぇいいでしょう? 私も二人の事気になるし、これが終わったらすぐ終わらせるから」
顔の前で両手を合わせ、甘えるように訴えるリディア。
「……全くしょうがないねぇ」
瞳を瞑りそう答えるエイダに、
「やった! ありがとうお婆ちゃん」
とリディアが嬉しそうに返す。
「しかし凄い本の量だねぇ」
部屋の中を見回しジョニーが感嘆の声を上げる。
四方を本棚に囲まれた部屋である。中には大量の書物が隙間なく並べられていた。
部屋の広さは一階とかわらないぐらいなのだろうが、沢山の本棚と、また所々に置かれている道具箱のせいか一回りぐらい狭く感じられる。
「こんなの大した事は無いさ」
にべもなく答えるエイダ。
「さてそれじゃあ視てやるとするかね。ほれ二人共この水晶を良くみな。目を離すんじゃないよ」
エイダの声に合わせて、ジョニーと風真が食い入る様に水晶玉を見つめる。
エイダは両の掌を水晶玉の少し上で翳すようにし、一旦瞳を閉じた。
何かをぶつぶつと呟きながら、翳した掌を小円を描くように動かし続ける。
すると、段々と水晶玉の内側から青白い光りが広がっていき、最終的には水晶全体が光りだす。
固唾を飲んで見守るリディア。
エイダがゆっくりと両瞼を持ち上げていく。見開いた双眸で水晶玉をじぃっと見つめ、
「こ――これは!」
と驚きの声を上げ更に瞳を大きく見広げる。
「な――何が視えたのお婆ちゃん!」
思わずリディアが語尾を強めた。
「むぅ――これは――」
三人の真剣な瞳が水晶玉に注がれ――
「な~んも、視えんわ」
その言葉に思わずこけそうになる三人。
「ちょっ! お婆ちゃん!」
二人の肩に手を置きながら、前のめり気味にリディアが叫んだ。
「ケッ。だから占いなんてあてにならねぇんだよ」
耳を穿りながら風真が目を顰める。
「な、何よ! お婆ちゃんの占いは本物なんだからね!」
「ま、まぁまぁリディア」
風真を睨みつけ叫び上げるリディアをジョニーが窘めた。
「全く、でもお婆ちゃん、視えないって今までそんな事一度も無かったのに――」
「ふん」
リディアの問いかけにエイダが鼻を鳴らし、
「視えないのにはな、理由だあるんだよ」
と話を続ける。
「理由?」
再びリディアが目を丸くさせ問いかけた。
「あぁ――」
エイダは目を細め一言呟くと、ジョニーと風真を一瞥し更に口を開く。
「この二人の身体にはマナが流れて無い。だから何も視えないんだ」
エイダから吐き出された言葉と共に一瞬の沈黙。しかしその沈黙を打ち破るかのように。
「――えぇぇぇぇぇえぇえ!?」
リディアが頓狂な声を上げた。
「うっせぇな。なんなんだ突然」
風真が両耳を指で塞ぎながら眉を顰める。
「そんな! ありえないわよそんな事!」
右腕を薙ぎ払うようにしてリディアが訴えた。
その様子にジョニーも目を丸くさせ、
「リディア、そのマナが無いというのがそんなに大変な事なのかい?」
と問いかける。
「当たり前じゃない。前も言ったと思うけど、マナは生命の源とも言える存在よ。それが無いって――二人共生きてるのが不思議なぐらいなんだから!」
「ふぇ!?」
「馬鹿言うな。俺は見ての通りぴんぴんしてる。死んでなんかいるもんかよ」
「――お前等、少しは落ち着かんか!」
三人の様子を見ていたエイダが業を煮やしたように叫んだ。
「で、でもお婆ちゃん、マナが無いだなんてやっぱり――」
「ふん。年を食ったといっても私の見る目は確かだよ。間違いなくこの二人にマナが流れて無いのは事実だ。だが当然死んでるわけでも無いだろうさ。それぐらいは判る」
そこまで語り、一度エイダは呼吸を整え、
「――どうやらあんた達の事はもう少し詳しく聞く必要がありそうだね」
と水晶の前で両手を組み、鋭い眼差しを二人へ向けた――