第三十七話 口吻と約束
荒野に二つの銃声が鳴り響くと、サニーを捉えていた腕は引き剥がされ、握られていたリボルバーも宙を舞った。
そして、まるでスローモーションのように空中を漂ったフォックスの身体は、程なくしてその身が荒野に打ち付けられた。
その様子を間近で見ていたサニーはただ呆然と立ち尽くしている。
虚空をただぼぉっとした表情で眺めるサニー。
その様子を見届けつつも、バレットは声をかける事なく視線を奴に移す。
バレットが見下ろすと、先ほどの銃撃で右肩を貫かれ苦痛の表情を浮かべながら、う……うぅっ……と呻き声を上げて続けているフォックスの姿があった。
武器も無くし激痛のあまり立ち上がることも出来ないその姿は、正しく手負いの狐そのものだ。
そして、手負いの狐を見下ろしながらバレットがその口を開く。
「おい」
「ひいぃぃぃぃ!」
声をかけるとフォックスは情けないばかりの悲鳴を上げ身を捩った。
バレットは、肩に手をやり恐怖した表情で彼を見つめるフォックスへ、
「確かお前は以前、ブラッディー・マリーと共に一仕事したと言っていたな?」
と問い詰めた。
フォックスは怯え切ったままの表情で唇を震わせながらも、なんとかその口を開く。
「な、なんだあんた……ブラッディー・マリーの事を知りたいのか? へ……へへ……その事を教えたらあんた……俺を助けてくれるかい?」
「内容による。言わないなら今すぐ殺すがな」
バレットは銃口をフォックスの頭に更に近づけて言い放った。
「わ、わかったよ……へへっ、確かにあの女と仕事をしたさ。もう一〇年以上前になるかな、町を一つ潰してな、金目の物は随分手に入ったんだが、あ、あの女、町の人間全員ぶっ殺しやがって! おかげで女は手に入らなくてな……」
この状況でもフォックスの口から出た言葉はゲスと言うに相応しいものだった。
「それで、ブラッディー・マリーをやってしまおうと思ったのか?」
「あ……あぁ、あ、あの女、性格はともかく本当にいい女だったぜぇ。だが、仕事の後はやっちまうどころじゃなかった……あのアマ! 仕事を終えると俺たちにまで……くっ……まるで地獄絵図だったぜ」
その事を思い出すように、フォックスは唇を噛み締め苦々しい表情を浮かべた。
「なるほどな……しかしおかしいな。だったらなんでお前は生きている? あの女がお前の事を何の見返りも無しに生かしておくとは思えないがな」
「へ……へへ……そこは俺の情報網の厚さが役にたったぜ。あの女、ある銃技師を探しててな、俺はラッキーだったぜ……俺はその技師の情報を知ってたからな……」
その言葉を受け、バレットは瞳を大きく見開かせた。額には幾筋もの皺が刻まれていく。
「お前が知ってるのはそれだけか? あの女は今、何をしてる? 答えろ!」
フォックスの額に銃口を突きつけ、バレットは明らかに冷静さをかけた口ぶりで更に問い詰める。
「あ、あの女が今何をしてるかなんて知るわけねぇだろ。なにせ俺にとっても随分と昔の事だ。た、ただよぉ、噂では突然煙のように消えちまったとか聞いた気がするがなぁ……お……俺の知ってるのはそれぐらいだ! 頼む! 助けてくれよ!」
涙ながらに語られるフォックスの言葉に嘘は感じられなかった。
その後フォックスの口からは、ただひたすらに、助けてくれ! 助けてくれ! という言葉のみが壊れた蓄音機のように連呼されていた。
バレットは自らを落ち着かせるように一呼吸置くと、フォックスの額から銃口を離した。
「へ……へへ……ありがとうな……恩に着るぜ」
「……なんの話だ?」
銃口が離された事で安堵の表情を浮かべるフォックスに、バレットが冷淡な瞳で言い放った。
「な、なんの事って……助けてくれるんだろ? なぁ?」
「悪いが、最初から言っておいたはずだぜ。お前に与える選択肢は二つだってな。安心しろ、それ以上は苦しまないようにひと思いに殺してやる――」
バレットは拳銃を再度構え直し、フォックスの額に照準を定めた。
「お……おい! ふざけるなよ! 約束が違うじゃねぇか! た……頼むよ……なぁ!? 俺はまだ死にたくねぇ! 死にたく……」
見苦しいまでに生を懇願するその言葉は、銃声によってかき消され――
何の躊躇いも無く引かれた銃口の先には、苦痛を感じる暇もなく朽ちていった狐が無言で横たわるのみであった。
バレットは暫くフォックスの死体を見下ろすようにして立ち尽くしていたが、唐突に踵を返すとそのまま歩み始める。
勿論その方向は町とは逆の道であり――
「待ってジョニー!」
サニーに何の言葉もかけずその場を去ろうとするバレット。その背中に向かって彼女が声を上げ呼び止めようとする。
そしてサニーの言葉を耳にした時、バレットの動きは止まった。
しかし振り返ることはしなかった。
背中を見せた状態のまま静かな声だけが風に乗ってサニーの耳に届く。
「悪いなサニー……ジョニーはもういない。ここにいるのはバレットという名の只の人殺しだ。だから俺の事は、もう忘れてくれ……」
「忘れるなんて事出来るわけがないじゃない!」
サニーの悲痛な叫びが、バレットの耳を貫いた。
「ジョニー、私にとって貴方はジョニーよ。死神バレットなんかじゃない! それに死神だったら、私と、私とお兄ちゃんの町をここまでして救ってくれるわけないじゃない!」
その言葉が耳にし、ジョニーが振り返る。
サニーの美しい瞳からは、ボロボロと真珠のような涙がこぼれ落ちていた。
「やれやれまいったねぇ……世の中の女の子を全て愛すると心に決めてるってのに、目の前で女の子に泣かれるようじゃ、世話ないさぁ」
そして、サニーに向けられたのは相変わらずの口調といつもの笑顔を見せる……ジョニーだった。
「……馬鹿」
サニーは涙を指で拭いながら、少しだけ微笑んで見せる。
だが、直後に変化したバレットの表情にその目を伏せ。
「……それでも、やっぱり行ってしまうの?」
少し寂しそうな表情で、あぁ、とバレットが返答した。
「サニー、おいらにはどうしても見つけなきゃいけない奴がいるのさぁ、そいつをずっと探していた……本当はここにもそれ程長居するつもりもなかったのさ。でも皆の優しさについ甘えちゃってねぇ……」
どこか遠くを見るような表情でその言葉を述べる。
するとサニーは思い出したように、
「……それはもしかして、ブラッディー・マリーという女性と関係してるの?」
と問いかけた。
「……あぁ」
それにバレットは短い言葉で返答した。サニーを見つめるその瞳は決意を固めた男のものだった。
「……決意は、変わらないんだね」
バレットが首肯する。
その瞬間、バレットの唇に熱く柔らかいソレが重なった。
「サ、ニー?」
「お、お礼!」
へ? と目を丸くさせるバレットに、はにかみながらサニーが続ける。
「町も、私も、それに! お兄ちゃんだって本当はジョニーが助けてくれたんでしょ? だから、これぐらいは、ね……」
紅潮し、俯き加減で言われた言葉に、ぐっとくるバレットであったが。
「参ったねぇ。こんなことあのお兄ちゃんに知られたら、また決闘だーーーー! って引きずり回されそうさぁ」
そんな軽口を返し、サニーの笑いを誘った。
「さて、それじゃあそろそろ行こうかな」
「……また、戻ってきてくれる?」
素直に、戻るとは返せなかった。
彼には常に死がつきまとう。死神とさえ言われる賞金首だ、明日も知れぬ身の上ではいい加減な事は口にできない。
「……終わったらでいいの」
「え?」
「ジョニーのやるべきことが全て終わったら、そしたら……町にまた来て。私ずっと待ってるから!」
真剣な眼差しが、バレットの胸を打つ。
だから、彼は笑顔を浮かべ。
「サニー……あぁわかった。全てが終わったら必ず戻るさぁ約束だ」
ジョニーとして彼女と約束をした――
◇◆◇
(格好つけず馬の一頭でも借りておくべきだったかねぇ……)
サニーと別れ、バレットは夜の荒野を一人歩いていた。
しかし、よく考え見れば次の町までの道のりは遠い。
そんな状況に、つい甘えたことを考えてしまったバレットでもある。
しかし、その脳裏には、フォックスが最後に語っていた情報が巡り巡っていた。
噂ではブラッディー・マリーは突然煙のように消えてしまった――
馬鹿らしいと思いつつも、確かにバレットの探していた彼女の情報は、ここ最近になってぱったりと途絶えてしまっていた。
一体何があったのか――しかしそんな事を考えていても答えは見えてこない。
「まっ、地道に脚で稼ぐしかないかねぇ」
そんな事を呟いたその時だ――突如空に浮かぶ月が紅く染まったのをジョニーは目にした気がした。
気がしたというのはその直後には、曇天の雲が空を覆い、月も星もさっぱり見えなくなってしまったからである。
(これは一雨くるのかねぇ)
バレットがそんな事を考えた、その瞬間だった。
荒野を轟かせるような轟音と共に、一筋の光がバレットの下へ直撃し――激しい土埃が巻き起こり一陣の風が荒野に吹き荒れると……既にそこにバレットの姿は無かった。
荒野のガンマン編はこれで一旦これで終了です
結構長くなってしまった……
そして次回から舞台は再び異世界へ……