第二十八話 心配無用
「痛い! ちょ離してよ! ってかあんたどこ触ってんのよ!」
声を張り上げ、その細身を掴む風真へリディアが文句を言った。
その様子に風真は顔を顰め、
「チッ……うるせぃ女だな」
と面倒くさそうに舌打ち混じりの台詞を吐き、リディアを掴んでいる両の手を離した。
すると風真の手が急に離された事で、既に穴から三分の二以上出ていたリディアの身がストンと地面に向かって滑り落ちる。
「きゃっ!」
地面に背中を打ち付けリディアが短い悲鳴を上げた。背中と頭を摩りながら口を開く。
「もう! もっと丁寧に扱いなさいよ。ほんっとサイテー!」
風真がどっちなんだよと言わんばかりに目を眇める。
「はぁ……」
溜息を一つ吐きリディアがゆっくりと立ち上がった。視線は岩穴に向けられている。
「ジョニーはどうしたんだ?」
すると風真の背中の上からエイダが訊いた。リディアは穴から視線を逸らさずに。
「トロルを食い止めてからすぐ来るって。だけど……」
心配そうに岩穴を見つめるリディア。こうしてる間も洞窟の揺れは続いていた。その度に降り注ぐ落石で穴はどんどん狭まっていく。
「まったく何をのんびりしてんだか」
エイダを背負ったまま面倒くさそうに風真が言った。
その様子にリディアが腹を立てる。
「何いってんのよ! 大体あなたジョニーの友達なんでしょ? 少しは助けに行こうとか思わないわけ?」
「はぁ? いつから俺があんな奴の友達になったってんだ。大体そもそも俺の邪魔をしてきたのはあんにゃろうだろうが」
風真の答えにリディアは、はぁぁあ……と深い溜息を吐き出し。
「小さい男」
と侮蔑の表情で呟いた。
「な!? 誰が小さい男だこら!」
「そうだ! あなたトロル相手にあれだけ戦えたんだから腕だけは立つのよね? その変わった剣でこの岩の山吹っ飛ばしちゃってよ」
風真の文句に聞く耳も持たず、リディアが自分の案を言い放った。
「くつ……! ったくこの女は……大体俺の技はそんな事の為に磨いてんじゃねぇ!」
「何言ってんのよ! 元はと言えば貴方がのんびり戦ったりしてるからいけないんでしょ! さっさとここから出ていれば何の問題もなかったんだから!」
リディアの言い分は尤もな話でもあり、風真の背中に乗っているエイダも、全くじゃ、と頷いている。
「あぁ、もしかしてぇ」
目を細め、腕を組み、半身の状態で、リディアが更に言葉を続ける。
「風真ってば本当はここを壊すことなんて出来ないんでしょう? だったらそう言えばいいのに。見栄を張っちゃって格好悪~い」
「な……ぐ……あ」
矢継ぎ早に出てくるリディアの挑発めいた言に言葉を無くす風真。苦虫を噛み潰したような表情で呻くような声音のみが口から漏れてている。
「きゃっ!」
その時、再び洞窟内に激しい揺れ。そして岩穴からはトロルの叫びが轟いてくる。
「やだ! また穴が!」
そして、再度生じた落石が更に穴を狭めていく。既にその大きさは四分の一程度である。
「もう! とにかく無茶でも何でもその剣でこれを破壊できるか試してよ!」
リディアの言葉に風真が一度髪を掻き毟った後。
「ったく。大体これは刀だってんだ。まぁいい、とりあえずあの野郎の事が心配だってんならそこを少しどけな」
言って風真が顎をしゃくった。横にずれろという意思表示なのだろう。
「やっとやる気になったの? だったら急いで……」
「別にわざわざ俺がそんな事をする必要はねぇんだよ」
言葉を被せてきた風真に、はぁ? とリディアが表情を曇らせたその時――
右手でハットを押え付けながら飛び込んでくるジョニーの姿がリディアの瞳に映る。
「ジョニー!」
安堵の表情でリディアが叫び上げるのとほぼ同時に、ジョニーは左手を地面に付け、まるでバネの様に腕を屈伸させ跳ね上げた身体を反転し見事に足から着地を決めた。
「ふう……やれやれだ」
見事、あの場から脱出を遂げたジョニーが額を拭い表情を緩める。
「ジョニー……よかったぁぁ」
彼の無事を確認し、リディアが胸を撫で下ろした。表情が緩みすっかり安心した様子。
だが、ジョニーの傍へと脚を踏み出した、その時。
重苦しい音と共に、一気に岩が崩れ落ち穴を完全に塞いでしまった。
「これは間一髪だったねぇ」
両眼を丸くさせ眉を広げるジョニー。
確かにあと一歩遅ければ脱出は不可能だったであろう。
「ケッ、運のいいやつだ」
眉を顰め悪態をつく風真。
だが、運だけで助かったわけでは無いことは彼自身が良く判っていた事でもある。
だからこそジョニーが戻るタイミングがはっきり掴めたのだ。
そしてジョニーは着衣の埃を落とすように何度かその身を叩き。
「でもこれで、もうここに入ることは出来ないねぇ」
エイダに視線を向けながらジョニーが述べた。
「ふん、おい! もういいから降ろさんか!」
するとエイダが背中の上から右手の杖で風真の頭を小突き怒鳴り散らす。
「痛! 何すんだババァ!」
「全く口の聞き方の知らない男だよ。ほれさっさと降ろせ!」
更に数度頭を小突くエイダを、風真は舌打ちしながら地面に降ろす。
「お婆ちゃん大丈夫なの?」
「なぁに……これぐらい――イタタ……」
言って腰を伸ばそうとするが、表情を歪ませエイダは杖に寄りかかる。やはりまだかなり辛そうだ。
「ほら無理しちゃ駄目だって」
「ふん! いくら腰を痛めてるっていっても、こんな奴の助けなんて借りたくないわい」
「ケッ! 言われなくたってもう助けてなんてやるかよ」
あからさまに不機嫌な表情で風真が言葉を返す。
「はぁ、もうしょうがないわねぇ。でもその腰じゃあここから歩いて行くのは無理そうだし……」
リディアが顎に指を添え困ったような表情でそう言った。
「おい! お前!」
すると、エイダが身体の向きを変え、ジョニーに向けて杖を突きつける。
「うん? おいらかい?」
エイダの持つ杖に指し示されたジョニーは、自分に人差し指を向けながら返事した。
「そうじゃ。確かジョニーとか言うたな、ちょっとこっちまで来て背中を貸さんか」
名指しされたジョニーは一度ハットの位置を両手で直し、エイダの下へ歩み寄ると、
「エイダちゃんに頼まれたら嫌とは言えないねぇ」
と軽い感じで答え、背中を向け屈みこむ。
「いい加減ちゃんとか言うのはやめんか!」
するとただでさえ多い皺を眉間に寄せ集めながら、エイダがジョニーへ文句を言った。
「判ったよエイダ。年配者の言うことは聞かないとねぇ」
ジョニーの返事を受け、エイダは、全く……と一言呟きジョニーの背中に身体を預ける。
その時、リディアが腰に装着しているポーチから鈴の音が聞こえて来た。
ジョニーはこの洞窟に入る前のリディアの行動を思い出す。
きっとナムルからの定時連絡なのであろう。最後に鈴形の魔導具をリディアが振ってから結構な時が経ってしまっている。
洞窟内では外の様子は判らないが間違いなく日も沈み辺は闇に包まれている頃であろう。ナムルが心配して連絡を取ってくるのは必然と言えた。
リディアは徐にポーチから魔導具を取り出し、以前行ったのと同じように鈴を振り連絡を返した。そして更に続けざまにシャンシャンシャン――と小刻みに鈴の音を震わせる。
「うん。これでよしっと」
リディアの行動に目をやりながらエイダを背負いジョニーが立ち上がる。
そしてジョニーが口を開き、
「ナムルに連絡したのかい?」
とリディアに訪ねた。
「えぇ、お婆ちゃんを無事見つけた事も一緒にね」
恐らく先ほどの細かい鈴の音がエイダを見つけたという合図なのだろう。
「だったらさっさとこんなところ出ちまおうや。これ以上特に何もねぇんだろ?」
風真がげんなりとした表情で言った。
先ほどの戦いも中途半端に終わってしまった事ですっかりこの場に興味を無くしてしまっている。
「そうだね。連絡したとは言えナムルも心配してるだろうし……でも」
そこで一旦言葉を切るリディア。視線をエイダに移し少し声を小さめに。
「残念だったねお婆ちゃん。折角楽しみにしてたキノコ採り損ねちゃって」
と話を繋げ、残念そうに眉を落とした。
「なぁに、恐らくその心配は無用さぁ」
すると、意味深な笑みを浮かべジョニーがリディアに告げる。
その言葉にリディアが「え?」と目を丸くさせた。
「なんじゃ気付いとったのかい」
すると、ジョニーの背中の上でエイダが呟いた。
「おいらも鼻は良い方なんでね」
ジョニーは、自らの鼻を指で突っつき、ニヤリと笑みを浮かべる。
「ふん」
すると一つ鼻を鳴らし、エイダがリディアにも見えるようローブの片側を広げた。
エイダの羽織っているローブは内側がポケット状になっており、その中には白いキノコが詰めれるだけ詰まっていた。
「袋はあそこで落としてしまったからねぇ。いつもよりは量が少なくなってしまったのは残念だけど、まぁ収穫なしよりはマシだろうさ」
「全くお婆ちゃんってばしっかりしてるわね」
エイダの強かさに、思わずリディアも微苦笑を浮かべた。
「さて、とにかくここを出ちゃわないとね」
言ってリディアが先頭を切って歩みだす。その後にエイダを背に載せたジョニー、風真と続く。
何はともあれ、エイダも無事救出することが出来た。
あとは下山しナムルを安心させるだけである。
すると、ふとリディアの後ろを歩くジョニーが両眼を瞬かせ辺りをみやる。
先ほどからずっと、皆の周りを白い球体が数個空中で漂っているのだ。
そのおかげかリディアのランタン無しでも周囲は随分と明るい。
「そういえばさっきから回ってるこの球体はなんだろねぇ?」
「あん? そういえばさっきのあの穴から出たあたりから出てたなこいつ」
後ろからそう風真が答えると、リディアが振り返り両手を広げ述べる。
「これは光の精霊よ。お婆ちゃんの得意な精霊魔術ね」
リディアの説明を受け、ジョニーが感心したように両眉を広げる。
「なるほどね。これも魔術って奴の一種なんだねぇ」
「そういえば前に似たようなの見たなぁ。魔導具だったか? そんなんで」
後ろから風真が呟く。件の森で始めてシェリーの魔導具を見た時の事を言っているのであろう。その言葉でジョニーもその時の光景を思い出してみる。
確かにシェリーが魔導具で言語を共有させた際も光球は浮かび上がっていた。だがこれはその時の物よりは数倍大きい。
ジョニーはそっと光球に手を翳してみる。ほんのりと暖かい感触が肌に伝わる。それは人の体温のような命の暖かさであった。
「光の精霊ねぇ……」
「気になるのかい?」
そっと呟くジョニーに背中からエイダが問いかけた。
「うぅん。まぁとりあえずはここを出るのが先決だねぇ」
エイダの言うとおり、精霊というものに興味を惹かれたが、ジョニーはエイダに笑顔で返し。
「何せまた来た道を戻らないといけないわけだしねぇ。とりあえず暗闇は回避できそうだけど、あの道を下るのは結構骨が折れそうさぁ」
ジョニーが苦笑混じりにそう話すと、リディアが顎に指を当て。
「う~んでも多分――」
と呟くように言って後ろを振り返り。
「帰りの方がかなり楽になると思うわよ」
そう満面の笑みで言いのけたのだった――