第二十七話 謝罪の一撃
「ね、ねぇ、ここもしかして崩れてきてない?」
リディアが頭上を見上げながら不安そうに口にする。
トロルが暴れまわる事で天井が崩れてきているのだ。
鍾乳石は勿論の事、岩の破片も雨霰の如く辺りに激しく降り注ぎ始めている。
「ふん、ここはずっと昔から存在し続けているんだ。これぐらい平気じゃろう」
エイダがそうきっぱりと言い切った。が、その直後、三人が入ってきた岩穴を塞ぐように落石が生じ、穴の三分の一程を塞いでしまう。
「……どうやらあの辺は地盤が緩くなってきていたようだねぇ」
「ちょっとお婆ちゃん」
「ふ、ふん! こういう事だってあるわい」
「って、そんな呑気な事言ってる場合じゃ無いじゃない! ジョニー? これって何か策があってやったのよね?」
リディアが慌てた様子でジョニーに問いかけた。
何せ今トロルが暴れまわっているのは、ジョニーの所為による影響が強い。
「まぁ一応は、ただこれは計算外やねぇ」
しかしさくっとジョニーは返し、肩を竦めた。
「ちょ! どうするのよ! このままじゃ私達ここに閉じ込められちゃうじゃない!」
リディアの抗議に苦笑いを浮かべるジョニー。だが、その時。
「おいてめぇ! 一体何してやがんだ! 余計な手出ししてんじゃねぇよ!」
風真の怒声がジョニー達に向かって放たれた。
すると激昂する風真の姿に、予想通りと言わんばかりにジョニーが両眉を広げる。
「悪いねぇ旦那、こっちもそう悠長な事を言っている場合では無いのさぁ」
ジョニーの返答に、眉間に皺を寄せ不快を顕にする風真。
すると洞窟内に再びトロルの咆哮が響き渡る。その両眼は既に再生されており鼻と耳を小刻みに動かしながら左右を見回す。
「いいか! てめぇこれ以上俺の邪魔を――」
状態が回復しつつあるトロルの姿を一瞥し、ジョニーに向かって風真が声を荒げるが、全てを言い切る前に銃声が再び洞窟内に木霊した。
再度トロルの雄叫びが辺り一面に広がった。放たれた弾丸が再びその双眸を貫いたのだ。
「てめぇ! いい加減にしやがれ!」
思わず叫び上げる風真。その表情は怒りに満ちている。
「なぁ旦那、一つお願いがあるんだけどねぇ」
「なっ!? てめぇふざけんな!」
しかし風真の言葉を無視し更にジョニーは話を続ける。
「このままじゃ出口が塞がっちまって全員が閉じ込められちまうのさ。だから動けないエイダちゃんとリディアを連れて一緒に脱出してやってくれないかい?」
平然と自分のの要求を突きつけるジョニーに、怒りの収まらない風真が口を開き、
「てめぇ勝手な事言ってんじゃねぇぞ! 大体こっちはまだ奴との決着も付いてねぇんだ!」
と怒鳴り上げた。
だがそんな風真の姿をみやりながらも再びジョニーが口を開く。
「へぇそうかい。だけどその肝心の相手はとても戦える様子じゃ無いけどねぇ」
「だからそれはてめぇが……」
「悪いが旦那が何を言ってもここを無事脱出するまで、おいらは攻撃を止める気はないさぁ」
「なっ!?」
相変わらずの口調でジョニーが言い切ると風真が短く絶句した。
「さぁ、どうするんだい? このまま黙って見ていてもただ無意味に時間が過ぎて閉じ込められるだけだぜ。それとも弱ってるトロルに構うことなく戦いを続けるかい? まぁおいらは旦那がそんな器の小さい男だとは思いたくないけどねぇ」
両目の痛みに耐えかねるように、トロルの暴れは激しくなる一方であった。激しく続く振動と共に岩穴近くに岩塊が崩れ落ち、少しずつ穴を狭めてきている。確かに悠長に事を構えてる場合では無い。
「くっ……てめぇ! 覚えておけよ!」
大口を広げ風真が言い放った。その言葉を受け、
「へいへい、覚えていたら覚えておくさぁ」
と軽口を発するジョニー。
すると風真は、一直線に三人の立つ足場近くの岩壁に向かった。
得意の脚さばきで瞬時に移動すると、岩壁の凹凸部に手を掛け一気によじ昇っていく。
「凄い、まるで猿みたい……」
風真の姿を見て思わず呟くリディア。
「誰が猿だこら!」
そしてあっという間に岩壁を昇り詰めた風真が、顔を覗かせ叫んだ。
「やだ。聞こえてたんだぁ」
と苦笑するリディア。
岩場に乗り上げ、チッ、と舌打ちし風真がジョニーを一度睨みつける。が、ジョニーは気にする事なく。
「じゃあ風真の旦那。宜しく頼んださぁ」
と言いのけた。
風真は怪訝な表情で、くそ! とぼやきながらも、エイダの近くにより背中を向け腰を落とす。
「ほらババァ、さっさと乗んな!」
「ふ、ふざけるでないよ! 誰がお前の世話になんかなるかい!」
腰を痛めながらもエイダは大声を上げ断固拒否の態度を示す。
どうやら風真は相当エイダに嫌われた模様だ。
「お婆ちゃん、気持ちはわかるけどここは我慢して、ね?」
「嫌じゃ!」
リディアの願いも虚しくエイダの頑固な態度は変わらない。
「エイダちゃん。頼むから言う事聞いておくれよ。いい加減ここも限界だしねぇ」
「お前! いい加減そのちゃんと言うのは止めんか!」
文句を言ってるようで密かにエイダの両頬は紅い。
「えぇい! 面倒くせい!」
そんなやり取りに耐え切れなくなったのか、声を荒げ、風真が無理やりエイダのローブの襟を掴みあげ、ひょいと強引に背中へ乗せた。
「こら! 何するんじゃ! やめんかこの!」
叫びながら杖で風真の頭を何度も小突くエイダ。
「痛えんだよクソババァ! ったくしっかり捕まっとけよ!」
背中のエイダに文句を言いつつ、風真が岩穴目掛け駆け出し、リディアも後に続く。
見ると既に穴は半分以上塞がっていた。だが、構うことなく風真はエイダを背負ったまま飛び込み岩穴を抜ける。
リディアもそれに続こうと岩塊に脚を掛けるが――その時後ろにジョニーが来ていないことに気が付く。
「え? ジョニー?」
ジョニーの姿を探し辺りを見回すと、彼は未だそこから離れた岩場の上で佇んでいた。更によく見ると、再び瞳を再生させたトロルがジョニーへと近づいていっている。
「やだ! ジョニー何してんのよ!」
リディアが声を大にし呼びかけるが、ジョニーは体勢を変えることなく声だけ発し。
「悪いけど先に出てくれ。やっこさんを食い止めてからすぐ向かうからさぁ」
面前に迫り来るトロルから視線を逸らさず、背中でそう告げた。
「ちょ! 食い止めるって……」
「おい何やってんだ! 早く出ろよ!」
言って風真が身を乗り出し、リディアの身体を掴み力強く引き上げた。
「やだ! でもジョニーが!」
リディアの訴えを聞き風真が、あん? と言葉を発し、視線をジョニーへ向ける。
「チッ、あんににゃろ……俺の獲物取りやがって」
一言呟き更にリディアに向かって、
「あいつは大丈夫だろうよ。好きにさせとけ」
と告げ更に力を込め一気にリディアを穴から引き出した。
◇◆◇
トロルの咆哮がジョニーの鼓膜を震わせる。
貫かれた両眼は既に再生しているが、今まで感じた事もない苦痛を負わせられた事でトロルの表情は怒りに満ち溢れていた。
そして他の三人を先に逃がし、ジョニーは一人トロルと対峙している。
嗅覚が敏感なトロルである。その怒りの矛先は硝煙の匂い漂わせるジョニーに向けられている事は明らかであった。
トロルはその巨大な歯牙を口内から覗かせ、ギリギリと激しく噛み締める。
そして、巨大な腕を振るい引き抜いた岩筍や辺りの岩石を手当たり次第ジョニーに向かって投げつけた。
ジョニーが危惧したのはこれであった。もしジョニーも一緒になって逃げていたなら、この投擲がどこに向かって放たれるか判らない。
怒りにまかせてトロルは辺りのものを投げつけ、更にその距離も縮めていく。
ジョニーはそれらの攻撃を華麗なステップで全て躱していく。そも身のこなしは風真にも負けてはいないだろう。
とは言え、あまり時間は残されていない。先ほどの咆哮で再び起きた落石によって更に岩穴が閉じられている。
一発、二発とトロルの投撃を躱し、ジョニーは三発目を後ろに飛び跳ね躱す。
その時――トロルの豪腕が空中漂うジョニー目がけ撃ち放たれた。
ジョニーの背中には岩壁。このままでは岩と拳によるジョニーのサンドウィッチが出来上がってしまう事だろう。
勿論ジョニーもこんなところで具材になるつもりなど毛頭ない。だが拳は刻一刻と近づいてきている。
するとジョニーが後ろの岩壁に右足を掛け力強く蹴り飛ばした。
その勢いで斜め下に飛び出し、拳の軌道上から見事に回避する。
と、同時に耳を貫く轟音。空中で身を翻し、着地ジョニーの瞳に映るは岩壁に完全にめり込んだトロルの右拳。
冷や汗がジョニーの身体を伝った。あんな物をもし喰らっていたらサンドイッチの具どころでは済まない。
ふと、トロルの鼻と耳が動き、その顔がジョニーへと向けられた。その一瞬の間をジョニーは見逃さなかった。
「全く、お前さんは何も悪くないというのにこんなに痛めつけちまって悪かったねぇ。だけど――もう一撃だけ我慢してくれ」
ジョニーが呟くように言うと、三度銃声が洞窟内に鳴り響いた。その瞬間、双眸を貫かれたトロルの悲痛の叫びがジョニーの聴覚を刺激する。
「悪いね、だけど恨むなら――おいらだけにしておいてくれ」
そして叫び続けるトロルへそう言い残し、ジョニーは踵を返し、まだ僅かに隙間が覗く岩穴へと向かった――