第二十五話 一撃必殺
「なんだい? どうなってるんだいあれは?」
遠目から見ていたジョニーがハットに手を当て目を丸くさせる。
その下では風真も驚いたような表情を覗かせていた。
「全く……無駄な事をしおって。トロルの再生能力の事も知らんのかい」
するとジョニーの横で同じように見ていたエイダが言葉を漏らした。
「再生能力?」
ジョニーが顔を横へ向け反問した。だが直後に発せられたのはエイダの声ではなくその斜め後ろのリディアの、あ!? という驚きの声。
その声を受けジョニーの視線が再び下の岩盤へと向けられた。視線の先に映るはトロルが右脚を上げ今まさに風真へ振り下ろそうとしているところである。
刹那。再び洞窟は激しい揺れに見舞われる。先ほどに比べれば、まだなんとかそれぞれ立っていたれる程ではあるが、それでも岩盤に刻まれる巨大な足型と舞い散る岩の断片がその威力の大きさを物語っていた。
「やだ……あれじゃあ今度こそぺしゃんこに……」
口元に手を当てながら呟くようにリディアが言う。
それを聞いていたジョニーが、蛙のように潰れた風真の姿を想像し思わず苦笑を浮かべる。
勿論本当に潰れていたら笑っている場合などでは決して無いのだが、ジョニーはしっかりその眼に捉えていたのだ。
トロルの脚が地面へと振り下ろされたその瞬間、前方に飛び出した風真の黒い影を――
「全くゴキブリ並に素早い奴じゃ」
横から呆れたようにエイダが言い放った。
ジョニー達の眼下では、トロルの震脚を躱し、一旦距離を離した風真が、より一層険しい目付きで獲物を睨めつけている。
「そこの馬鹿餓鬼! いい加減、無駄な事はやめんか!」
すると、突如エイダが顔中の皺を上下に揺さぶりながら風真に向かって声を荒げた。
その言葉を受け風真が声の方へ顔を向け、眉を顰め。
「誰が馬鹿だ! クソババァ!」
洞窟内に響き渡るほどの大声で風真が怒鳴り返した。
「クソバッ……!?」
その言葉に思わず絶句するエイダ。
その様子を見ていたリディアが苦笑いを浮かべ。
「ちょっと風真! トロルには再生能力があるからそんな攻撃じゃ無駄よ」
と声を大にして言った。
「あん? 再生能力だぁ‥‥‥?」
風真は眉を寄せ一瞬考えるが。
「上等じゃねぇか、だったら――」
と言って口角を吊り上げる。リディアの説明を聞いても諦めるような様子は無く、寧ろ状況を楽しんでいる様だ。
「っく、馬鹿が、何をしたって無駄に傷つけるだけじゃと言うのに‥‥‥」
顔を歪ませエイダが言った。その言葉からは風真の事よりもトロルを気にかけている様に見受けられる。
そうこうしてるうちに洞窟内が再び大きく震えだし、風真は震源地となる獲物の方へ視線を戻す。
その先ではトロルが鼻をヒクつかせながら風真の下へと歩みを進め始めていた。
巨大な二脚を一歩一歩踏みしめ、風真との距離を詰めていく。
「へっ――そうこなくちゃな!」
一人滾った声を上げると、風真は再び腰を落とし構えを取る。
「ちょ、もうあいつ何考えてるのよ! どんなに斬ったって再生するんだから意味ないじゃない」
言ってリディアがジョニーの方をみやった。だがジョニーは顎に手を添えながら一人何か考えているようである。
「ちょっとジョニーからも何とかいってやってよ」
腰に手を当てながらリディアが言うが、ジョニーは、
「うん? あぁそうだねぇ……」
と空返事だ。
するとトロルが右腕を下から後方に向かって振り上げ始める。風真との距離は大分縮まっているがそれでも位置的にはトロルの腕が届くほどではない。
思わず風真はトロルの動きを見据え身構える。
一瞬背中より後ろで動きを止めたトロルの腕がぐっと膨れた。力が込められる事で筋肉が盛り上がったのだ。手首の先では右手が完全に開かれ掌が顕になっている。
――刹那。
トロルの右腕が空気を切り裂きながら振り下ろされる。その動きは見た目に反してまるで鞭のようにしなやかであった。
関節の可動域の広さは、予想以上にトロルの身体が柔らかいことを表している。
振り下ろされたその右腕は躊躇うこと無く地面へと突き進み、地へ食い込んでいく。
すると硬い岩盤がまるで砂でも相手にしてるが如く、あっさりと右指の第三関節部まで一気に食い込んだ。
そして巻き込んだ岩ごと一気に風真の方へ向け腕を振り抜く。その動きに連動してトロルの猛撃によって粉砕された岩盤が散弾の様に風真に襲いかかった。
先程見せた石筍による点での攻撃とは違い今度は波状に広がる面での攻撃である。風真とは言えこの攻撃を完全に避けきれるものでは無い。
だが風真がそこでとった行動はあえて避けないという選択であった。
風真は少し身を斜めに構え前屈みになると。足先に貯めた力を一気に開放し前方へと飛び出した。
退くのではなくあえて前に出ることで風真は迫り来る礫の威力を殺したのである。
直撃を避ける為、両腕で前を防ぐようにしながら腕の間から目標地点を見据える風真。
その狙い通り、風真の両足は振り抜かれたトロルの二の腕に降り立つ。
岩のように硬いその肌は足場としても申し分なく、風真は降り立つと同時に一気に腕を駆け上がって行った。
そして、風真が肩口まで登りつめたところでようやくトロルも異変に気付く。
そして虫でも叩き潰すかの如く左手を振るうが、風真の動きの方が一歩早く、その一撃はただ自らの肌を叩きつけただけで終わる。
風真はというと、いち速く上空へと飛び上がりトロルの耳たぶに掴みかかった。
「な……なんじゃ? あやつは何をするつもりなんじゃ?」
様子を見ていたエイダが疑問の声を上げた。
その姿を横目に、横で佇むジョニーが顎に手を添えながら、
「なぁエイダ、あのトロルの再生能力って言うのは、例えば死に至るような一撃を喰らったとしても平気だったりするのかい?」
と問いかけた。
「馬鹿いうでない。再生能力といっても不死身ってわけじゃあるまいし……」
そこまで語ったところで何かに気が付いたように口をつぐみ、風真の動きに着目する。
目の前では既に耳の上に這い上がった風真がトロルの頭頂部へと登り詰めたところである。
「師匠、あの技……試させて貰うぜ!」
一人囁くように言いながら、風真は雷神へと手を伸ばす。
トロルの頭上で両足をしっかり踏みしめ、絶妙なバランスを保ちつつ、背中を少し反らせ雷神の鋒をトロルの頭の中心に向け、風真が突きの構えを取る。
「行くぜ! らい――」
「止めんか! この馬鹿者がぁぁあ!!」
風真が、今正しく技を繰り出そうとしたその瞬間、エイダの咆哮が風真の耳を貫いた。
一体この小さな身体のどこからそんな声が出たのかとジョニーが一瞬目を丸くさせその姿を見やる。
エイダは叫び上げたあと腰に手を当て、イタタ……と呟き身体を丸くさせる。かなり無理はしていたようだ。
そしてジョニーが再び視線を戻すと、風真も目を丸くさせ動きを止めていた。眉間には皺がより、呟くように、
「なんなんだってんだあのババァ……」
とぼやいた。
「ちょ!? 風真危ない!」
突如リディアの叫びが洞窟内に木霊する。
風真が動きを止めた事で生まれた隙をつくように、一対の巨壁が左右から風真に迫る。トロルが挟み込むようにその巨大な腕を振るったのだ。
「――ちぃぃぃぃ!」
風真が叫び上げながら、トロルの猛襲を頭上へ飛び躱す。だがトロルは挟み込んだ両の掌をギリリと握りしめ振りかぶった。
空中で奥歯を噛み締めながら、風真はその一部始終を刮目する。
――刹那、巨大な岩石のような両拳が風真目掛け一気に振り下ろされた。
「くそ!」
苦虫を噛み潰したような顔で一言発すると同時に、風真は空中で身を翻す。そして迫り来るソレの動きに合わすように右脚でその手を蹴り飛ばした。
この状況では、下手に抗うよりはその一撃を甘んじて受け入れる事が得策と風真は判断したのだ。力の流れに逆らわず、逆に利用することで直撃によるダメージは軽減される。
しかし、身体へのダメージは軽減されるも叩きつけるような一撃により、風真の身は加速度を増し地面へと落下していく。
この勢いのまま岩盤に直撃するような事があれば只で済む筈もない。
風真は何とか体勢を立て直そうと、その身を揺り動かすが重石のように空気がまとわりつき思うように行かない。
そうこうしてる間にも風真の身体はグングンと地面に向かい猛スピードで落下していく。流石の風真の表情にも焦りが見えてきていた。
その時――
突風が洞窟内を駆け抜けた。その風圧により岩盤に直撃する寸前で風真の身が浮き上がる。
風真は一瞬目を丸くさせるが、浮き上がった身体を回転させ見事に地面に着地して見せた。
しかしその顔はまるで狐につままれたようである――