第二十四話 風真対トロル
エイダの元へと急ぎながらも、ジョニーは眼下で繰り広げられている風真とトロルの行動に気を張り巡らせていた。
だが、幸いにも二人がエイダの元へ駆け寄る間にトロルの意識が風真から離れる事は無く、双方の攻防は続いている。
「お婆ちゃん! 大丈夫!?」
声を上げたリディアが心配そうにエイダの傍へと寄った。
するとエイダが苦悶の表情を見せながらも顎を上げ、孫のリディアを認める。
「リ……リディアかい?」
エイダはやってきたリディアの姿に目を丸くさせた。
まさかここまでやってくるとは思ってもいなかったのだろう。
そんなエイダは、エラの張った顔立ちに多数の皺が刻み込まれており、リディアの年齢を考えると少々老けこんでる印象だ。
そしてエイダは、少し窪んだ瞳の中の極端に小さな黒目でリディアとジョニーを交互にみやる。
特に初めて見るジョニーに注意を払っているようだ。
「お婆ちゃん安心して。この人はジョニーと言って、お婆ちゃんを探すのに協力してくれたの。十分信用できる人よ」
宜しくさぁ、とハットを押し上げつつ挨拶する。
しかし、ふんっ! と鼻を鳴らしエイダは訝しげにジロジロとジョニーを見やった。
「それにしてもお前、なんでこんなとこまできたんだい」
「なんでって、おばあちゃんの帰りが遅いから心配してきたんじゃない。ナムルも凄く心配してたんだから」
「ふん! たかだかキノコを採りにきたぐらいで心配されるなんてねぇ……アイタタタ」
腰を押さえるように手を当てたエイダの顔が苦痛で歪む。
「嫌だ! お婆ちゃん大丈夫!?」
咄嗟にリディアがエイダの身体を支えた。瞳を細め心配そうにエイダの顔を見つめる。
「はぁ……全く年は取りたくないもんだねぇ。ここまで来たまではよかったけどアレに遭遇してしまってね。すぐにでも立ち去ろうと立ち上がったらこの様さね」
リディアに身体を預けながら溜息混じりに言葉を吐くエイダ。
ジョニーも心配気にエイダを見ている。するとエイダが訝しげな表情で再度ジョニーをみやった。
「ふん。こんな見た事もないような者の助けまで借りるハメになるとはねぇ」
言いながらもエイダの目付きは厳しい。リディアの説明だけでは信用しきれてないって感じだろう。
「まぁまぁ、困ってるレディを助けるのは紳士の嗜みってものさぁ」
初対面にも拘らずジョニーの態度は相変わらず軽く、その言葉にエイダも思わず目を丸くさせる。
しかしジョニーは構わず更に、
「だけどあんなのがウロチョロしていたのに良く無事でいれたねぇ」
と大きなリアクションで両手を振り上げ言葉を続けた。
「ふん、腰を痛めたとは言え自分の気配を消す術ぐらいはまだ使えるわい」
丸くさせていた目を細め、ジョニーを睨めつけながらエイダが答えた。
それに対しジョニーは指先でハットを軽く押上げ微笑む。
そんなジョニーのどこか掴みどころの無い雰囲気に、エイダは戸惑いの色を覗かせるが、悪い男では無いと判断したのかその表情が若干緩まる。
「ねぇジョニー。お婆ちゃんもこんな状態だし早くここから抜け出そうよ」
リディアがジョニーに顔を向け急すように伝えた。
「まぁ確かにそうした方が良いんだけどねぇ……」
返事を返しつつ後頭部に手をやり、困ったような表情を覗かせるジョニー。
そのはっきりしない態度にリディアが眉を寄せ、
「もう! どうしたっていうのよ!」
と強い口調で行った。
「いやぁ……こっちは良くても旦那がねぇ……」
そう言ってジョニーが下方の岩盤へと目を向ける。
その視線の先にエイダも気付き、預けていた身をリディアから放した。
「ちょ……お婆ちゃん!」
リディアの心配を他所に、エイダは杖に体重に掛けるようにして足場の縁まで向かう。
そして下の様子に目を向けた。
「なんなのだあの男は。あれもお前の連れか?」
眼下で繰り広げられている戦いを一瞥し、エイダはジョニーの方へ振り返り尋ねた。同時に数多の皺が一気に眉間に寄せられる。
「まぁ成り行きだけど今は一緒に行動してる感じだねぇ」
ジョニーは相変わらず戯けたようにいうが、エイダは厳しい顔つきのまま口元の皺を激しく伸縮させ、
「だったらさっさと馬鹿な事はやめさせい!」
と怒鳴り散らした。
そのまま睨み続けるエイダに目を向けながら、ヤレヤレと言わんばかりに後頭部を摩りジョニーも足場の縁まで脚を進める。
ジョニーは左右の手を筒のようにして口元まで持っていき、絶え間なく動き続ける風真目掛け、
「おぉい旦那ぁ! エイダも無事保護したしそろそろ戻らないかぁい?」
と叫んだ。だが風真は一切動きを止めようとしない。
隣ではエイダが、
「保護とはなんじゃ! 別に助けて欲しいなど頼んどらんわい!」
と文句を言っていたがリディアが、まぁまぁ、と窘めている。
下層の岩盤では、ジョニーの問い掛けに一切耳を貸すことなく目の前の獲物に集中している風真の姿があった。
しかし、風真が獲物と捉えれているトロルとは暫しの均衡状態が続いている。
トロルは、暫く動き回る風真に向け岩筍による投擲を続けたが、それらが尽く躱された事により攻撃の手を一旦止め、風真の動きを観察し続けている。
だがそれは風真も一緒であった。
トロルの一挙手一投足に瞳を凝らし、一定の距離を保ち様子を見続けている。
風真がその手に握るは風神の柄。居合による必殺の一撃を叩き込むつもりだ。だが風神が長尺の刀とはいえ、巨大なトロルのリーチに敵うはずも無い。
その時。唐突に風真の動きが止まった。あと半歩踏み込めばトロルの攻撃範囲内に入る位置である。
それは明らかな誘いであった。トロルの攻撃を誘発させ、一気に懐に飛び込む算段である。
そして風真の狙い通り、動きを止めた風真へトロルが顔を向け行動を起す。だがそれは半分は狙い通り。だがもう半分は予想だにしなかった現象。
一瞬風真の視界からトロルが消えたのである。と、同時に辺りを黒い影が覆う。
「やばいぜぇ……二人とも衝撃に備えるんだ!」
ジョニーが叫んだ。その瞳は大きく見開かれていた。正しく驚愕といった表情である。
そして、その瞳に映るは、まるで山が動いたかのような情景。緑一色の巨体が跳躍する様であった。
トロルの頭が天井の鍾乳石に触れるすれすれで止まった。
直後、一気にその山が地面目掛けて落下する。
――刹那、訪れるは先程まで感じていた揺れとは比べ物に成らない程の衝撃。
地響きとともに洞窟全体が激しく上下し、吊り下がっていた鍾乳石がまるで雨霰の様にその場に降り注ぐ。
勿論それはトロルの身にも容赦なく襲い来るが、岩のように頑強な肌には皮一枚傷つく事が無い。
天地が引っ繰り返った様な轟音と共にトロルの下半身に生える巨木が地に付く。辺りには岩盤の破片が飛び散り、灰白色の煙が巻き上がっていた。
トロルの身が降り立った位置にはまるで恐竜のような足跡と、数本の亀裂が稲妻のような形で放射状に刻み込まれている。
「やだ、風真ってばもしかして潰されちゃったとか?」
衝撃によって屈みこんだ状態でいたリディアが声を発した。そのまま立ち上がりトロルの足下辺りに目を凝らす。
いまだトロルの周囲は灰白煙が燻っていたが、徐々にそれも消えていき――
「――どうやら大丈夫だったみたいだねぇ」
リディアと同じように目を凝らしていたジョニーが安堵の声を上げた。
ジョニーは視界が開けたその場所に風真の姿を見た。
風真はトロルの強烈な落撃が迫り来る瞬間、即座に回避し、降り注ぐ岩の雨をも掻い潜りトロルの背面に移動していたのだ。
持ち前の勘の鋭さで、訪れる脅威を難無く乗り越えるその才覚には、百戦錬磨の達人すらも舌を巻く事だろう。
そしてトロルの後方に付いた風真の視線の先には緑色の巨足が聳え立つ。一点を集中するように瞳を光らせ風真が風神に手を掛けた。
「あの位置、狙いはわるかないねぇ。だけど……断ち切れるのか?」
すると、風真の体制から何かを感じ取ったようにジョニーが呟いた。
ジョニーの視線の先では、【旋風】! の掛け声と共に抜刀した風真が、トロルの左脚目掛け斬りかかる。
刃は、唸りをあげる腰回転と共に弧を描き突き進んでいく。
そして、洞窟内の光を受けた刀身が青い軌跡を残し、トロルの左脚側部へ直撃した。
問題はそこからであった。ジョニーの心配通り、岩のように硬い肌に覆われた野太い脚部である。いくら風真の剛剣といえど断ち切れるものなのか――
だがそんな一抹の不安も杞憂に過ぎなかった。
腰から回転させ、身体全体で振るった一撃は途中留まる事なく肉を斬り筋を断つ。
刹那――トロルの左脚が崩れて行く。だがそれで終わりではない。
風真は旋風の勢いを利用し、そのまま回転しながらトロルの右脚側へと瞬時に移動する。
そして再び旋風を繰り出し続いて右脚を切りつけた。
その一部始終を見ていたジョニーが唇を尖らせ口笛を一つ鳴らす。
ジョニーの見立て通り、風真は両足のアキレス腱を狙いそして断ち切ったのだ。
トロルは見た目こそ人とはかけ離れているが、その動きは人間のソレと変わらない。身体の構造自体は人に近いのである。
おまけにあれほどの巨体であれば、一度腱を断ち切ってしまえば体重を支える事は先ず不可能。
ソレを証明するかの如く腱を絶たれたトロルの両膝が崩れかかる。
――これで決着が付く。
そうジョニーが確信した瞬間だった。
風真に斬られた両脚の傷に淡い光が溢れ出し――
断ち切られた箇所がみるみるうちに塞がれていく。そして瞬く間に状態が回復し、トロルは再び膝を上げ体勢を立て直したのだった――