第二〇話 立ち塞がる魔獣
山道を登り始めてからかなり進んだだろうか。登り進めた先でジョニー達は少し広めの空間に辿り着いた。
そこでリディアの、少し休もうか、の一言と共に軽く小休止をとる運びとなる。
「ふぅ、でもやっとここまできたわね」
リディアが一息つきながら安堵の表情を浮かべる。
ジョニーも続けて、
「いや、しかし疲れたねぇ」
とハットに手を掛けながら言った。
ジョニーが首を傾け見上げると、山の頂上と山道の終着点らしき場所が見え始めてきている。
「洞窟はあの辺になるから、ここまできたらもう少しね」
リディアが指で示しながらそう二人に伝えた。
そしてリディアは、疲れをとるように細い両足を揉みほぐし、大きく、う~ん、と伸びをした後。
「さてっと。流石に暗くなる前には洞窟まで辿り着きたいわね。お婆ちゃんも心配だし」
とふたりに向けて言った。
「だねぇ。じゃあそろそろ行くとしようか」
ジョニーがリディアの方へ顔を向け、言葉に合わせるようにしてそう返す。
そしてジョニーとリディアは小休止を終え、先を急ごうとする。
しかし風真はその場に立ち止まり動こうとしない。
「ちょっと風真。何してるのよ早くいくわよ」
リディアが両手を腰に当て風真を促すように言葉を述べた。しかし風真はそれでも動かず、だが目付きを鋭くさせ軽く上を見上げながら。
「何かきやがるな……」
そう呟くように言って、その身をジョニー達の方へ向けた。
しかし視線はその更に奥。どこか遠くを見るように、顎は若干上がってる。
「何か来るだって?」
疑問気な言葉を口にし、風真の見ている方向にジョニーも目を向ける。
刹那――上方から一つの大きな影が彼等目掛けて飛び上がった。
そして、その影は一行の行く手を遮るかのように三人の進もうとする先に降り立った。
四肢が重苦しい音と共に地に付き、ほぼ同時に、足元から砂埃が勢い良く巻き上がる。
「おいおい。こりゃまた偉いのが現れたもんだねぇ」
その異様な姿に、ジョニーがハットに手を掛けながら驚きの声をあげる。
一行の目の前に姿を現すは一匹の獣。ジョニーの知る限りでは見た目は獅子。しかし鬣は無く牝の獅子に近いだろう。
肌色は黄金色。鋭く光る丸い瞳。だが何よりも一番の特徴はその口から覗かせている二本の牙。
長さは約三十センチ。上顎から突き出るように飛び出しその形は鋭利な刃物のようである。
その獣は異様な存在感を示す双牙を光らせ、口内も剥き出しにしながら、グルル……と唸り目の前の三人を威嚇している。
「なぁ、こりゃあもしかして剣歯虎って奴じゃ無いのかい?」
ジョニーがふと呟くような声で言った。するとリディアが眉を上げ、ジョニーの方をみやり。
「え? ジョニーってば知ってるの?」
と少し驚いたように訪ねた。
「あぁ……昔立ち寄った町の酒場で出会った、自称生物学者っていう爺さんが教えてくれた事がある。器用に紙に描きながらね」
そこで一旦言葉を切ってジョニーは肩を竦めてみせた。
そして続けて更に口を開き、
「まさかこんな所でお目に掛かれるとはねぇ。彼の話ではとっくに絶滅してるって話だったんだけどなぁ」
と言ってやれやれと言わんばかりに両手を軽く広げる。
「流石に絶滅は言い過ぎだけど、この辺ではあまり現れないのよ。このレベルだとお婆ちゃんの効果は薄いし、本当……運が悪いわね……」
リディアが真剣な面持ちで言った。それぐらい厄介な相手だということなのだろう。
だがしかし、その場で動きを止め様子を伺う二人に対し、臆することなく風真は数歩前へ踊り出ていく。
「おいおい風真の旦那。あんまり前に出ると危険だぜ」
すると、ジョニーがハットに手をやりながらそう述べた。
しかし風真は、腰の刀に手をやり目の前の野獣を睨みつけながら、
「けっ! なにをそんなにびびってんだ。所詮は只の犬コロだろうが」
と堂々と言いのけた。
「とは言ってもなぁ。見てみなよあの二本の牙、あんなのにガブリ! っとやられた日にやぁ……おらぁ恐ろしくて仕方ねぇだよ」
両腕を交差するように背中に回し、震えるような動作を行うジョニー。果たしてどこまで真剣に考えているのか、その口調は相変わらず軽い。
「だったらお前らは黙って眺めてな。こいつは……俺がやる」
瞳を鋭く、猛獣をしっかり視界に捉え、風真は腰を落とし構えを取り臨戦態勢に入る。
「わかったよ旦那。やるってんなら止めはしないけど、だが気をつけなよ。とにかく正面からの攻撃には気をつけるんだ。あの牙に注意してな」
「……余計なお世話なんだよ。こんな犬コロ一匹にてめぇの助言なんて必要ねぇ」
不機嫌そうにジョニーの忠告を風真は一蹴する。
「ちょっと! 本気なの? 一人でって、それに――」
そうリディアは言いかけるが、ジョニーの言葉が途中で被さる。
「まぁここは風真の旦那を信じるとしようか……言ってもきかなそうだしねぇ」
だが、ジョニーの言葉を耳にしてなお、リディアは何かを言いたげであった。
しかしその事の葉は、目の前の野獣の動きによって遮られる。
「来る!」
その声を発したのはジョニーだった。風真は黙って獣の動きに集中している。
すると正面に見据えた剣歯虎がその身を一瞬落とし込む。
その双牙を光らせ、四足に力が込められ――
――刹那! 風真達目掛けその身が跳ねた。その身体の大きさを感じさせない驚異的な跳躍力。
高さではなく距離を行く飛走。野獣の牙が瞬時に距離を詰め風真たちへと襲いかかる。
しかし風真は慌てることなく、ぎりぎりの線を見極め軽いステップで左へと避けた。
隣にいたジョニーも風真とは逆。右に向けリディアの手を取り跳ねる。
だがしかし、リディアの口から、
「駄目! 避けて!」
という言葉が漏れる。
その言葉とほぼ同時に、サーベルタイガーの双牙が妖しく光りだし――直後、牙が伸びる! 左右に散る彼等をあざ笑うかのように左右水平に、研ぎ澄まされた正しくサーベル状の刃と化し。
「うぉ!」
風真が驚愕の表情で声を発す。と、同時に上半身を後方に大きく反らす。するとその前髪を刃が駆け抜け数本刈り取っていった。
「きゃっ!」
「ちょわっ!」
短く発すると同時にリディアは屈み、ジョニーはハットに手を掛けながら垂直に跳ねるが、ブーツのスパーに牙が擦られ、火花が舞った。
正しく間一髪といったところか。
予想外の初撃。しかし持ち前の身体能力の高さからなのか、数多の修羅場をくぐり抜けて来た経験からか、襲い来る刃を風真とジョニーは既のところで躱した。
しかしまだ終わってはいない。三人はその身を翻し身体を反転させる。
既に剣歯虎は体勢を立て直しその双眸を光らせていた。獲物を狙うその瞳に容赦は感じられない。
「チッ! 何が正面からの攻撃だけには気をつけろだ!」
思わず悪態を付く風真。
「はは……おかしいねぇ。あの爺さんはこんな牙が変化するなんて、これっぽっちも言ってなかったけどねぇ」
ジョニーが顎を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「もう! 何いってるのよ! 全然判ってないじゃない!」
リディアが目を顰め声を荒げた。彼女は最初からその事を知っていたようで、変化した牙への反応も二人に比べ一瞬早かったのである。
「いい? サーベルタイガーは魔獣なの。あの牙は伸縮自在。形状も自由に変えられるわ」
リディアは片手を振り上げながら二人にそう説明した。どうやら先ほど彼女が言いかけていたのはこの事だったようだ。
そして、その言葉に反応するように片眉を吊り上げながらジョニーが、
「それはまた偉く厄介な獣だねぇ、どうする旦那? もう……逃げちまおうかい?」
と言って苦笑いを浮かべる。
最初の一撃を躱したことでサーベルタイガーの位置は彼等の進行方向とは逆になっている。このまま逃げるように目的地に向かうのも手では? という考えもあったのだろう。
だが風真は、ふんっ、と鼻を鳴らし、再度前に出て更に言葉を続ける。
「冗談じゃねぇぜ。ここまでやって背を向けて逃げるなんて恥さらしな真似出来るかよ。それに……ちったぁ楽しめそうじゃねぇか――」
言って風真はどこか嬉しそうに口角を吊り上げた。
「ちょ、ちょっと何言ってるのよ。一人じゃ無理よ。今私も魔術で……」
その言葉途中でジョニーが左腕を広げ制した。
「まぁまぁ。風真の旦那も随分自信ありげだしちょっと様子を見てみようぜぇ」
そう言って軽くウィンクを決めるジョニー。
「で、でも……」
リディアは心配気な表情を覗かせる。しかし言った直後の風真を見つめる瞳が真剣味を帯びたのを感じ取り、それ以上は何も言わずだまって一緒に見守る事とする。
風真の視線の先では、サーベルタイガーが喉を鳴らし威嚇を続けている。その双牙は横に広がったままだ。
すると風真の瞳が獲物を狙うものへと変化した。双眸を鋭く光らせ眉を吊り上げ――
腰を落としその手を長物の風神に掛け、面前の獲物の動向に意識を注いでいる。
静かな時。暫くの間。沈黙がその場を支配した。息をする事さえ阻まれるほどの緊張感があたりに漂う――