第一九話 マナ
広い草原の中、一台の馬車が速度を上げて突き進んでいた。
馬車に乗っているのは、エイダを探すためにダグンダの街を離れた風真、ジョニー、リディアの三人である。
一行はナムルが御者を務める馬車で、キノコ採取の為にエイダが向かったという西の洞窟へ続く山道に向かっていた。
「それで、一体全体、後どれぐらいで着くんだ?」
風真は、馬車内に設けられた正面の小窓からナムル目掛けて問い掛けた。
「そうだなぁ。後、一時間もあれば辿り着くと思うけどねぇ」
馬車の御者台に座っているナムルが首を捻り、小窓から風真の問いに答えた。
一行を乗せる馬車の車体は、木製の箱型の物で、車内には前後に三人掛けの布張りの長椅子が設けられている。
車内は中々に広く、中央には簡単な作りではあるが丸テーブルがネジで固定されている。また、馬車の左右には窓も設置されており、そこから外の景色を眺めることが可能だ。正面には、先程風真が外側のナムルへと話しかけた小窓も設置されている。
そして車体の外側、馬との接合部には一人掛け用の御者台が設けられており、今ナムルが乗っているのがここにあたる。
とはいえ、もっぱらこの一人掛けの椅子に誰かが座るという事はそうは無いらしい。
この大陸の馬、特に独角馬はとても賢く、わざわざ御者等が付かなくても、荷物の運搬や人の移動に支障は無いからだ。
ただ、今回は彼等を山道まで送り届けた後、エイダを連れて戻るまではなるべくその場に留まっておこうという考えがナムルにあった。
馬たちも管理者であるナムルが近くにいる状況では、指示があるまでは決してその場を離れない。
その為、今回はナムルも一緒に付いてきているというわけである。
「しかしこの馬車は快適だねぇ。全く揺れも感じないしねぇ」
ジョニーは顎に手をやりながら感嘆の言葉を述べた。
確かに外の景色を見る限り、馬はかなりの速度で走行中と思われるが車内では僅かな揺れすら感じられない。
これは外のナムルにも言えることだった。外の席で身体が剥き出しになっているにもかかわらず、手綱も握らず余裕の表情である。
「魔導具のおかげよ。この馬車の場合は、車輪部分に設けられてるバネがそれね。その力で振動は全て吸収しているのよ」
リディアが人差し指を立てながら、得意気にそう説明した。
「へぇぇ、たいしたもんだねぇ。じゃあナムルの席もやはり魔導具が?」
「えぇ、ナムルの場所は座ってる椅子に魔導具の装飾が施されているわね。振動だけじゃなくて風避けにもなってくれてるのよ」
「なるほどねぇ。これまで魔導具の事は色々聞かされたが、この国じゃあなくてはならない物なんだねぇ」
ジョニーは、右手を軽く振り上げながら感心したように言葉を述べた。
「う~ん。この国というか世界中で当たり前のように使われているからね。そこまで何も知らない貴方たちが珍しいというか、正直おかしいぐらいよ」
リディアが少し呆れたような表情を見せ言う。
「まぁなんにしても揺れがないってのはありがてぇや」
窓枠で頬杖を付きながら横耳で聞いていた風真がぼそりと呟いた。その風真の呟きに合わせるかのように馬車の速度が少しずつ緩みだし――
「さぁもうすぐ山道の入口に到着するぞ。みんな準備しておいてくれ」
ナムルの声が小窓から各々の耳に届いたのだった。
◇◆◇
馬車が完全に停止したところで、三人は馬車の外へと足を踏み出した。
「ここがその洞窟へと続いている山道かい? いやしかしこれはまた……」
ジョニーがはるか天空を見上げるように首を傾け、目を丸くさせる。
目の前に聳えたつは断崖な岩山。
先程まで車内から見えていた穏やかな景色とは一変し、かわりに映るはゴツゴツとした灰褐色の岩肌である。
「こんな所どうやって登るんだよ。まさかよじ登るのか?」
「そんなはずないじゃない。ほらこっちよ」
リディアが指を差した方向を二人がみやると、岩山に沿うように細い岩の道が続いているのが判った。
「なるほど、これが山道……ねぇ」
ジョニーがやれやれといった感じで口にする。
それは、精々一人がギリギリ歩けるぐらいのスペースしかなく、しかもやたら凹凸が激しい。
正直道というにはあまりに心細い作りだろう。
「これを本当に婆さんが一人で登ったのかよ?」
風真が片眉だけ吊り上げながら、そんな疑問を口にする。
確かにこんな道とも言えないような細道、年齢のいった老婆が登るには無理がある。
「エイダさんは毎年来てるからね。慣れてるし、それにいざとなったら魔術の腕もあるしねぇ。だから心配はしてなかったんだけど……」
後ろからナムルがそう返答した。その表情は険しい。エイダを心配しての事なのだろう。
「大丈夫、お婆ちゃんならきっと無事よ。それに私たちが必ず見つけてくるから心配しないで」
ナムルに心配かけまいと、リディアは笑顔を浮かべそう述べた。
そんなリディアの表情を見てナムルも頬を緩ませ、
「わかった。エイダさんの事は任せたよ。ただ何かあった時は必ずアレを鳴らしてくれよ」
と念を押すように伝える。
「うん、わかってる。さてっと、それじゃあ行くとしましょうか!」
「了解。ナムル、リディアの事はおいらや風真の旦那に任せて心配しないで待っててくれよ」
そうナムルに声を掛け、一行は山道へと歩みを進めた。
「しかし……なんであの男は釣竿なんてもっていってるんだ?」
そして、三人を見送りながら疑問げな表情でナムルは一人呟くのだった。
「やれやれやっとこれを外せるか」
山道を少し進んだところで、風真が立ち止まり、竿入れから刀を取り出し腰に吊るし直した。
「それ、私が預かっておくわよ」
手持ち無沙汰なった竿入れを、繁々と眺める風真にリディアは手を差し出し言う。
「おぅ。悪いな」
風真がリディアに竿入れを手渡すと、リディアは腰元に取り付けてある長方形のポーチにそれをしまう。
そして、風真の準備が整った所で三人が再び歩みを進める。
道は山道とはいうものの、足場の悪い岩の道である。登るのには中々気を遣う事となる、下手したら岩場が崩れて滑落しかねない。
ある程度高さのある所でそのような事になれば死に直結する事となるだろう。
今三人はリディアを挟む形でジョニーが先頭を歩き、後方には風真が付いている。
何かあった時にすぐに対応できるようにだ。
「リディア大丈夫かい?」
前を歩きながらもジョニーが首を回し、後ろのリディアを気遣うように言葉を述べた。
何せ細い足場である。地盤も悪い。
風真とジョニーは身体能力に長けているが、リディアは見た目には可弱い少女である。
だからジョニーもついつい後ろを気遣ってしまう。
世界中の女を愛すると決めているジョニーは目の前で女性が危険な目に遭うことを良しとしない。
「私なら大丈夫よ。久しぶりだけど前はお婆ちゃんとも来たことあるし。もう少しペースを上げても問題ないわ」
リディアの台詞が強がりで無い事は、表情を見てわかった。
それなりの距離登ってきたが、リディアの表情にはまだ余裕がある。
とはいえ、下を眺めるともうかなりの高さがある。
右手沿いには岩山があるものの、左手側には支えになるものが何もない。
ジョニーとリディアは、少しでも左に体重が掛からないように岩山に手を添えながら進んでいる。
この状況で無理をして、万が一足を踏み外すような事があってはとても助からないだろう。
だからこそジョニーは、先頭を進みながらも、後ろに気を配る事は決して忘れなかった。
すると、ふとジョニーは、後ろを歩く風真の様子がどこかおかしい事に気が付いた。
「風真の旦那。どうしたんだい? そんなに難しい顔して?」
岩山に手を添えるようにして進むジョニーやリディアと違い、風真は手をつくこと無く平然と歩みを進めている。
しかしそれは、何時でも腰の刀に手を伸ばせるよう集中しての事だ。
その瞳を鋭く光らせ、意識を尖らせる事で、周りの空気が否応なくビリビリと張り詰められていく。
すると風真は、ジョニーの視線と同時に上方をみやった。
その様子から何かを察し、ジョニーは同じように上をみやる。
ふたりが視線を上げたその先には、少し小さな洞穴のようなものが見えている。
しかもその穴は一つではなく、岩山に沿って何箇所も点在していた。
「リディア。あの穴は一体何なんだい?」
ここに来た事があるというリディアなら、何か知ってるかもとジョニーが問い掛ける。
「あぁ、あれは【ロックウルフ】の住処よ。山の一部を掘ってあぁやって塒にしているの」
リディアがそう説明すると、穴の中からジョニーたちを覗くように獣の頭が飛び出した。
ウルフの名の示す通り、その姿は狼そのもの。ジョニーや風真も良く知る姿形だが、毛の色は周囲の岩壁と同じ灰褐色である。
「【ロックウルフ】とはまた偉くわかりやすい名前だねぇ」
穴から顔を出すその姿を見て、ジョニーが呟き更にリディアに向け言葉を紡げる。
「しかしあれは襲ってきたりする事は無いのかい?」
「くるわよ普通に」
リディアが平然と言ってのけた。
その言葉にジョニーは軽く閉口し。
「な、なるほどねぇ。ナムルが心配するわけだ。こんな所、女の子一人で来させるわけにはいかないよなぁ」
ジョニーはハットに手を掛けながらそう口にした。
「何いってるの? 今危ないのは寧ろ貴方たちよ。私一人だったらそんなに心配はいらないわ」
リディアがやれやれといった感じに答え左手を軽く上に掲げる。
その言葉にジョニーの表情は疑問気である。
「この辺の獣はね。前にお婆ちゃんにも襲いかかろうとしたけど、何度も返り討ちにあってるの。それに私も同行してた事もあったし、その時に学習したみたいね。だから大抵の獣はお婆ちゃんや私に襲って来ることは無いわ」
そう言った後、更に一拍おいて、
「それに、私には良く判らないけど、お婆ちゃんと私はマナの質が似てるらしいのよ。獣とかってそういうのに敏感みたい」
と空いている方の手を軽く広げながら言葉を付け足した。
「マナ……?」
するとジョニーが疑問気にその言葉を復唱し。
「全くまたわけの判らない言葉が出てきやがったぜ」
後ろの風真も頭を掻きながら言葉を連ねた。
するとリディアが両眼を大きく広げながら口を開き。
「いやだ、貴方達もしかしてマナの事も判らないの?」
と驚いたように言った。
「あはは……」
ジョニーは苦笑し顎を軽く指で数度掻き、風真は、
「知らねぇよ。そんなもん」
と言い捨てた。
「全く信じられないわね。もしかして二人とも記憶喪失か何かなんじゃないの?」
「いやあ。記憶は割とはっきりしてると思うんだけどねぇ。でも、そんなにマナというのを知らないのがおかしい事なのかい?」
ジョニーがそう返すと、リディアが呆れたように口を開く。
「当たり前じゃない。マナは生物が生きていく上で必要な生命の源よ? 酸素や血液と同じぐらい重要なんだから。そんな事小さな子供だって知ってることよ」
リディアの話を聞いたジョニーは顎に手をやり、
「ふぅむ、そんな重要な事だなんてねぇ。まいったねぇさっぱり知らなかったよ」
と少し戯けたように言って見せた。
「全く本当に大丈夫なの? しっかりしてよね」
リディアは、呆れてるような心配気なような……そんな言葉を口にした。
「ははっ、まぁでも、そのマナのおかげであのロックウルフとかいう獣にも襲われないで済んでるんだから感謝しないとねぇ」
そう言ってジョニーは眉を上げ片手を広げる。
「でも油断は禁物よ。向こうもあんまりお腹を減らしてるようなら襲ってこないとも限らないんだから」
「おっと。そうなのかい?」
「そうよ。今は私よりも余所者の貴方達の方が目立ってるんだから」
そう言ってリディアはチラッと岩山に出来た穴をみやり。
「まっ、この様子だと大丈夫そうだけど。良かったわねぇ。彼等のお腹が減ってないみたいで」
とリディアは多少皮肉めいた口調でそう述べた。
「ふん、別に獣風情が襲って来たところで構いやしねぇがな」
すると後ろから風真がそう述べた。口調は静かだがその目付きは鋭い。
「まぁ襲ってこないのはリディアや彼らのお腹が減っていないから、だけってわけじゃ無さそうだけどねぇ……」
ジョニーは苦笑いを浮かべ、呟くように言って風真の方を窺い見る。
その眼光に宿る光と気配から、風真が殺気立っているのは見て取れる。そしてその身から発せられる突き刺すような空気が、周囲の獣たちを威圧する形となっているようである。
「やれやれ怖い顔だねぇ。まぁお陰様で危険は回避できてるとも言えるけどねぇ……」
「うん? 何か言った?」
囁くような小さな声で呟いたジョニーに、リディアが問いかけるが、
「いや何でもないさぁ。さぁ先を急ごうか」
と答え、ジョニーは何食わぬ顔で足を進めるのだった。