第八話 足掻く命
油の貯蔵庫ある丸太小屋に足を踏み入れようとした時だった。グレイザーは、小屋の周囲に油が撒かれている事に気が付いた。
匂いはなく、透明な油のようだったが、踏みしめた草に滑り気があったのだ。
これは罠で、今も監視されていると悟ったグレイザーは、小さな声でエイファにその胸を伝えた。
「俺達の行動が読まれている。いいか、小屋に入ったら俺が脱出口を作る。お前は俺の後に続くんだ」
「……わかりました」
グレイザーの洞察力に感心しつつも、エイファは、罠に掛かってしまった事に敗北感を抱き、悔しさを噛み締めていた。
ここに油があり、それを利用しようとする事を、兄のレヴァンに見抜かれていたのだろう。
「行くぞ、着いてこい……!」
「……はい!」
小屋に入るなり、グレイザーは大剣を振り上げ、正面突き当たりの壁に向かって、強烈な斬撃を繰り出した。同時に、外から放たれた火矢が小屋の周囲に撒かれた油を燃やす。
エイファは、小屋の中に置かれた無数の樽に穴が開けられており、そこから油が漏れ出しているのを見た。
火矢が一本でも中に飛び込んで来たら、忽ち火の海に溺れてしまうに違いない。
「エイファ!」
叫ぶグレイザーの声に身体を反応させる。彼は大剣で三度壁を攻撃し、何とか人が通れる程の穴を開けることに成功した。
そして、そこから勢いよく外へ飛び出した。エイファも後に続く。
その時だった。
小屋の中に一本の火矢が飛び込み、刹那、炎が爆発的に拡がった。
爆風によって、エイファは押し出されるような形で外へ飛び出した。
地面に叩きつけられる格好になり、全身を強か打ち付けらるエイファ。しかし、ダメージはそれだけではなく、爆発と炎によって、両脚と背中の衣服が焼かれ、重度の火傷を負っていた。
「ぐっ……」
痛みを堪えながら立ち上がろうとするが、脚に受けたダメージが大きく、動かす事も出来ない。
しかし、このままここにいる訳にはいかない。動かなければすぐに発見されてしまう。
グレイザーはエイファの元へ駆け寄り、怪我の様子を窺った。一目で重傷だと分かる程、その傷は酷いものだった。
「今すぐ魔法で治療するんだ。ここで俺が盾になる」
「そんなことをしたら、二人とも奴らに殺されてしまう……、貴方だけでも行って下さい!」
エイファの訴えを無視するように、グレイザーは大剣を構え、周囲を警戒する。二人で一つ、同じ目的を持つ者同士、生きるも死ぬも一緒。
今更一人で生き延びようとは思わない。立場が逆でも、エイファはグレイザーを見捨てたりはしなかっただろう。
「……わかりました。……全力で回復します」
「そうだ、二人で足掻くぞ!」
魔法の光を自身に当て、傷を癒してゆく。背水の陣が、かえって集中力を高めているのか、今までよりも魔法の力が高まっている感覚があった。回復する速度が早い。
「……モルガフの事だ、俺の『罠を見破る嗅覚』が衰えていないと読んで、きっとここへ回り込んで来るたろう」
グレイザーは言った。
自分と共に戦ってきたモルガフという騎士は、任務を確実に遂行する男だと。故に、確認の励行は徹底している。
そして、その読みは見事に的中した。燃え上がる小屋の左右から、挟み込むように騎馬がやって来た。
右から三騎、左からは四騎。全員が長槍を構えている。
グレイザーは、兜にしていた魔獣の頭蓋を左手に持ち、盾のように構えた。そして、同時に向かってくる計七騎の騎馬を迎え撃つ。
真横に薙ぐ大剣の一振りで、長槍ごと右側の一騎を斬りつけ、振り抜いた勢いそのままに、左側の一騎に向かって斬りつける。長槍はうまくかわす事ができたが、馬に体当たりされ、グレイザーはかろうじて魔獣の頭蓋で身を守った。
しかし、残り五騎の長槍がグレイザーを襲う。
身を翻し、二本の長槍はかわせたが、三本目が盾にしていた魔獣の頭蓋を砕き、四本目が彼の右肩を貫いた。そして五本目の長槍は鎧ごとグレイザーの腹部を貫いた。強烈な突進による一撃の為、その身は宙を舞い、受け身を取ることも出来ずに地に落とされた。
「グレイザー……さん!」
叫びにならない叫び声をあげるエイファに、「まだ、……くたばってないぞ……」と、声を絞り出すグレイザー。
だが、彼がもう立ち上がれそうにないのは一目でわかった。
エイファは自分の治療を中断し、グレイザーの元へ駆け寄った。そして、治療の魔法を発動させる。
「すぐに……すぐに動けるようにします!だから彼奴らを……、彼奴らだけは……っ!」
眩い光がグレイザーを包む。
エイファ自身も驚くほど、回復させる力が高まっている。これなら彼を救えると思った時だった。
「お前にそんな事が出来たとはな」
声の方へ振り向くエイファ。
そこには、馬から下りて剣の切っ先を突き付けるレヴァンの姿があった。その背後にはモルガフの姿もあった。そして、剣の切っ先は、エイファの胸を刺し貫いた。
「っ!……レ、レヴァ……」
「だが、終わりだ」
剣を引き抜き、レヴァンは、止めを刺すべくエイファの首に刃を当てがった。そして剣を振り上げる……。
「死ね、エイファ」
鮮血が迸る。
レヴァンの剣が、エイファを庇ったグレイザーの喉を斬り裂いた。
夥しい量の血液が噴水のように吹き出し、レヴァンを濡らす。
「…………っ」
声を失ったグレイザーが、エイファに向かって言葉をかける。最後に小さく微笑みかけると、ゆっくりと倒れ、もう二度と動かなくなってしまった。
その様子を見ていたモルガフは、目を大きく見開いていた。驚愕だけではない、そこには感動に類似した感情も混在していた。
「グ、グレ……、イザー……」
手を伸ばし、グレイザーの身体に触れて声をかける。エイファ自身も、急所を貫かれている為、出血の量が多く、このままでは命を落とすのは間違いない。
「仲良く死ね、屑共め」
レヴァンの声も、既に聞こえない。
全ての感覚が遠退きつつある今、僅かな鼓動を感じる。
それは、『あの女』が残していった不思議な玉だった。
エイファはその玉を手に取り、 朦朧とする意識の中、女の言葉を思い出していた。
死に直面した時、この玉を使う。
エイファは玉を手にしたまま、終に意識を失ってしまった。
だが、それはエイファの死を意味するものではなかった……。