第七話 最後の朝、そして…
傷が癒えたエイファとグレイザーは、マジェラに駐留しているウルブレント軍を襲撃する作戦を練った。
エイファは言った。
「マジェラの少し南に、越冬用に備蓄された油の貯蔵庫があります。そこの油を使って、マジェラを焼きましょう。うまくいけば、町にある油に引火させられます」
「なるほど、多勢を相手にするにはもってこいだな」
マジェラに生存しているヒュンダス人がいるとは思えない。
モルガフ達はマジェラの方からやって来た。それはつまり、町がウルブレント軍に完全に支配されていることを示している。
油を手に入れたら、容赦無くマジェラの町を焼く。そして、刺し違えてでも、モルガフとレヴァンは殺す。
二人は誓い合い、最後の睡眠を取ることにした。
行動開始は明け方、太陽が昇る少し前と決めた。
その夜、エイファはまた『あの声』を聞いた。得体の知れない女の声である。夢の中で囁きかけるように聞こえた前回とは違い、はっきりと、そばで聞こえる声に、エイファは目を覚ました。
「やっと起きてくれたのね……、貴方を探していたのよ……?」
目を開け、立ち上がる。
黒い衣に身を包んだ女の姿がある。
エイファのすぐ隣に眠るグレイザーに、起きる気配はない。彼程の騎士なら、この奇妙な女の気配を察知して、飛び起きてもいい筈だ。
一体この女は……?
「貴女は……、何者なんですか?」
問いかけてすぐ、エイファは女が放つ、異様な力のようなものを感じた。それは魔導師の力に目覚めた彼にしか感じ取る事が出来ない種類の感覚だった。
そう、この女は人間ではない。
そう直感していた。
「あら……、なかなかいい感覚をしているわね……。さすがは王子様と言った所かしら」
エイファは驚いた。
心を読まれたからだ。それに、素性も知っているようだった。
「そうそう、質問に答えていなかったわね。私は、貴方の力を欲している者。貴方を救いに来たのよ、……エイファ・ラ・ヒュンダス王子」
「私を……、救いに?」
女は懐から、小さな水晶玉のようなものを取り出した。
それをエイファの眼前に差し出した。不思議な光を放つその玉は、まるで生物のような鼓動を打っている。
「この玉を使うといいわ。そこに寝ている男、グレイザーだったかしら、そいつの命を私に捧げれば、貴方は生き延びることが出来る。そして、私と共に……」
「グレイザーさんの命を? 馬鹿な事を……、貴女は信用出来ない。貴女は、人間ではないから……!」
きっぱりと言い切った。
得体の知れない女の言う事などは聞けない。それに、グレイザーは今のエイファに必要だ。
「ふふ……、何も出来ない王子様が、随分気が強くなったものね。でも、それでは貴方は死ぬことになる……」
言うと、女はエイファに不思議な玉を手渡した。小さく脈打っているのが分かる……。
「死に直面した時、その玉を使いなさい。その後、もう一度会いに来るわ……」
そう言い残し、黒衣の女は霞のように消えた。まるで夢を見ていたような感覚だったが、エイファの手には、確かに、鼓動を打つ水晶玉のようなものが残っていた。
「今のは……、……うぅ……」
直後、エイファは強烈な睡魔に襲われ、崩れ落ちるように倒れ込むと、そのまま深い眠りに落ちた。
朝、エイファが目覚めた時、グレイザーはまだ眠っていた。
傷は魔法の力で癒えたが、体力までは回復出来ないようで、彼の眠りは思いの外、深いものだった。
エイファは、黒衣の女が言っていた事を思い出していた。
この、グレイザーの命を捧げれば、自分は生き延びる事が出来る。
確かにそう言っていた。
しかし、エイファにしてみれば、グレイザーの存在こそが、生き延びる為には必須だった。
否、もとより生き延びようとは思っていない。彼の剣と自分の癒しの魔法、二つの力を一つにして我ら自身の信念を貫く事が出来ればそれでいいのだ。
「……エイファ、早いな……」
グレイザーの声がした。熟睡から目を覚ましたようだ。昨夜、黒衣の女がここにいた事には気が付いていないようだった。
だからと言って、その事を伝えようとは思わなかった。
「最後の朝だからね……、ヒュンダスの朝を目に焼き付けておこうと思ってね」
最後の朝。
不思議とそこに、特別な響きを感じることはなかった。
生きて再び明日の太陽を見る事はない。それだけは間違いない筈なのに……。
「さあ、日が登りきる前に出発しよう。私について来て下さい」
エイファはグレイザーに急いで準備をさせた。
まだウルブレント軍が眠っている間に行動を開始しなければ、油を運ぶ事も出来ない。
二人が休んでいた洞窟から、マジェラの南にある油の貯蔵庫まで、大した距離ではなかった。
小さな針葉樹の森を抜けて歩くこと三十分、二人は油の貯蔵庫に到着した。特別に変わった所のない、極普通の丸太小屋だった。
「ここか……」
「ええ、中に運搬に使える樽がある筈です。さあ、入りましょう」
丸太小屋へと足を踏み入れた二人、それを見ていた複数の人間がいた。
モルガフ率いる、ウルブレント騎士団十五騎である。勿論、レヴァンの姿もあった。
彼等は丸太小屋の近くへ馬を進め、そこで何か準備を始めた。
やがて、モルガフが右手を挙げると、五騎の騎馬が火矢を構えた。
「……終わりだ、バッシュ」
モルガフの右手が振り下ろされ、一斉に火矢が、丸太小屋へ向かって放たれた。
たちまち小屋は炎上し、激しい炎の柱が高く上がるのだった。