第五話 二つの灯火
太陽が隠れてから、どれ程の時間が経っただろう。凍てついた風が肌に痛い。
周囲に人の気配がない為、エイファは無事に逃げる事が出来たのだと安堵した。
意識を取り戻したのはどれ位前だったか、はっきりとした記憶はない。
今も目を開けているのだが、エイファの眼前には、只々暗闇が広がっているだけ。この、景色と呼べない景色を、いつから見ていたのか……。
「見つけた……」
声……?
誰だ、誰かいるのか?
声に出している筈なのに、声が出ない。どうなっているんだ?
「すぐに……、会いに行くわ……」
女の声……?
でも、何かが普通じゃない。
貴女は一体……。
完全に意識を取り戻した時、エイファは小さな洞窟の中にいた。
もうほとんど消えかけた焚き火がそばにあり、さらに、負傷したバッシュが横たわっている。
エイファが受けた矢傷は既に完治していた。恐らく無意識のうちに自らの魔法で治療したのだと思えた。
怪我は治り、出血はもうないのだが、エイファの身体は鉛のように重たかった。
生きていた兄、レヴァンがウルブレント軍の中にいた。ヒュンダスを裏切ったと見て間違いないだろう。その事を思い、エイファは今まで感じたことのないような怒り、憎しみの激流に襲われていたのだ。
パチリと弾ける音がした。
焚き火の木が湿気っていたらしい。エイファが焚き火の方へ目を向けると、バッシュの姿も視界に入った。
どうやら彼は、重傷を負った身体で火を起こし、そのまま力尽きて倒れてしまった様だった。
重い身体を起こし、バッシュの元へ歩み寄る。
僅かに胸や肩が動いている為、呼吸し、生きていることは分かった。
すぐに魔法の力で治療しようと、バッシュの身体に手をかざそうとした時、エイファはウルブレントの騎士、モルガフと、兄レヴァンの言葉を思い出した。
この男はバッシュ・ガーロード。ウルブレント騎士団の元騎士団長。
ヒュンダスを滅ぼしたウルブレントの人間だ。彼が手にかけたヒュンダスの民だっているかもしれない。
この国の王子として、このままこの男を裁くのが、正しい選択なのではないか……?
パチリとまた、焚き火が弾けた。
この焚き火は、バッシュが起こしてくれたもの……、傷付き、体力が低下していた状態で冬の風に長時間曝されていたら、命は無かったかもしれない……。
「……どうやら、……生き延びた様だな……」
バッシュの声に、エイファは思わず身体をビクつかせた。
しかし、あまりに弱々しいその声に、驚きもした。今にも死に絶えてしまうような印象をうける。
「バッシュ……さん……」
「その名は……、捨てた……!俺には……、名はない……!」
力を振り絞るように、強い口調でそう言った。
何故、彼はバッシュという名を捨てたのか。死の気配が近づく中、どうしてこうも頑なでいられるのか?
「……だが、過去は変えられん……。奴らが言っていた事は……事実だ。……ヒュンダスの王子エイファよ、……私が許せないのならば遠慮は要らん、殺すがいい……」
まるで、エイファの心を読んでいるかのような言葉だった。
この男は、自分の命よりも大事なものを持っている。それが何なのか、エイファは知りたかった。
暖かく優しい光が、横たわる男を包む。エイファが放つ癒しの魔法の光である。
「忘れましたか? 私も、名を捨てたんですよ。私は貴方の話を聞きたい。きっと、今の私には聞く必要のある話だと思うから……、貴方は死なせない!」
焚き火は完全に消え、木は炭と化していた。しかし、まだここには二つの灯火が残っていた。
ただし、それらもまた炭と化す運命、人の力では変えられない。
……そう、人の力では……。