第四話 バッシュ・ガーロード
エイファには、目の前の光景を受け入れる事が出来なかった。
兄がいる。
ヒュンダスの第二王子、レヴァンが今、ウルブレント軍の騎馬隊の中にいる。
これは一体どういう事なのか?
「な、何故……?」
すぐに言葉が出ない。
聞きたいことは山程ある、言いたいことも。しかし、言葉を紡ぎ出す事が出来ない。
「しっかりしろ、エイファ!」
グレイザーの声に身体をビクつかせると、エイファは兄と呼ぶ男の方へ駆け出そうとした。それをグレイザーに止められると、大きな声を上げた。
「レヴァン兄さん!どうしてウルブレントの騎馬に乗っているんです? どうしてウルブレントの鎧を身に付けているのです?」
その問いに対する応えは、ウルブレント軍の嘲笑う声だけだった。
レヴァンもその一部となって、エイファを馬上から見下ろしていた。
既に、ウルブレント軍の騎馬隊十五騎に囲まれている。
このまま戦っても勝ち目はない。
とにかく、どうにかこの場を逃げ切れないかと、グレイザーは思案した。
一騎だけでいい、馬を奪うことが出来れば、何とか逃げ出せるかもしれない。
大剣を構えながら、周囲を見回す。隙がある者、体格的に圧倒できるような騎士はいないかを見極める。すると、一人の騎士と目が合った。厭らしい笑みを浮かべる他の騎士とは違い、グレイザーを睨みつけているその男は、ゆっくりと馬を進めて前に出ると、グレイザーに向かって言った。
グレイザーよりも少し若い、凛々しい顔立ちをした騎士だった。
「まだ生きていたのか……」
「……」
グレイザーは黙って男の目を見返している。ただ、その目は今までにない程に鋭く、憎しみを孕んでいた。
大剣の柄を握る手が震えている。
「……グレイザーさん?」
様子がおかしいと、すぐに察知したエイファが問う。
騎士はさらに言った。
「グレイザー? なるほど、その格好は悪魔を気取っているという訳か。小僧、そいつの名はグレイザーではない。バッシュ・ガーロードだ」
バッシュ・ガーロード。
それがグレイザーの本当の名前、彼が捨てた名前だった。
しかし、何処かで聞いた気がする。そうエイファは思っていた。すると、今度はレヴァンが口を開いた。
「そうか、エイファの様な貧弱なガキが生きているのは、バッシュ・ガーロードのお陰か。うまく取り入ったものだな。ウルブレント騎士団、元騎士団長、狂刃のバッシュに」
「元騎士団長、バッシュ……」
思い出した。
ウルブレントが誇る三人の騎士団長、その中でも常勝無敗の大剣使い、バッシュ・ガーロード。
南アンシリアの国々にも知れ渡る程、その名は有名だった。
ただ、『狂刃』という二つ名には覚えが無かった。
「貴様のせいで、多くの悲しみと怒りが生まれた……、貴様のせいで!」
「黙れ、モルガフ!お前には何も語る資格はない!」
大剣を振り上げるグレイザーに対し、ウルブレント軍の騎馬隊が動いた。一騎が槍を構えて突進し、グレイザーの背後に回り込んだ別の騎士二人が、弓で矢を放った。
矢はグレイザーの右肩、鎧の継ぎ目に刺さり、もう一本の矢は、エイファの左太腿を貫いた。
小さく悲鳴をあげるエイファを一瞥すると、グレイザーは、迫り来る騎馬に向かって大剣を閃かせた。
槍を弾き、その勢いで馬上の騎士を落馬させる事に成功すると、素早く馬を奪い、エイファを強引に馬上へ引っ張り上げた。
「逃げる気だ!仕留めろっ!」
モルガフが叫ぶ。
すぐさま手綱を操り、グレイザーは包囲の隙間を縫う様に馬を駆った。
騎馬隊もまた、一斉にグレイザーへ襲いかかる。しかし、グレイザーは馬術に長けており、簡単には追いつけない。
騎馬隊は弓矢や手槍、手斧といった投擲武器を使って攻撃する。
矢がエイファの背中や腕に命中する。目を瞑って痛みに耐えていると、グレイザーの声がした。
「しっかり掴まっていろ!」
その声に励まされる様に、歯を食いしばる。馬から振り落とされない様に、両手に力を込めて、グレイザーの腰元にしがみ付く。
ふと、頬に温かいものを感じた。
確かめるまでもない、血だ。
グレイザーの背中には矢が数本、手槍が一本刺さり、手斧によって受けたと思われる深い傷が二つ、それらから夥しい量の出血があったのだ。
並の人間ならば、とうに意識は無く、ともすれば命を落としている程の怪我にも関わらず、グレイザーは必死に馬を駆り続けた。
「あ……、貴方は何故……」
エイファは、それ以上言葉に出来なかった。
受けた傷が痛むからではない。
グレイザー……、いや、バッシュが悔しさと悲しみに堪え切れず、涙を流しているのが分かったからだ。
そう、それ以上問う事はできなかった。
「貴方は何故、そうまでして生きるのか?」と……。