六、食べても太らなければ素敵 (2)
「えー、どうしてそんなに食べているのに太らないんですかぁ?」
「さあ、どうしてかしら? 真緒姫はどうしてだと思う?」
「特別な運動をされているんですか?」
「いいえ、していないわ。咲穂姫はしていらっしゃる?」
「私は特別という程のものではないですけど、できるだけ歩くように気を付けています」
「えー、歩くだけですかぁ? 本当に? それじゃあ、侍女たちに転がされたり、お肉を揉まれたりしていないんですか?」
「なんですの、それは? そんなことされるはずがないわ」
怪訝顔の咲穂を眺めながら真緒は油が乗った肉料理を思い浮かべる。そして、滴るくらいにたっぷりと蜂蜜をかけた焼き菓子を。
「油いっぱいの料理と甘すぎる菓子が原因ですか……?」
「そうね。私の食事にはほとんど油が使われていないし、お菓子よりも果物をたくさん食べるわ。咲穂姫はどうかしら?」
「私も果物が好きです。肉よりも魚が好きですし、葉物をよく食べるようにしています」
「どうして葉物を――草を食べるようにしているんですか? えー、だって、草ですよね?」
「言っておきますけど、ウサギの気持ちになりたいわけではないですからね。葉物をたくさん食べると、その……、お通じが良くなるからよ」
「お通じ……?」
他聞を憚るように声を殺した咲穂に対して、真緒がすぐに意図を察せず首を傾げると、苛立った咲穂は声を荒げた。
「食べたら出すの! これって、基本でしょ!? 出さないから溜まるのよ! 無駄なものを蓄えちゃうの!!」
「ああ、そうですよね。……って、え? 草を食べると、そんなに出るんですかぁ!?」
「やめて! 私が大量に出しているみたいな言い方!! ……だから、つまり、出す出さないを含めて、皇后様と私、そして真緒姫では、食べている物が違うということよ!」
真緒は、ハッとして咲穂を、それから皇后に視線を向けた。
食べている物が違う。だから、皇后や咲穂は痩せていて、真緒は太っているのだとしたら、それはつまり、太りやすい食べ物と太りにくい食べ物があるということではないだろうか。
そして、太りやすい調理法と太りにくい料理法があるということ。
「つまり、それは、太りにくい食材に、太りにくい調理法を施した料理なら、たくさん食べても大丈夫っていうことですよね?」
「たくさんと言っても限度があるとは思うけれど。そうね、程良く食べることが大切かもしれないわね。――時々、痩せるために食事を取らない人がいるのだけど、そういうのは間違いだと思うわ。きちんと食事を取らなければ病気になってしまうもの。病気になってやつれることと、痩せることは大きく違うことだわ。健康に、かつ、綺麗に痩せなければ駄目なのよ」
真緒はこの数日間まともな食事を取っていないことを思い出す。その結果、体が重たく感じ、ひどく疲れやすくなっていた。
「食事を抜いて痩せているはずなのに体が重く感じるのは、痩せたのではなく、やつれたからなのですね」
「真緒姫は、痩せて綺麗になりたいの?」
「はい、綺麗になりたいです」
「だったら、痩せるだけではいけないと思うの。むしろ、痩せなくとも可愛らしい方は可愛らしいし、綺麗な方は綺麗だわ。きっと人の美醜というものは、体型だけでは判断できないものなのよ」
「そうでしょうか?」
「ええ、そうよ。たとえば、真緒姫、ちょっと立ってみせて」
「え、立つんですか?」
意図が分からないまま真緒は重たい腰を持ち上げて地面を踏みしめるようにして立ち上がった。すると、その様子を見た皇后はすぐに次の指示を出す。
「それじゃあ、座って」
真緒は難儀そうに膝を折り、どすんと敷布の上に腰を下ろした。
「次は咲穂姫よ。立ち上がって、それから座ってみせて」
「はい、皇后様」
軽く頭を下げて皇后の指示を受け入れると、咲穂は音もなくスッと真っ直ぐに立ち上がる。そして、大輪の花が咲いたかのように白絹の裳を膨らませ、羽毛が舞い降りるかの如く、ふわりと座った。
皇后が真緒に振り返って言う。
「分かったかしら? 立ち振る舞いも、その人の美しさを表すものなのよ。――ほら見て。同じ『座る』にしても真緒姫と咲穂姫とではすでに差が出てしまっているわ。咲穂姫は背筋を伸ばして美しい姿勢で座っているけれど、貴女は背中を丸めて……まるで老婆みたいな座り方でしょう?」
真緒は咲穂と自分を見比べて、ぐぐっと背中と腹に力を込めて姿勢を正す。
「咲穂姫の真似をしたら、顔の造形はどうにもならないとしても、立ち振る舞いの美しさは咲穂姫のようになりますか?」
「悪いけれど、一日や二日、私の真似をしたくらいではどうにもならないわよ。私は幼い頃からずっと美しくあれと厳しく言われて、しつけられてきたのですから」
「はい、わかります。こうして背筋を伸ばして座るのって意外と辛いです。背中を丸めたくて堪らなくなります。だって、背中を丸めて座った方がずっとらくですから。きっと美しい姿勢を保つのって体力と忍耐力が必要なんですね。筋力も鍛えられそうです」
「そうね。ある程度の筋肉は必要よ。だから貴女みたいに脂肪ばかりの人には、正しい姿勢を保ち続けることは難しいでしょうね。――けど、そんなことよりも。私からひとつ言わせて頂くと、貴女の場合、痩せるとか痩せないとか、立ち振る舞いがどうのとか、そういうこと以前に、まず、そのみっともない格好をどうにかするべきだと思うの」
「え……?」
どういう意味かと問い返せば、咲穂は真緒に向かって、びしりと人差し指を突き付けた。
「裸ではさすがに恥ずかしいから、とりあえず何か纏おう、という考え方が透けて見えるその格好! そして、とにかく長ければ女らしく見えるだろう、もしくは、ただ単に放置した結果、自然と伸びました、という髪。化粧なんて当然していないわよね。それではダメだと思うの。何がダメかって言うと、女としてよ。女として終わっている貴女が巫覡に選ばれた麗しの花姫だなんて、本当に本当に、ぜんぜんまったく微塵も信じられない!! 私、絶対に認められない!」
「……」
ぐっと拳を握り締めて力説する咲穂に真緒は呆気にとられた。そうした彼女の態度から感じられたのは、溢れんばかりの悔しさだ。それも、真緒に対して向けられた悔しさであり、恨めしさだった。
未だかつて真緒は誰かに羨ましいと思われたことなど一度もない。
当然だ。真緒には妬まれるようなものなど何ひとつなかった。ただ、有り余るほどの脂肪と食欲があるだけ。
それでも、咲穂は真緒を羨むという。
――真緒が織人に選ばれた花姫であるからだ。
真緒は咲穂に向かって、へらりと笑みを浮かべた。これまで自分とは比べものにならないくらい高い場所にいた咲穂が、不意に真緒と同じ高さまで降りてきてくれたような気がした。
(思い返してみれば、私、面と向かってこんなにも自分のことをボロクソに言われたのは初めてです。不思議。言われて悲しいという気持ちにはならない。いっそ清々しいくらいです)
きっと心の奥で、いつか誰かに言って貰いたいと思っていたのかもしれない。ひどいくらい強く言われなければ変われない自分を自覚していたからだ。
そして、真緒にとって幸いなことに、咲穂が同年代の同性であったことが、相手の話を素直に聞く気持ちにさせた。
「私、咲穂姫のように綺麗になりたいです。咲穂姫、私に衣の選び方や化粧の仕方、美しい立ち振る舞いを教えてください」
「何を言っているの。イヤよ。なぜ私が真緒姫に教えなければならないの?」
「あら、素敵じゃないの!?」
ぱちん、と手を鳴らして皇后は咲穂の言葉と被るように声を上げると、にこにこと笑顔を浮かべる。咲穂は心底嫌そうに皇后を振り返った。
「素敵ではありません! 私と真緒姫は矢凪様の正妻の座を巡って競い合っているのです。それなのにどうして私が競い相手を美しく着飾らせなければならないんですか!? 真緒姫は私にとって恋敵です。憎き敵なのです!」
自分の得にならないことはできない。咲穂の言い分はもっともだった。
真緒も彼女と自分の立場を思い出して肩を落とす。もはや、咲穂の美しい容貌は真緒を攻撃してくる武器ではなく、憧れの対象となっていた。
お互いに花姫であるという現状さえなければ、良い友人になれそうな気がする。
(……恋敵かぁ。そうなんですよねぇ。二人で皇子様を巡って競っているのだから、そうなってしまうんですよねぇ)
とてつもなく残念なことのように思えたのと同時に、真緒の胸に違和感が生じた。恋敵だと目くじらを立てる咲穂に対して、受けて立つ気持ちが真緒の中にまったくないのだ。
(咲穂姫って、心から皇子様のことを慕っているんですね。一族の力を使って強引に花姫になるくらいですから。私にも皇子様に対して咲穂姫ほどの強い想いがあるかしら? ――いいえ。きっと、それほどの想いなんてないんです)
押し黙った真緒の背中を皇后の柔らかい手が、ぽんっと軽く叩く。真緒が咲穂の言葉に気落ちしたと思ったのだろう。
「それなら、こういうのはどうかしら? 真緒姫は咲穂姫に装いの美しさ、所作の美しさを見習うの。その代わり真緒姫は美味しく食べられる太らない料理を考えてわたしに教えてちょうだい。そうしたら、私は咲穂姫に歌を教えて差し上げるわ」
「皇后様が私に歌を? 歴代の花姫だけに伝えられてきた歌をですか!?」
「ええ、そうよ。花姫だけが歌うことのできる歌よ。その歌を教えて貰いたくて、貴女はわたしのもとに通っていたのでしょう?」
「ええ、そうです。わかりました。歌を教えて頂けるのなら異論はありません」
皇后は目を細めて頷き、真緒にも視線を向ける。
「真緒姫も良いかしら?」
真緒は大きく頭を上下させる。なんだろう、その歌? と思わなくもないが、異論などあろうはずがない。
「綺麗になれて、美味しい料理を考えられるんですから、私にとって願ったりかなったり、大お得です!!」
「良かった。それでは、さっそく食後の運動がてらに歌の練習を始めましょうか。真緒姫はその間、姿勢良く座り続けることが最初の課題よ」
言って、皇后は敷布から立ち上がる。そして深く息を吸って、歌い始めるために口を大きく開いた――その口のまま、彼女は瞳も大きく見開いた。
いったい、どうしたというのだろうか。怪訝に思い、真緒は皇后の見つめる先に視線を向けた。
「あっ」
思わず声が漏れた。真緒は体を強張らせる。そこには息を乱して立ち尽くす織人の姿があって、彼がひどく怒っていることは、刃先のように鋭い眼差しを向けられているので嫌でも分かった。
真緒は慌てて食べ掛けの鶏肉を手放した。食べ終えて空になった器を遠くに押しやり、自分は何も口にしていませんという顔をする。
ところが、織人の怒気はまったく鎮まる気配を見せない。ならば、何かそれっぽい言いわけが必要だろうか。この食事は皇后命令だったのだから仕方がないとか……。真緒は織人に言うべき言葉を探しながら敷布から腰を浮かせた。
つかつかと織人が真緒に向かって歩み寄って来る。その様子は、周りに広がる景色はもちろん、真緒以外の者たちの姿など見えていないのではないかと思わせた。ただ、真緒だけを見つめて、まっすぐ、まっすぐ、近付いてくる。
「真緒」
名を呼ばれて真緒は反射的に肩を大きく揺らした。織人の手が伸びて来て、強引に真緒の手首を掴むと、引き上げるようにして真緒を敷布から立たせる。
「どんだけ探し回ったと思っているんだ。俺に黙って勝手にいなくなるな! 消えてしまったのかと思ったじゃないか!!」
「……っ」
真緒は大きく瞳を見開いた。ぐっと引き寄せられたかと思った次の瞬間、真緒は織人の両腕の中にいて、織人の暖かな胸板に頬を押し付けていた。驚きすぎて息もできない。もしや、自分は織人に抱き締められているのではなかろうか。
ぎゅっと強く、まるで抱え込むように真緒を抱き締めていた力がやがて緩んできたのを感じて、真緒は織人の胸に両手を着いて体を離し、織人の顔を見上げた。
「織人?」
わっ、と真緒は心の中で驚愕の声を上げる。肌が粟立つような震えが体の芯から一瞬にして全身に広がって、胸の奥から大きな花が開くように熱い気持ちが溢れ出て来た。堪らず、真緒は今にも泣きだしそうになった。
(なに、その顔……っ)
ずるい、と小さく呟いて真緒は袖で顔を隠して俯く。なぜ、そのような顔を織人がするのか分からないが、そんな――置き去りにされた幼子のような顔をされたら勘違いしてしまうではないか。まるで織人が自分のことを必死に求めているかのように感じてしまう。
「織人……」
ぽつりと滴が零れるように柔らかな声が織人を呼んだ。びくりと織人の肩が跳ねて、ようやく織人は真緒以外の存在に気が付いたようだった。ぎこちなく織人が周囲を見渡す。
「大きくなりましたね、織人」
織人の瞳が皇后を映し出し、真緒のすぐ隣で織人が息を呑む音が小さく響いた。再び織人の手が真緒の手首を強く掴んだ。
「真緒、桃華殿に戻るぞ。高良、お前もだ!」
高良にも声を掛けながら、織人は真緒の手を強く引いて聖華殿の外へと連れ出そうとする。
「えっ、でも。待って。私ここで……」
「いいから来い!!」
「いいえ、待ちなさい!!」
ぴしゃりと水面を叩いたかのように響き渡った皇后の声。織人の肩がびくりと揺れて歩みが止まる。真緒も高良も驚いて皇后を振り返れば、彼女は、ぐっと睨み付けるように織人を見つめていた。
――いや、違う。睨み付けているわけではない。今にも泣き出しそうなのだ。
彼女は頬を上気させて、激しい感情を必死に抑え込んでいる。
「真緒姫は今日から聖華殿で修練を積むことになりました。わたしの許可なく真緒姫を聖華殿から連れ出すことは許しません! それがたとえ花姫を選んだ巫覡であってもです!」
「……っ!!」
織人の手から力が抜ける。手首を放されて真緒の腕が、すとんと落ちると、真緒は織人の顔を仰ぎ見た。苔の生えた地面の一点を見据えて、なぜか織人は皇后と視線を合わせまいとしているようだった。
誰もが口を閉ざし、辺りは時が止まってしまったかのように静まり返る。その静寂に息苦しさを覚え始めたころ、織人がゆっくりと踵を返した。
「先に戻る。用が済んだら高良と一緒に桃華殿に戻って来い」
えっ、と真緒は声を漏らす。どうしてか、このまま織人を行かせてはならない気がして、言い捨てて去ろうとする織人の袖を真緒は慌てて引こうとした。だが、織人は真緒の手をするりと避けて聖華殿を去って行ってしまう。
取り残された真緒はどうすることもできずにその背中を見送るしかなかった。




