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花となりて 君恋うまで  作者: 日向あおい
10/18

五、食べない、飲まない、太らない (1)




「ぎゃあああああああああああーーーっ!!」




 それはまるで絞殺される寸前の豚の悲鳴だ。無気味なことに、その悲痛な叫び声はこの半月の間ずっと桃華殿に響き渡っていた。


「無理でぇーすっ!! もうやめてくださぁーいっ!! いやぁーーーっ!!」

「おい、手を止めるな。続けろ。あと五往復だ!」


 容赦ない織人の強い声が響く。彼は部屋の中央で、いつになく険しい表情を浮かべて立ち、桃華殿の侍女たちに指示を飛ばしていた。

 その厳しい口調や態度から、真緒の周りを取り囲んだ侍女たちは止むを得ないと視線を交わし合い、彼の指示に従って動き出す。


「真緒姫、行きますよ? ご覚悟を!!」

「あと五往復です。たったの五往復ですよ!」

「わたしたちも頑張りますから、真緒姫も頑張ってください!」

「やっ、やめてください。無理です。腰が、腰が痛いです。見てください、腕が擦りむけています。血です! 血が出ています!!」

「大丈夫です。少し滲んでいるだけです。流れていません!」

「でも、出ているじゃないですかぁ!! 血ーっ!!」


 両手両足をバタバタさせながら必死な形相で哀願する真緒。だが、侍女たちは真緒よりも織人が恐ろしいらしい。真緒姫のためですから、とか言いながら真緒から思いっきり視線を逸らし、彼女たちは、せーの、と声を合わせ、両手を突き出すように目の前の肉塊を押し出した。



「ふぎゃぁあああああーーーっ!!」



 それはまさしく世にも恐ろしい光景だった。

 刈安染めした麻の上衣を羽織り、泥染めした腰布を締めた三人の侍女たちが、汗だくになりながらゴロゴロと懸命に『何か』を転がしている。その『何か』は、やたら丸っこくて重そうで、部屋の端から端まで転がす間ずっと豚のような悲鳴を上げ続けていた。じつに、うるさい。


「いやぁぁぁぁぁーっ!! 死ぬーっ!! 死んじゃいますっ!! みんな、ひどいです! 私がいったい貴女たちに何をしたっていうんですかぁーっ!」


 暗く鈍い緑色の衣を纏ったその『何か』は、まるで草だんごのようだったが、もちろん、こんなにもうるさい草だんごが人の世に存在しているはずがない。

 草だんごもどきの『何か』がゴロゴロと転がされながら部屋の端にたどり着くと、壁際で待機していた三人の侍女が転がしてきた侍女たちと目配せをして立ち位置を交換した。

 そして、再び、その『何か』は反対側の部屋の端まで転がされ始める。


「ぎゃあああああ!! やぁーーーっ。無理ぃーっ!!」

「ブーブーうるさいぞ、真緒。舌噛んでも知らないからな」

「いやぁぁぁぁぁーーーっ!! お腹、お腹がよじれますーっ!! あうっ、鼻ぶつけました。今、鼻が!!」

「安心しろ。お前の鼻はそれ以上低くならない」


 ゴロゴロ、ゴロゴロと。右へ、左へと転がっていくその『何か』とは、まったく信じられないことに、やがて大王の后となることを約束された麗しの花姫――真緒であった。


「ひ……ど、い…です…」


 五往復が終わったのだろう。侍女たちの手が離れると、真緒はぐったりと床に突っ伏した。


「何がひどいんだよ。もう動けないとか言うから動かしてやったんだろ? らくができて良かったじゃないか」


 感謝しろよ、とでも言いたげに、織人は床板に額を押し付けている真緒の顔を覗き込んでくる。


「痩せるためには、まず食べないこと。そして、動くことだ。よって、食事は一日一回。ほぼ白湯みたいな粥のみだ。朝起きてから寝るまでひたすら運動! 運動! 運動! これで痩せなければ嘘だ。実際、お前ちょっと痩せたように見えるぞ。うん、痩せた。痩せた。よかったな!」

「……」


 にかっと笑顔を浮かべた織人に対して、真緒は応える気力さえ失っていた。ぴくりとも動けずに床に転がっている姿は、まさに精も根も尽き果てた状態である。

 何も考えたくない、考えられない。そんなぐちゃぐちゃに掻き回され、どろっどろに溶けた頭の中で、唯一、真緒が思い浮かべられるものは、じゅうじゅうと油の滴った骨付き肉だ。豚でも鳥でも構わない。兎でも鹿でもいい。とにかく、お肉だ。お肉を食べたいという気持ちしか、今の真緒にはなかった。


(あ~あ、お腹へったなぁ……)


 織人も言っていたが、この数週間、真緒が口にできた食事はほとんど米の入っていない粥のみだった。米さえろくに入っていないのだ、肉や他の食材が粥の中に入っているわけがない。ほぼ、お湯である。白く濁っているから何となく粥っぽく見えるというだけの品物だ。

 粥を啜り終えると、運動とやらが開始される。まず、桃華殿の庭をぐるぐると走らされ、階を上ったり下りたりを何度も強制させられた。腕を大きく振り回す運動はまだ我慢できるが、その場で何度も飛び跳ねる全身運動はかなり辛い。床に寝転がって両足だけを上げ続ける運動を終える頃には、真緒は音を上げていた。


「もう無理です! これ以上は動けません!!」


 すると織人は、じゃあ、と言って侍女たちに指示を出し、真緒をまるで大玉のように床に転がし始めた。

 たしかに織人の言う通り、ちょっぴり痩せたような気がしないこともない。侍女たちも、すっきりしてきましたね、と声を掛けてくれる。それはとても嬉しいことで、織人を信じて頑張った甲斐があったというものだ。

 だけど、どうにも体が重い。全身に鉛の重りがぶら下がっているのではないかと疑いたくなるほど体が気怠く、近頃では少し動いただけですぐに疲れてしまう。

 ちょっぴり痩せたのだから、もっと頑張って、もっともっと痩せたいという気持ちはあっても、気持ちだけで、真緒の体は思うようには動いてくれなかった。

 床に突っ伏したきり、ぴくりとも動かない真緒に織人が、ふむと唸るように声を漏らした。真緒は嫌な予感がして身構える。


「ただ寝転がっているだけっていうのはもったいないよな。――おい、真緒の肉を揉み解してやってくれ」

「やっ、やめてくださいっ。私はただ寝ていたいんです!!」

「おーい」


 織人に呼ばれて侍女たちが真緒の体の周りに集まってきた。

 桃華殿には七人の侍女が配属されていて、今、真緒の周りに七人の侍女がいる。つまり、真緒という肉塊に侍女たちは総出で立ち向かってくるというわけだ。

 織人に命じられて彼女たちは真緒の腹を掴み、腕を掴み、足を掴み、その部位の肉を揉み解し始めた。


「ううっ。う……っ。うううっ!! う~っ!!」


 腹の肉はぶよぶよと波打つように押され、太股の肉はプルプルと揺さぶられ、二の腕の肉はびろぉーんと引っ張られている。摘まんだり、握ったり、押したり、引っ張ったり。真緒の肉は侍女たちの手によって好き勝手に動かされた。


「や、やめて。…うっ。やめっ。押さないでください。ひっ……。そこ、引っ張んないで。……ぐっ。うぇ…。やめ……もう、ほんと……。ふっえ……っ」


 辛くて。本当に辛くて。少しだけで良いから休ませて欲しいと思う。頑張りたくないわけではないのだ。投げ出したいわけでもない。だけど、辛い。体が重たくて、気怠くて、胸が苦しいのだ。

 その辛さをまったく分かってくれない織人が憎らしくて、悔しくて。なんてひどいんだろうって思う。だけど、それでも真緒は織人を拒絶したりはしなかった。

 なぜなら織人は、真緒が喚き散らしている間は強引に真緒を好き勝手するくせに、その目に涙が滲み始めると、決まって穏やかな口調で問い掛けてくるからだ。


「なら、本当にやめるか? ここで諦めるのか?」


 真緒はさっと顔色を変えて、大きく頭を左右に振る。


「いやです! やめません。私、変わりたいんです!! 今のままの私では誰からも愛されません! そんなの嫌です!!」 


 ――愛されたい。私も誰かに愛して貰いたい!

 そのためにはもっと努力する必要がある。もっと我慢して頑張るべきだと分かっている。織人の言う通りにしなくちゃいけない。そう思って今日まで頑張ってきた。だが、そうは言っても、真緒の限界はすぐそこまで、手を伸ばせば届くような距離まで迫っていた。


「でも、もう……っ」

「はーい、そこまで」


 茹るように暑く汗臭い部屋に清涼で軽やかな声が響いた。ばったりと真緒は脱力して床に突っ伏す。この半月の間、ぎりぎりのところでいつも真緒を救ってくれたのは、この声だった。


「休憩、休憩。はい、休憩!! そこ、真緒姫から離れて。……まったく正気とは思えないよ。この暑い季節に蒸した部屋の中で激しく体を動かしているだなんて。夏だよ? 夏なんだよ? もう一回言うね、大事だから。夏なんだよ! 日差しの中でただ立っているだけでも十分に汗が出るし、ぐったり疲れてしまうような季節だよ? ――織人、鬼だね」

「高良、邪魔をしに来たのなら神殿に帰れよ」

「大巫覡様が織人を呼んでいらっしゃるよ。ここ最近の織人ときたら真緒姫にべったりで、呼ばなければ来ないって大巫覡様が嘆いていらしたよ」

「べったりとか、気色悪いことを言うな。俺が好き好んで真緒の傍を離れないみたいに聞こえるじゃないか」

「事実でしょ? だって、とても楽しそうな顔をしているよ」

「違う。俺は自分が大巫覡になるために、こいつをどうにかしようと……」

「そうだとしても、ほどほどにしなよね。真緒姫が君の言うことをよく聞いて必死に付いてくるからって、無理をさせてはいけない。僕が真緒姫ならとっくに織人から逃げ出しているよ。知らないからね、真緒姫が君のもとを去ってしまっても。――ほら、部屋の外に出て。新鮮な空気を吸って頭を冷やそうよ。ああ、それから、侍女のみんな、たっぷり水を飲んでね。真緒姫にも水をお持ちして」


 侍女たちに指示を出しながら高良は織人の後ろに回り込み、その背中を両手で押して部屋の外へと追い出す。

 そして、水を運んできた侍女から木彫りの器を受け取ると、再び汗臭い部屋の中に戻って、床に転がっている真緒の傍で膝を折った。


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