薬物の使用・乱用・常用について考える
私個人の考え方です。
薬物の使用・乱用・常用について考える。
昨今、薬物の種類や、それに伴う事件・事故が多い。
なぜ、使用するのか?
なぜ、それを続けるのか?
なぜ、止められないのか?
その事は、私には判らない。
私の使用しない、したくない理由
使用した事は無い、使用したいとも思わない。
なぜなら、大変お金が掛る。
最初は、大して掛らないだろう。(お試し程度なら、初期の段階なら)
だが、ハマった時、即座に止められるとは、考えられない。(お試しでは済まなくなった時)
気軽に手を出すのはまずい、としか思わない。
使用して、気持は良いのだろうが、それで? としか、考えられない。
その事しか、考えられなくなる事が、私自身は苦痛だと思う。
それよりも、もっと面白い、楽しい事が、世の中には、溢れているのだから。
そっちを追求したい!
ホンの一時を楽しむよりは、その先、さらにその先々を、楽しみたい!
それより(使用する事が)凄いと言われるが、そんな不安定で、危ないモノより、色々と楽しいモノは、私個人には有る!
私個人にとって、使用するという事
絶えず、その事を考え、そのしたい事しか、考えられなくなる。
絶えず、その為のお金の事、そのお金をどうするかしか、考えられなくなる事。
苦痛。
ソフトだから、大丈夫。
ハードで無いから、大丈夫。
捕まっても、そう大した事ではない。
其れから
ソフトでは、満足できない。
ハードじゃないと、今一かな?
捕まったら、どうしよう。
苦悩。
絶えず、その事を考え、戦々恐々とするよりは、堂々と、道を歩く方が気楽だ。
思い悩むよりは、堂々としていられるし、楽しめるだろう。
寂しいから、格好良いから、皆が遣っているから、そうする事が当たり前だから、手を出したいのか?
そうする必要を、私は考えられない。
好奇心から手を出す事は、考える事が出来れば、皆無だろう。
それでも、手を出すという事。
考える事を、止めた? 遣ってみたい、だけ? 満足、できない? 刺激に、慣れすぎた?
海外に出れば、比較的簡単に手に入ってしまう。
私自身は、勧められた事は、皆無ではない。
興味が無いから、断る。
要らないと、はっきり言う。
曖昧に返事をすれば、感触有り、と見られる。
興味もないし、遣る気もないよと、態度で示せば、あっさり引き下がる。
逆に、売人に間違われた事もあった。
どう見ても、未成年、中学生位?の子供に、巻煙草を巻く仕草を見せられ、くれとばかりに手を差し出された。
最初は、煙草が欲しいのかと思ったが、吸いもしないのに、そんなものは無いので、無いと示した。
すると、キオスクの裏に行き、そこのドアをノックして、同じ仕草。
渡されたのは、一本の巻煙草。
その場で吹かし始め、廻し始めた。
どうも、大麻煙草を求めていたようだった。
その国では、一応、合法ではあり、其れを求める人も、確かにいる。
だが、まだまだ、子供と見える相手が吸っていいモノなのかは、疑問だ。
其れを、容易く手に入れる事が出来てしまうという事も。
行った宿で、その手の話をしている所にも、居合わせた。
そこでは、麻薬の使用は、厳禁で有り、使う人は居ない事にはなってはいる。
だが、その手の話は割とされていた。
とある国、そこでは、麻薬の所持にランクが有り、ソフトかハードか、単純所持か使用かで別れる。
単純所持で有れば、合法であり、即釈放、使用で現行犯で有れば逮捕。
厳しいのか、緩いのか、その判断は別れるだろう。
その話の中で、もし、現行犯で捕まったら、という話が有った。(大麻の使用でのみ)
目を合わせず、見逃して、と現地の言葉で言う。
警官から、どうして欲しい?と、問われる。
すかさず、二千円ほどの紙幣を見せると、行ってしまえと言われるらしい。
警官が一人の時のみ、有効だという話だった。
他にも、日本に居る時に、薬物に手を出し、海外に出て、さらに色々と試したとか。
ドンドン危うい話が出た。
全員が全員、そういう訳ではないが、割と多いとだけ、言えるだろう。
もし、麻薬・薬物の乱用・常用・使用を根絶したいのであれば、海外に出入りする相手に、採尿・毛髪の提出を、義務付けるべきなのではないだろうか?
さらに、かつて使用した者にも、定期的に提出を呼びかけ、心掛けるべきなのでは?
これは非常に困難であり、不可能な事であるのは判る。
だが、ここまでしなければならないほど、深刻化、問題化してしまったという事だろう。
自分だけではなく、他者すらも、危険に曝してしまう。
その事を考えなければならない。
元々、麻薬や薬物と言う物は、薬で有り、人を助ける、役立てる物であり。
決して、今の様に、悪用されるべき物ではなかった。
有れば安心、無ければ不安。
全く無くす必要はないが、面白半分で手を出すモノでもない。
それを、判って貰いたい。
使用する事は、誰にとって得となるか。
誰にとって損となるか、それが判る人になって欲しい。