犯罪・悪事を考える。
私個人の考えです。
犯罪・悪事を考える。
犯罪や、悪事は絶える事がない。
何故、絶えないかは別として、何故そういった事が起きるのか。
そういった事を犯す人は、自分が被害者になる事は無い、と考えるのか、その先が見えないのではないかと、推測する。
因果は廻る、と云う様に、後々、自分にも降りかかり得るという事を、考えられなくなってはいないだろうか?
今は、加害者。その後、年を取り、後に被害者へ。
自分が犯した事に、今度は自分が被害者と成るとは、考えないのだろうか?
その前に、良い思いをしてさっさと逃げられる(死に逃げる、誰も知らない場所へ行く)。とでも考えているのだろうか?
途中で考えが変わる、そうする事が出来ない様になる、とは考える事は無いのだろうか?
必ず、そうなるとは言えない。
だが、後々の自分自身(の身内含む)に降りかかり得る、とは考えるだろうか?
もし、犯罪を犯し、生きて逃げ切ったとして、その後、自分の伴侶、子々孫々が、その自分が犯した犯罪と、同じ様な被害に遭わないとは、考えないのだろうか?
自分は、一生独り身だから、身内は居ないから、大切と思えるモノは、特には無い、と言い切れるのだろうか?
自分自身が、一番大事、それで後悔する事は無い!と言い切れる人は、後悔する事が無かったのではないのだろうか?
皆無ではなく、そこまで大事だと言い切れるほどのモノに、出会う事が無かったという事だろう。
そうせざるを得ない事情があり、結果として犯罪を犯した場合、それを償おうとするのか、開き直ってしまうのか。
それも、どう捉えるか次第なのでは無いだろうか?
最近は、後先を考えていないモノや、先を見越して、うまく逃れようとするモノが多いように感じられる。
後々、自分がどうなるかを、考えた事はあるのだろうか?
どうとでもなるから、どうにもならないから、やってみた。
結果、捕まったが、どうにかなるだろうと、楽観視してはいないだろうか?
何処までを、許せる範囲とするかは、それぞれ別れる。
人の数だけ、その数は増える。
時が経つにつれ、その範囲は変化する。拡大もする、縮小もする。
その曖昧な中、妥当と思えるだろう形にまとめるのは、難しい。
平均は出せない、誰もが納得のいく答えも、また、出せない。
唐突に訪れるそれらは、不運・不幸と、言い表す事しか、私はできない。
何時、何処で、どんな事が起きるのかが、判ったとして、はたして未然に防ぐ事が出来るか?
防げるかもしれないモノしか、防げない。
だとするならば、起き得る事を減らす事、起きたとしても、最小限で食い止める。
それが最善とは、言えないかもしれないが、それを今、皆が心掛けるべきなのだろう。
東京は今、それとは思わぬ形で、犯罪を犯してしまい得る人が、数多くなってしまっている。
気付かぬまま、そういった行為をしてしまうだろう人も、多々見かける。
私も、被害には遭った。
被害は軽微では有ったが、些細な事ではなかった。
自分も、犯罪の被害者になり得るし、犯罪の加害者にも、なり得る。
その事は、常に心に留めておくべきなのだろう。
皆さんのご意見が有れば、お願いします。