脳死について考える
これは私個人の考えであり、どう考えたのかと言う事でしかない。
意識が無い事で、生きて居ると考えるのでも、もう死んでいると思うのでもない。
ただ、考え、答えは出ないだろうが、私が、自問自答した答えでしかない。
脳死について考える
脳死移植と言うモノが問われている。
私には、大した事は分からない。
どうしたら良いのかも、判らない。
何が良いのかも、何が悪いのかも、判らない。
常に、考え、問い掛け、議論し、それぞれが答えを出すべき事と考える。
私自身は、反対とも賛成とも、答える事は、出来ない。
それでも、考える事は、止めようとは思わない。
最善は、賛成する事だろうとも思うが、反対する事も、やむを得ないのではないだろうか?
それぞれ思う事が有り、それが最善と思い。その事を、重視し、考えた結果、その答えを出す。
その後、後悔もするだろうが、その事は、戻せない。
もし、次が有ったなら、その事も、考え、答えを出すべきなのだろう。
そのままかもしれない、反対の答えを出すかもしれない。それも、答えであるならば、その事も覚悟し、答えを出すべきなのだろう。
安易に答えを出すのではなく、考えた末、考え抜いた末、その覚悟と共に、答えを出せる事を望みたい。
考えても、答えが出ず。どうする事も出来なくても、それもまた、答えでもある。
そうする事が出来なかったという、答え。
したくなかった、する事が出来ない、という答えでもある。
私自身は、判らない。
迷う、迷い続けている。考え、考え続ける。
どうするべきか、問い続けている。
答えが出そうにも成るが、出て来なくも成る。
余り考えすぎても、答えは出ないが、考える事は、止めようとは思わない。
何時か、答えが出せるかもしれないが、今はまだ出てこない。
その時になって、どうなったとしても。
それが答えだと受け止める覚悟は出来ている。
だが、そうなって見ないと判らない事でも有る。
ただ考え、纏まるモノでもないが、考える事自体は、不謹慎でも何でもない。
その時、どう考える事が出来るか。その時が来ないかもしれないが、考えておいた方が答えが出るかもしれないと、考える。
最善も最悪も、考えた上で、覚悟を持って、答えを出したい。
これを見て、答えが出せる手助けとなるなら、幸いと思います。
どちらを選択されたとしても。




