無料・無償と言われるモノを考える。
これは、小説ではありません。
随筆、エッセイとは言えないモノかもしれません。
私個人がどう思うか、どう考えているのかという事であり。
私自身の記録的なモノと、捉えていただきたい。
その事を理解したうえで、ご意見が頂けたなら、幸いと思います。
その事を理解して頂けた上で、見ていただきたい。
無料・無償と言われるモノを考える。
今の世の中、無料・無償と謳われるモノが、数多くある。
誰しも、何がしかは思い浮かぶだろう。
だが、日本には、タダより高いモノは無い。という諺がある。
だが、それでも、無料・無償のモノは、巷に溢れている。
損して得取れ
多少、損だと思える事でも、巡り巡って得となる。
何故、そんなに存在するのか?
無料・無償の価値とは、それ以上の値打ちがあるからでもあるが、それでもなお、無償のモノと云うモノもある。
無償の愛、ボランティアなど、様々にある。
それらは全て、心掛けである。
自分がそうしたい、そうする事が答えであると感じ、実行した結果、当たり前に行動し、心掛けた事であり、見返りは求めないが、何がしかのモノがもたらされた、と感じた行動なのだろう。
必ずしも、形を伴う事は無いが、無形の得難いモノが得られる。
日本には、徳を積む、という行為がある。
小さな一寸した好意、それらを少しづつ、微々たる量でも積み重ね、大きくしていく。
一度に積むのではなく、当たり前に拾い、積み重ねるように。
最近は、寄付金の多寡が、大きく報じられる事が多い。
そうする事が大きいほど、凄い事の様でもある。
それでも、それによって助かる人も多いし、なおかつ、そうするなら私も、と続く人の後押しになる事も分かる。
小さくしか、徳を積む事が出来ないが、コツコツ積み上げていく。
大きく徳を積み上げる事も出来た、それでもなお、小さくも積み上げる。
大小、多寡に限らず、積み続ける事が大事。
継続する事、それ自体が次へとつながる。
ただ、この徳というモノは、中々厄介でもある。
高く積み上げる事は出来ても、中々に脆く、儚い。
些細な事でも、あっさりと吹き飛ぶし、瓦解する。
これをシッカリと積み上げられる人は、そうは居ない。
砂山を積むような行為だが、それでも積み続けた人は幾らでもいる。
今の世に、名を残す人が、そういった人でもあるのだろう。
私も、特に見返りは求めないが、そうしたいからそうする。
そうする事で、利益は享受しないが、そうしたいと思える事がままある。
お年玉然り、通行の邪魔になるだろうモノを動かしたり、落ちたモノを拾ってあげたり。
道を尋ねられる事も、ちょっとしたお手伝いもまた、心掛け次第である。
それが廻り巡って、かえって来るかもしれないが、かえって来ないかもしれない。
だが、何時か、かえってきた時の事を楽しみに、どんな形でかえってくるのかを、心待ちにしている自分が居る。
間に合えば良いが、間に合わなくても、それはそれである。
細かくなって戻ってきてもいるが、大きく返ってきてもいる。
即物的に見るのではなく、その待つ事を楽しむ為の行為ではある。
途中から、徳についての話になってしまった。
最後まで、お付き合い頂けましたでしょうか?
私はこう考えました。
皆さんは、どう考えますか?
出来れば、ご意見をお聞きしたい。
この場には、ふさわしくないと仰る方が居るのであれば。一定の期間を置いた上で、どうするのが良いか検討させて貰い、それらを考慮した上で、一覧と検索から除外させていただきます。
その代り、継続はさせていただきます。