第一話
僕にはそれが、すごく簡単な事に思えた。
僕にとってはすごく簡単なことに思えたんだ。
神崎が・・・ そうあのバカ神崎が、人間の遺伝子の中には鳥になって空を飛んでいた時の記憶が書き込まれてるって・・・そう言い出した。
あいつはいつもそう 英語の授業で新しい構文を覚えたかと思ったら、その日はずっと英語で喋り続ける。ヒールリフトが出来るようになったと思ったら、空き缶や小石を見つけるなり、ボール代わりに勝負を挑んでいく。
僕は気にならないけど、そんなだから神崎のことウザがってる奴もいる。
でも僕も、今日の神崎を見ていると、どうかしているとしか思えない。
あいつは屋上に僕らを呼びつけて、今日生物の授業で習ったことがどれだけすばらしいことかを興奮して僕らに喋り散らした。あいつの結論はこう
「人間は空をとべるはず」
だから今屋上のギリギリはじっこに立って、ジャンプを見届けようとしている神崎を突き落とすことは簡単なことに思えた。
それにあいつはノートの切れ端のあみだくじで飛ぶ順番を決めたんだから。僕、神崎、吉田・・・一番手は僕。
それはあなた達と違って、僕は陸上部ですもの?僕は棒高跳びしてますもの?若干、一般文化部生に比べて、飛ぶことには慣れていますもの。でも、着地地点の運動塔までは、おおよそ、そうオールアバウト3メートルは離れている。こっちの授業塔は4階建て。体育塔との高低差は1メートル。
3メートルっていうのは走り幅飛びではかなりイージーな距離。でもここは健全な部員達がセックスという欲望に耐えながら、情熱という炎を燃やすグランドの白砂の上ではなくって。遠くの荒野に吹くような風が吹き、シンナー少年のつばの染みがこびりついた少年院の床のような、コンディションの悪い冷たいコンクリートの上。
失敗したらどうなるか?神崎はそんな事を考える奴じゃない。兄貴の友達でこんな奴がいた。工業高校を出て、旋盤工として就職したのはいいけれど、3年のローンを組んで買ったピカピカの新型のスカイラインをそいつは二日で廃車にした。中華街の路地裏の路地裏の小道みたいなところを140キロで・・・平均速度140キロで走っていて、河原沿いに並ぶ屋台の一つと半分を川に沈めたんだ。兄貴はそいつのことを筋金入りのバカだと言っていた。
僕はそいつのことバカだとは思わない。きっと頭の中は、ウーハーから発射される低音と、タバコの煙でいっぱいだったのだろう。アドレナリン過多に陥って一時的にリスクや危険を計算できなくなったのだ。
神崎の頭の中も、新しい知識で満たされると、そいつの頭の中と同じようにアドレナリン過多になってリスクが管理できなくなるのかもしれない。
ともかく僕は、この3メートルを跳ばなくてはいけなかった。