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Mの惑星 3

「昨夜、遅くまで何を話していたの?」


 長い沈黙を破って、ゆいこが尋ねた。


 彼女達が公園を出てから、まだ三十分ほどしか経っていない。昨日の疲れが残っていたため、つい寝過ごしてしまったのだ。すでに陽は傾き始めている。


 しばらくは、ゆいこに合わせてゆっくりと歩いていたのだが、この調子ではいつまでたっても目的地に辿り着くことはできないと判断し、途中でバスによる旅に切り替えた。


「男のロマンについてだよ」


 三人の他に乗客のいないバスで、タロウは久しぶりにくつろいでいる。


 本来なら、タロウのように社会から追放された者は、公共の施設を利用することはできない。しかし、「何をしても自由」という権利を持っている「子供」が同伴のため、社会もやむなく承認したのである。


 タロウはここぞとばかりに、体を休めた。


「男の……ロマン……」


 タロウと向かいの位置に座っているゆいこは、抑揚のない声で彼の言葉を反復する。


「夢のことだよ」


 ゆいこの隣で窓の外を眺めては、一人はしゃいでいたエムが会話に加わった。


「あのね、タロウさんの夢は、世界中の言葉を覚えることなんだって。すごいよね!」


「エムのほうがすごいじゃないか。『アマノガワ』を見たいなんて言う奴は、いまどきいないだろ」


 お互いに夢を誉めあう様子を見て、ゆいこは溜め息をついた。おもしろくなさそうに足下に視線を落として、呟く。


「夢なんて……」


 彼女の無気力な青白い顔を、タロウは優しく見つめる。


「あるんだろ、ゆいこちゃんにも」


「それがね、ないんだってさ」


「へ?」


 大袈裟な身振りをつけて代わりに答えたエムの言葉に、タロウは自分の耳を疑った。


 確かに、ゆいこは自由にすら興味を持たない無関心な人間だが、生きているならそれなりの夢の一つや二つはあってもいいだろう。


「何かあるだろ?」


 ゆいこは黙って首を振る。そして静かに瞳を閉じた。


「私はただ、平穏に暮らしたいんです。普通に大人になって、普通に暮らしたいだけなんです」


 それを聞いて、タロウたちは安心する。


「……なんだ。ちゃんとあるじゃないか」


「そうだよ。夢がないなんて言ってさ。僕、びっくりしたんだからね」


 二人が顔を見合わせて笑うのを遮って、ゆいこは立ち上がる。


「違う! こんなの夢じゃ……!」


 言いかけて、何か変だと気付いた。


 急に、鼓動が早くなる。自分で自分がわからなくなってきた。もう一度冷静に気持ちを整理しようと、いつのまにか握り締めた拳を緩める。


「とにかく、夢なんてないんです」


 それだけ言うと、再びゆいこは黙り込んだ。


 二時間ほどで、バスは終点に到着した。ここからは、やはり自分の足で歩くしかない。


「あともう少しだから、がんばってね」


 いつも以上に元気のないゆいこを、エムは明るい笑顔で励ます。だが、笑顔ぐらいで元気が出るはずもなく、結局タロウが彼女を背負うことにした。


 バス停から離れるにしたがって、道は細くなる。


 誰も中央管理塔などに用事はないので、塔の周辺はあまり整備されていないためだ。きれいな街並は姿を消し、道とは思えぬ道に雑草が生い茂る。


 そんな状況でさえ、エムは楽しんでいた。


 下手をすれば自分ほどの背丈の雑草を掻き分けて、横道にそれては何かを見つけてくる。


「ねぇ、これってなんていう実?」


 頬を紅潮させ、息を切らして戻ってきたエムは、両手にこぼれるほど赤い実を摘んできた。甘酸っぱい香りが辺りに広がる。


「あぁ、イチゴだよ。そうか、そんな季節なのか」


 タロウは何やら納得すると、エムの手から一粒つまんで口の中に放り込んだ


「うーん、ちょうど食べ頃だ。ほら、ゆいこちゃんも食べてみなよ」


 言うが早いか、彼は拒む暇さえ与えずにゆいこの口にイチゴを押し込んだ。


「……」


 ゆいこは言葉を失った。


 決してイヤな感じはしなかったが、どう言葉で表現すれば良いのか、彼女は知らなかった。


「おいしいだろ?」


「おいしい……」


「甘くてさ」


「甘い……」


 言語学者の言うことを、そのまま真似てみる。


 これまでに読んだ物語の主人公たちが、時々口にする言葉だったが、想像していたものよりずっと心地よい響きだった。


「これが、甘くておいしいという味なの……?」


「そうだよ。いっぱいあるから、もっと食べてね」


 エムは嬉しそうに笑って、両手をゆいこに差し出した。


 ゆいこは何も言わずにそれを受け取る。幾度かそれらを口に運び、しばしその味に酔った。


「僕、もっとたくさん取ってくるね!」


 そしてエムは、ゆいこたちに背を向け草むらの中に消えていった。


「あんまり遠くまで行くなよ」


 タロウが声をかけると、彼方から返事が聞こえた。


「元気な奴……」


 肩をすくめて呟くと、エムが残した道を一歩ずつ慎重に辿り始めた。


「ゆいこちゃん、一つ聞いてもいいかな」


「何?」


 彼女はふと我に返り、いつになく浮かれていた自分を隠そうとしたのか、必要以上にそっけなく答えた。


「あのさ、どうしてエムと一緒に中央管理塔なんかに行く気になったんだい」


「……」


 彼女は数瞬ためらう。


 ある程度は予測していた質問だったので、答えられないというわけでもなかった。


 ただ、タロウに話すべきか話すべきでないか、彼女はまだタロウのことを信用していない。


「いや、ちょっと気になっただけなんだ。別に答えなくていいよ」


 その一言で、ゆいこは迷いを振り払った。


「昔、一度だけ父に逢ったことがあるんです」


 タロウは黙って彼女の言葉に耳を傾ける。


「そのとき父は、何度も私に言ったわ。『死ぬまでに一度、本物のアマノガワを見たい』と。私にはそれがどんなものかよくわからなかったけど、父があんまり何度も言うから、私も見てみたいと思ったの。でも……」


 遠い記憶を思い出しながら、ゆいこは淡々と語る。


 しかしタロウには、彼女が確実に動揺していることが伝わっていた。


「でも、次の日、父が亡くなったという通知を受け取りました」


「!」


 タロウは驚き、息を呑んだ。それでも彼女は無表情を装って、なお続ける。


「だから私は、普通に生きようと思ったの。夢なんか持たずに。どうせ叶わないんだから」


 ゆいこは少し笑った。


 その自嘲的な微笑みは、タロウの胸に深く突き刺さったが、おそらく彼女の傷はそれ以上だろう。


「俺だって同じようなことを言ってるのに……」


「だって父は、科学者だったもの。そんな重要な職業に、キケンシソウを持った人物がいちゃいけないわ」


 タロウは聞くべきでなかったと後悔していた。


 逆にゆいこは話すべきだったと確信していた。


 はるか前方に、タンポポの綿毛を飛ばしているエムの姿が見える。白い綿毛は、風に乗って青い空をどこまでも舞い続けている。


 二人は、幻想的な風景に溶け込むエムに見とれた。


「もし、エムが本物のアマノガワを……」


 やがて夕暮れ時の光を浴びて、黄金色に輝く塔が現れた。限りなく高いその物体に、誰もが思わず恐怖を感じるだろう。


「これが、世界……」


 タロウが無意識のうちに漏らした声は、微かに震えていた。


「そう、これが世界なんだ。すごいなぁ」


 エムは二人が見守る中、怖じ気づくことなく塔に歩み寄った。冷たい塔の壁に、そっと手を触れる。


「すごいよね、こんなものを作り出した人間って」


 そのまま塔にもたれかかると、幸せそうに、きらきら光る瞳を伏せた。


「僕ね、人間が大好きなんだ。なんでも造り出せる人間が。だけ……ど……」


 エムの言葉が途切れた。


 怪訝に様子を伺っていたタロウが、いつまでたっても動き出そうとしない少年に駆け寄る。


「お、おい、エム! どうした!」


 その声に反応して、彼の体はその場に崩れ落ちた。


 タロウはあわてて少年を抱き起こす。


 いつもくるくると変化し続けるはずの少年の表情が、一つに留まっている。


 それでも、冷たくなった彼の顔は微笑んでいた。


「だけど、このホシは人間だけのものじゃないんだよ。みんなのホシなんだ。機械なんかにまかせっきりじゃ、せっかくのきれいなホシが死んじゃうよ」


 あまりにも突然の出来事に、タロウはまだ状況を把握し切れていない。懸命にエムに呼びかけるが、返事はなかった。


 そんなタロウの背後から、ゆいこが少年の言葉の続きを投げかける。


 そしてタロウの腕で眠る少年を確認してから、冷静に言い放った。


「声をかけても無駄よ。バッテリーが切れてるわ」


 しばらく唇をかんで俯いていたが、やがて何もかもを諦めたように顔を上げた。


「私、帰りますね」


 タロウは黙ってうなずいた。


 彼らの旅は終わったのだ。もはや少女を引き留める理由はない。


 ゆいこは来た道をまっすぐに進んだ。


 が、次第に歩調が遅くなる。


「……!」


 彼女が完全に足を止めたとき、何か聞こえた。


 タロウは少年を抱えたまま、じっと耳を澄ます。


「……大嫌い! エムなんか大嫌い! 私は静かに暮らしたいのに……邪魔ばかりて……!」


 そして振り返った少女の瞳には、大粒の涙がいくつもあふれていた。肩を震わせ、きつく歯を食いしばる。


「父さんも、タロウさんも大嫌い。どうして私に夢を強制するのよ! ……みんな嫌い。私に期待しないで……最後の子だからって……奇跡なんて起こせるわけないじゃない!」


 涙を拭うことすら知らぬゆいこは、抑え切れない感情に怯える。


 タロウはエムを抱えたまま、ゆいこに穏やかな笑顔を向けた。


 そして彼女は、生まれて初めて「ヒト」に甘えた。


 「だけど……だけど一番嫌いなのは……!」



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