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Mの惑星 2

 高い空が赤く染まり始めた頃、二人の旅人達はそろそろ休むための場所を探し始めた。とは言え、実際に探しているのは、まだ幼い少年のほうだけなのだが。


 彼の相棒はというと、道の脇に並べられた石畳に腰を下ろして、不貞腐れていた。


「ねぇ、ゆいこ。もう少し行ったところに、大きな公園があるよ」


 少年は騒々しくスケボーを操って、相棒の座っているところまで戻ってきた。


 少女は立ち上がり、少年を見下ろした。目つきからすると、彼のことをあまり快く思っていないことが明らかである。


 少年はそれを充分に心得ているようで、彼女がこれ以上機嫌を損ねないようにと、丁寧に取り扱った。


「大丈夫? まだ歩ける?」


「……」


 少女は疲れきった溜め息を洩らした。そして少年が差し出す手を払い除けて、黙ったまま彼が今来たばかりの道を辿った。少年はあわててその後を追いかける。


「……エム。どうして歩いて行こうと思ったの?」


 ゆいこは心底恨めしげに彼を睨み付けた。


 彼女の住む養育院から数時間で着くというのは、なんらかの交通機関を利用した場合のことである。歩いて行くような距離ではない。


 エムはただ愛想笑いするばかりだ。


「あなたはいいわ。スケボーに乗っているんだから。私は自分の足で歩かなきゃいけないのよ」


 愚痴ったところで、もう進むことも戻ることもできない。そうわかっているが、つい不満がこぼれ落ちた。


 そんな少女の様子を、エムは密かに喜んでいた。


 しばらく重い足取りで歩いていると、エムの言う通り公園に到着した。かなりの広さの敷地に緑が生い茂り、設備も整って景色は良い。


 しかし、やはりどこか殺伐としていた。


 二人は門をくぐり、数多くの遊具の間を通り抜ける。


 ちょうどログハウスのような小屋を見つけたときに、少女はずっときになっていたことを口にした。


「本当に、野宿するの?」


 ゆいこは不安を隠せない。人気はなくとも、誰が見ているかわからない。


 そんな彼女の気持ちを察してか、エムはより楽しげに笑いながら答えた。


「そうだよ。だってこのあたりにホテルはないもん」


 少女は肩を落とす。生まれて初めてのことだった。建物の外で一夜を送るのは。


 エムはそれを冗談で受け流す。


「きっと、一生に一度だから貴重な体験になるよ」


 そんなことはありえないと少女は心の中で呟きつつ、ログハウスの階段に足をかけた。


「あら?」


 少女は短く声を上げた。


 よく見ると、丸太と丸太の隙間から、かすかに光が洩れているのだ。


「誰かいるの?」


 少女は怖じ気づく様子もなく、木製のドアを引いた。


 中には男が一人、ひどく驚いた顔で座っていた。それまで寝ていたのか、彼の体の下には毛布が無造作に敷かれていた。


「な、なんや、あんたら……」


 突然押し入ってきた無表情な少女と、それとは正反対の笑顔の少年とを交互に眺める。まさかこんな時間に外を出歩く人間がいるとは思っていなかったらしい。


「あれ、ここって、お兄さんの家だったんですか?」


 エムが中の様子を見て首を傾げる。


 家具などは何も置いていないが、生活するのに必要な道具は一式そろっているようだ。


「んなわけあるかい! それよか、あんたら何モンやねん!」


 男は声を張り上げる。しかし、二人はただ呆然と立ち竦んでいた。


「……なんや。やっぱりあんたらも俺の言葉がわからんのか。ったく、どいつもこいつも腹立つなぁ」


 彼が口の中で二人を罵ると、突然エムが瞳を輝かせた。男のほうへ駆け寄り、狼狽する彼の前に座り込んだ。


「もしかしてお兄さん、『カンサイジン』ですか!」


 大きな瞳で見つめられ、男は気味悪そうに、あるいは恥ずかしそうに顔をそむける。


「ま、まぁな。けど本物やない。俺は言語学者や」


「言語学者!」


 エムは歓喜のあまり大声で叫ぶ。そんな彼を見て、言語学者ははにかんで訂正した。


「まだ、見習いやし、しかも破門されてるけどな」


「それでもすごいや。かっこいいなぁ……」


 エムの尊敬の眼差しを感じ、自称言語学者は居住まいを正した。


「俺の名前はタロウ。一週間前、養育院を卒業してから、古典を研究しとったんや。今は見ての通り、ただの浮浪者やけど。ま、訳は聞かんといて」


 これでも彼にしてみれば、精一杯まじめに自己紹介したつもりなのだ。しかし、本来の性格の明るさに口調がプラスして、どうしても第一印象は最悪だった。


 賑やかな人間が苦手な少女は、言葉の欠片を拾い集めながら、次第に顔を曇らせていった。


「おいおい、そんな顔せんといてぇな……って、ダメか。わかったよ。標準語でしゃべればいいんだろ」


 男はいまいち馴染めない言葉で少女をなだめた。


 もしこのとき、彼の機転が利かなければ、きっと少女はログハウスから飛び出していただろう。


「ごめんなさい。私、騒がしい人は苦手なの」


 少女はまだ少し頭痛が残っているような、険しい表情で男に詫びた。彼は白い歯を見せて笑う。


「えらくはっきりと物を言うんだな。あ、いや、いいけどね……」


 男は冷や汗をかきながら少女を気遣った。


 彼女が彼を苦手なように、彼もまた彼女のような人間は苦手だった。


 冷たい火花が飛び散る間に割り込んで、エムが男の上着を引っ張った。


「ねぇ、タロウさん。僕はエムっていうんだ。そしてこっちは友達のゆいこ。僕たち、中央管理塔に行く途中なんだけど、今晩泊まるところがないんだ。今日だけ一緒に泊まってもいい?」


「いいよ。ここは俺の家じゃないからな。だけど、中央管理塔まで何しに行くんだ?」


 タロウは興味ありげに質問を返す。


「社会見学だよ」


 エムは隠すことなく、笑顔で答えた。


「そうか……社会見学、か」


 変わり者の彼には、エムの言葉の端に含まれる微妙なニュアンスが読み取れたらしい。


「おもしろそうだな。俺も同行してもかまわないかな」


 「うん、もちろんだよ」


 エムが簡単に承諾すると、少女は顔を歪めた。しかし無駄な言い争いをする気もなく、また自分がこの場から去る気もないので、仕方なく了承した。


「ゆいこちゃんは、今いくつ?」


 タロウは三人分の床の支度をしながら、部屋の隅で膝を抱えている少女に尋ねた。


「十七歳です」


 少女はあくまで無愛想に答える。それでも、言葉が標準語になったということから、彼への態 度も少しは和らいでいた。


「十七か……じゃあ、もう少しで大人だね」


「はい。明後日、十八歳になりますから」


「明後日!」


 タロウの声が、思わず高くなる。一瞬頭の中が白くなり、手を動かすことを忘れた。


「明後日……って、それじゃあ自由な時間は三十時間を切っているじゃないか」


「自由……ですか?」


 少女は怪訝な顔をする。またもや異端者に出会ってしまったのだ。


 エムはさりげなく微笑んでいた。




 その夜、二人はこっそりと小屋を抜け出した。


 街はすっかり寝静まっているが、地上には数え切れないほどの星達が輝いている。


 それに負けじと輝く満天の星達も、美しさは互角だが、空虚なところもまた互角だった。


 そんな紛い物の星空を眺めながら、少年は声を殺して言った。


「僕ね、死ぬまでに一度でいいから、本物の『アマノガワ』を見てみたいんだ」


 すると男は笑って、しかし真剣に答える。


「えぇ夢やんか。あんたまだ子供やし、時間はある。夢追えんのは子供ンときだけや。大人になったら何もできひんさかい、絶対に諦めたらあかんで」


 少年は嬉しそうに頷く。彼の夢を嘲ることなく、しかも応援までしてくれたのは、この男が初めてだった。


「タロウさんの夢は何?」


「俺か? 俺はなぁ、世界中の言葉を覚えることや。言葉は不思議やで。思うてることをちゃんと伝えてくれる。まぁ、たまに伝わらへんこともあるけどな」


 男は夜露に濡れた人工芝生に「大」の字になって寝転んだ。


 少年もそれに倣って、隣に寝転ぶ。


「せやけど、伝わらへんのは言葉のせいやない。ちゃんと心を込めて伝えようとせぇへんからや。伝えたい気持ちがあれば、知らん言葉でもちゃんと通じるねんで」


「じゃあ、どうして世界中の言葉を覚えたいの?」


「アホウ。時と場合っちゅうもんがあるやろ。よう覚えとき。演説するときはドイツ語、女口説くときはフランス語や。そして商売するときこそ、この……」


 言いかけて止めた。男の瞳に哀しみが現れる。


「わからんやろな、商売なんて」


 この世から貨幣というものが消滅してから、もう久しい。経済の混乱から、人々の心に邪悪が生じるという説によって、世界中の貨幣は飾りとして以外の価値を失ったのだ。


「言葉は聞いたことがあるよ。『お金』で『商品』をウリカイするんでしょ?」


「そうや。昔の人が物を手に入れるために使うた、原始的な方法や。……せやし、さっきのはナシな。またイメージが悪なる」


 男はやや自嘲気味に付け足した。


「けど、原始的でも俺は昔の人の生活が好きや。生きてるってのが感じられるさかいな」


 彼は古い映像でしか見たことのない、生きた人間を懐かしむ。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ……様々な感情を持った人間達を。


「今の世の中、確かにモメゴトなんかあらへんけど、おもろいことまで何もあらへん。みぃんな死人みたいな顔しよって」


 男は芝をむしり取って宙に放り投げる。それらは、無機質な輝きを放つ星達に照らされて、はらはらと舞い落ちた。


「……俺、必死になって古語を勉強しとるけど、あかんわ。だって、俺以外に古語を話せる奴おらんもん。ほんま、『人類の歴史』って何やったんやろうなぁ」


 少年は体を起こすと、キャップをかぶり直して言った。


「だから僕は、中央管理塔に行くんだよ」


 そして少年は、重く光る星空を見上げた。


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