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Mの惑星 1

 いつの間にか、彼らは死んでいた。


 誰もが気付かないうちに、ごく自然な時の流れとともに、彼らは消え失せた。


 二十世紀の中期より、急激に権力を伸ばし始めた奴らは、人類の付属品から相棒へ、そしてついには支配者へと成長していった。人類が生み出したはずの奴らは、皮肉なことに人類など比べるに値せぬほどの知力を持ち、その力を武器に全世界に君臨した。


 奴らは、全人類に完璧な平和と平等を提供することを約束し、同時に自由と感情を根こそぎ食いつぶした。


 それでも彼らは、淡い夢を見続ける。自分達こそが、この世の真の支配者であると信じて疑わない。


 規則正しい時間の中で、すでに彼ら自身が機械と化しているなどとは、誰にも思い付くはずがなかった。


 恐るべき時が来た。


 感情を次から次へと摘み取られていくうちに、彼らには種族の繁栄という意識すら消滅してしまったのだ。


 この子を最後に、もう誰一人として産まれてこようとしなかった。




「ゆ~いこ! 今日は何をして遊ぶ?」


 古風なレンガ造りの洋館の一室。開け放たれた窓からは、さわやかな午後の風が舞い込んでくる。


 少女は、木製の安楽椅子にもたれてまどろんでいた。


 ふと、急に風が強くなった。


「ねぇ、ゆいこ。何をして遊ぶ?」


 緑の匂いを連れて、幼い少年が元気良く窓から飛び込んできた。


「エム……」


 少女はそっと瞳を開いて、声の主を確認する。友人だ。


 彼はだぶだぶのオーバーオールに赤と黄色の縞模様のシャツ、そしてロゴ入りのキャップをかぶり、スケボーを抱えているといった、一風変わった格好をしていた。


「ねぇ、ゆいこ。今日は何をする?」


 少年は無邪気に笑った。少女は、柱時計に無機的な視線を送る。


「エム……悪いけど私、今は休憩の時間なの。遊べないわ」


 彼女は愛想無くそれだけ言うと、風のせいでずり落ちた膝掛けを拾い上げ、再び瞳を閉じた。


 周囲に沈黙が訪れる。


 エムは溜め息をついた。静かにスケボーを床に置き、少女の肩をゆすってみたり、耳元で囁いてみたりと、彼女を起こそうとあれこれ試みる。


 しかし、彼は全く相手にされない。


 エムはしびれを切らす。腰に手をあて仁王立ちになると、大きな声で叫んだ。


「ねぇ、外はとってもいい天気なんだよ! 今遊ばなきゃ、いったいいつ遊ぶのさ!」


 少女はうるさそうに眉をひそめた。


「あと八分十六秒で休憩時間が終わるの。ほら、十二、十一、十、九……もう少し待っ……」


「ダ~メっ! どうせ休憩の次は勉強だって言うんだから」


 彼女の言葉を遮って、エムは膝掛けを剥ぎ取った。そして強引に手を掴んで立ち上がらせる。


 少女は黙ったまま、焦点を合わせずに宙を見つめた。


「ほら、しゃんと立って。……もう、まだ若いくせに、なんでそんなに元気がないの?」


「……」


 エムが甲高い声で急き立てても、彼女は少しも反応を示さない。大理石の彫刻のような冷たく白い顔は、今にも動き出しそうなのに、動かない。


 エムはスケボーに飛び乗り、巧みにそれを操って少女の手を引く。そして彼女の歩く速度に合わせて、ゆっくりと前進した。


「ねぇ、ゆいこ。ゆいこには……夢はないの?」


「夢……?」


 建物の外は、きれいに整備された道の両脇に緑の木々が立ち並び、澄んだ空気が心地良い。


 だが、広大な敷地内には、彼女達の他に人はいないらしく、静まり返っていた。


 エムの手を振り解けずに、渋々と歩いていた少女は、突然投げかけられた質問に混乱する。立ち止まって考えてはみたものの、答えは「ないわ」の一言だけだった。


 まるで信じられないといったふうに、エムは驚き振り返る。


 少女は無表情なまま、エムに追いついた。


「本当にないの?」


 並んで歩く少女の顔を覗き込んだ。曇った瞳には、何も映っていない。


「ゆいこ……ねぇ、もうすぐゆいこは、十八歳になっちゃうんだよね」


 エムは寂しそうに呟いた。それに対して少女は、喜ぶでもなく、悲しむでもなく、ただ答えた。


「そうよ。明後日から私も大人になるの」


 だからといって、今の生活と大して変りはしない。世間に大人であると認められ、適当な職が与えられる。そして現在住んでいるこの養育院から、大人用の住居に移転するだけだ。


「ねぇ、ゆいこ。大人になっちゃったら、もう何もできないんだよ」


 エムは真剣な面持ちで……そう、おおよそ彼ほどの子供には似つかわしくない表情で、少女を諭す。


「大人になっちゃったら、『セケンテー』に見張られて、自由に動けなくなるんだよ。ゆいこには、今日と明日の二日間しか自由な時間が残っていないんだよ」


「べつに……私はかまわないけど」


 感情のない返答に、エムは愕然とする。


 だが、周囲の大人達の生活ぶりを見続けていた少女にとっては、それが日常であった。


 むしろ、「自由」などという聞き慣れない言葉を叫ぶエムは、気味の悪い異端者でしかなかったのだ。


「僕だったら、嫌だな……何もできないまま大人になっちゃうなんてさ」


 エムは唇をかんで俯いた。自分が夢を忘れた大人になった場面を思い浮かべてみると、なんとも言いようのない嫌悪感に襲われた。


 握り締めた拳がかすかに震えている。


 その様子を見て、少女は彼の理解しがたい思想に頭を悩ませた。


「どうしてエムは『自由』にこだわるの? 『自由』になってもいいことなんて何もないじゃない。たった一人で何でもしなきゃいけない。誰も助けてはくれないのよ」


 そして人々は、自身の「自由」を求めるがあまり、他人を傷付けてきた。歴史はそう語っている。


 彼女の言葉をよく噛み砕き、エムは瞳を閉じた。数瞬の後、不意に彼は微笑んで顔を上げた


「僕ね、死ぬまでに一度でいいから、本物の『アマノガワ』を見てみたいんだ。それが僕の夢なんだ」


 少女は突然の告白に呆然とする。そして、彼が憧れる内容の、そのあまりの幼稚さに、冷笑を浮かべた。


「バカね。そんなの天文管理局に言えば、いつでも見せてくれるじゃない」


 珍しく彼女の表情が変わったものの、エムは崇高な夢をけなされて気分を害する。頬をふくらませ、大きな目を吊り上げた。


「僕が見たいのは本物だよ! プラネタリウムなんかじゃないんだ!」


 エムがむきになって反論しても、少女は軽くあしらうだけだった。


「本物よりも、プラネタリウムのほうがきれいに見えるわよ。……それじゃあ、これから天文管理局に行きましょうか」


「……」


 いつもおしゃべりなエムが黙り込む。しかし少女は、彼の気持ちなどは考慮せずに歩き出した。


 エムはしばらく少女に従ってスケボーを進めた。が、やはりどうしても我慢し切れなくなり、方向を変えて少女から離れた。


「どうしたの?」


 少女はいぶかしげにエムを呼び止めた。彼はスケボーを止め、背を向けたまま答える。


「……僕は行かない。プラネタリウムの星なんて、見飽きちゃったもん。季節に関係なく、いつでも見たい星空が映し出されるなんて……」


「素敵じゃない」


「邪道だよ」


「機械の力は偉大だわ」


「いつか壊れるさ」


「それは人間も同じよ……」


 エムは一つ大きく息を吐いた。


 少しためらった後、片方の足をスケボーに乗せ、もう一方の足で数回地面を蹴った。次第にスピードがつくと、うまくバランスを取りながら少女の元に戻ってきた。


「……そうさ。人間も機械も、いつかは壊れる。もちろん、人間のほうがずっと早いけどね」


 見上げたエムの瞳は、うっすらと皮肉な笑みを含んでいた。


 少女は、彼の意見に当然だと頷いた。しかし、彼の言わんとしていることまではわからなかった。


 二人は互いの瞳の奥に垣間見える本心を探ろうとする。


 先に目をそらしたのはエムの方だった。


 キャップをかぶり直し、もう一度スケボーの向きを変えた。先程、少女と別れようとした方向だ。


「僕ね、これから中央管理塔に行くんだ」


 遠い空を眩しそうに見上げて笑う。


「何をしに行くの?」


 少女が問うと、エムはいつもの笑顔で振り返った。


「社会見学さ。ゆいこも一緒に行かない?」


「べつに……かまわないけど」


 彼女は曖昧に答える。


 エムの様子を見ていると、ただの社会見学であるとはとても思えなかった。


 片道に何時間もかかる塔に、わざわざ行く必要もない。塔について知りたければ、資料を請求すれば、確実に三日後には手元に届くはずだ。


 何か嫌な予感が胸中をかすめていた。


 しかし、少女の心の奥底にも、彼のように冒険してみてもいいと思っている彼女が存在することも、また事実だった。


「それじゃあ、行こう」


 エムは楽しげに少女の手を取り、冷たいアスファルトの道にスケボーを滑らせた。周囲の静寂を掻き消して、軽快な音が反響する。




 青い道はどこまでも続く。まっすぐに伸びるその道の両脇には、緑の木々が立ち並び、それに隠れるようにして単調な建物が連なっている。


 時折姿を見せる四・五階建ての塔は、外見こそ街の景色を損なわぬような石造りの風流な建築物であった。


 しかし、その中に何があるのか、それが何の役割を果たしているのか、知る者はなかった。


 そして、せっかく整えられたこの地上には、肝心な生命体の影がどこにも見当たらなかった……


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