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呪いは無償で解けと言われたので、教会に請求書を送りました

作者: よるの 余白
掲載日:2026/09/03


 ◇


 深夜の鐘が二つ鳴った頃、屋敷の呪いは解けた。


 寝台の上で、伯爵家の坊ちゃんが咳き込みながら身を起こす。

 三日三晩、影に喉を掴まれていた七歳児の顔に、

 ようやく血の色が戻っていた。


「か、母上、お腹が空きました」


「まあ、まあまあまあ!」


 夫人が泣き崩れ、使用人が湯を運び、屋敷が回り出す。

 私は床の呪具を革袋に片づけながら、いつもの口上を述べた。

 袋の底にはいつも、灰色の古い帳面が一冊入っている。

 仕事道具では、ない。だが、置いては出かけない。


「解呪は完了しました。三日は湯浴みを控えてください。

 それから――請求書は、後日お送りいたします」


「もちろんですとも! いくらでも!」


 夫人は即答した。話の分かる依頼主は、ありがたい。

 ――ちなみにこの夫人の叔父上がどれほど偉い坊様なのか、

 私がそれを知るのは、十日ばかり後の話である。


 問題は、屋敷の隅で立ち会っていた男のほうだった。

 白い祭服。聖印。苦虫を百匹ほど噛み潰した顔。


 ラウル司祭。私の、元・上司である。


「マレナ。おまえというやつは、病児の枕元でまで金の話か」


「ええ。仕事ですので」


「聖なる御業に対価を求めるとは、恥を知れ。

 おまえが教会にいた頃は、そんな娘ではなかった」


 私は革袋の紐を締め、指を三本立てた。


「司祭様。教会にいた頃の私の給金を、覚えていらっしゃいます?」


「……奉仕に給金など」


「ゼロです。八年間、ゼロ」


 立てた三本の指を、折って見せた。


「今夜の解呪、教会の正規手順ですと祈祷九日、寄進金は

 金貨三十枚が相場。私は一晩、金貨五枚。

 ――どちらが恥か、坊ちゃんの母君に伺ってみますか」


 夫人は、聞こえないふりをして白湯を飲んでいた。

 賢明な方である。


 ◇


 私の名はマレナ。フリーの解呪師をしている。


 元は教会の解呪室にいた。

 才能はあったらしい。十九で解呪室付き、二十一で主任。

 呪詛の九割は私の机に回ってきた。


 給金は、なかった。

 奉仕だからだ。神の御業に、対価は発生しないからだ。


 発生しないはずの御業の後で、教会は寄進を受け取っていた。

 私はそれを八年、帳面の外から眺めていた。


 二十五の冬、過労で倒れた。

 三件の呪詛返しを一晩で処理した翌朝だった。


 見舞いに来たラウル司祭は、寝台の横でこう言った。


「倒れるのは、信仰が足りぬからだ」


 私はその日のうちに退職願を書き、

 ついでに枕元で、生まれて初めての見積もりを書いた。


 自分の八年に、いくらの値がつくのか。

 書き終えたときには、熱が下がっていた。


 以来、私は何であれ先に見積もる。

 パン屋の看板を見れば小麦の原価を暗算し、

 貴族の夜会に呼ばれれば蝋燭代から逆算する。

 治らない癖だが、治す気もない。


 フリーになって二年。仕事は途切れたことがない。

 教会の解呪は九日かかる。私は一晩で済む。

 貴族は体面のため教会に寄進し、

 実際の呪いは、裏口から私を呼んで解かせる。


 皆、知っているのだ。

 どちらが本当に呪いを解いているのか。


 ◇


 断っておくと、私は金持ちからしか取らない主義ではない。

 誰からでも取る。取り方を変えるだけだ。


 先月、市場のパン屋の娘が店に来た。

 十二歳。喋れなくなって五日目だという。

 母親が娘の肩を抱いて、財布ごと机に置いた。


「あの、これで足りるでしょうか。銅貨で、三十枚……」


 私は娘の喉を検分した。

 妬みの小呪。市場の商売敵あたりの、素人仕事だ。

 解くのに四半刻。原価は聖水を一匙。


「お代は銅貨三枚です」


「え。でも、貴族様からは金貨を取ると」


「貴族には貴族の値札、パン屋にはパン屋の値札があります。

 ただし」


 私は指を一本立てた。


「無料には、しません。

 タダで解いた呪いは、タダの厄介ごとに戻ってくるので。

 銅貨三枚は、あなたたちが胸を張って

 『払った』と言うための三枚です」


 解呪のあと、声の戻った娘は泣きながら礼を言い、

 翌朝、店の前に焼きたてのパンが三つ届いていた。


 見積もりに、パンの欄はなかった。

 なかったが、まあ、これは対価ではない。恵みである。

 恵みは、ありがたくいただく主義だ。


 ◇


 その手紙が届いたのは、春の初めだった。


 教会の紋の封蝋。中身は、命令書だった。


『東地区に呪詛が多発せり。

 汝、信徒の義務として無償の奉仕に当たるべし。

  ――東方教区長 ラウル』


 昇進したらしい。おめでたいことだ。


 無償の奉仕、のところを私は三度読んだ。

 それから机に向かい、返事を書いた。


 返事といっても、文章ではない。

 見積書である。


『東地区呪詛対応・御見積

 一、解呪基本料(一件につき) 金貨五枚

 一、聖水仕入原価(教会価格三割増にて購入のため)実費

 一、遠征日当(東地区まで徒歩二時間) 銀貨十枚

 一、深夜呼び出し割増(五割増し)

 一、呪詛反射保険料(術者死亡時の弔慰含む) 銀貨二十枚

 一、依頼主慰撫費(泣かれた場合の布代等) 実費

 ※御用命の際は三日前までに。当日依頼は二割増し。』


 最後に一行、添えた。


『なお「信徒の義務」につきましては、

 当方、退職時に信徒登録を抹消しております。ご確認を』


 内容証明つきで、送った。


 ◇


 返事は早かった。三日で来た。


『不敬なり。悔い改めねば破門も辞さぬ』


 私は返信した。


『登録抹消済みの者は破門できません。

 教会法第九章をご確認ください。

 なお本状の作成費として銀貨一枚を計上いたします』


 次の手紙は、来なかった。

 代わりに教会は、東地区の信徒に通達を出した。

 いわく、「怪しげな解呪師を頼ってはならない」。


 効果は、あった。逆向きに。


 通達の翌週から、依頼が倍になったのである。

 貴族というものは、教会が名指しで牽制する程度には

 効く相手を、ちゃんと見分ける生き物らしい。


 子爵家の執事などは、裏口で声を潜めてこう言った。


「教区の通達で、先生のお名前を知りまして」


 広告費、ゼロ。

 私は帳面の備考欄に「教会様の御厚意」と書いておいた。


 ◇


 十日後、私は大聖堂の広間に立っていた。


 呼び出されたのである。

 教区長ラウル、司祭が五人、書記が二人。

 半円に並んだ祭服の真ん中で、私の見積書が

 証拠品のように机に広げられていた。


「マレナ。これは教会への冒涜だ」


 ラウル教区長が、見積書を指で叩いた。


「神より賜った力を、金に換える。

 あまつさえ『深夜割増』だと? 神の力に夜も昼もあるか」


「ございます」


「なに?」


「神の力にはないかもしれませんが、私にはございます。

 私は寝ますので。人間なので」


 書記の一人が、羽根ペンを止めて咳をした。


「屁理屈を……! いいか、聖なる力は神の恵みだ。

 恵みを分かつのに、対価を求めるなど」


「では伺いますが、教区長様」


 横から、痩せた司祭が割って入った。

 解呪室の新しい主任だと、名乗りだけは聞いていた。


「マレナ殿。あなたの技術は教会で身につけたもの。

 いわば教会の財産だ。それで稼ぐのは横領に等しい」


「主任様。私の技術の授業料は、

 千百四十件の無給労働で完済しております。

 なんでしたら利息分の返金を請求してもよろしいですが」


「な……」


「冗談です。過去の分は結構。私は前向きな女なので。

 請求するのは、これからの分だけです」


 主任は口を開けたまま、席に戻った。


 来た、と私は背筋を伸ばした。

 この問答を、八年間、待っていた気がする。


 息を一つ、置いた。

 広間の天井は高く、金箔の天使が見下ろしていた。

 あの金箔は、どの寄進で貼ったのだったか。

 東の商会が呪詛の礼にと納めた、あの寄進だ。

 帳面の外から、私はちゃんと見ていた。


「教区長様。ひとつ伺います」


「なんだ」


「教会の寄進金は、対価ではないのですか」


 広間が、静かになった。


「祈祷九日、寄進の相場は金貨三十枚。

 喜捨と呼べば対価でなくなるのなら、

 私の請求書も今日から『喜捨のお願い』と改名いたします。

 ――それから、もうひとつ」


 私は懐から、古い帳面を出した。

 角の擦り切れた、灰色の表紙。


「私の八年分の奉仕記録です。

 解呪、千百四十件。

 徹夜、二百と六晩。倒れた回数、三回。

 いただいた給金、ゼロ。

 この帳面と、皆様の食卓に今夜も載る肉とを並べて、

 どちらが神の御心に近いか、

 信徒の皆様の前で読み比べてもよろしいのですよ」


 ラウル教区長の顔が、祭服より白くなった。


 そのとき、広間の奥の扉が開いた。


「――読み比べは、わたしが先にしよう」


 入ってきたのは、小柄な老人だった。

 飾りのない祭服。しかし司祭たちが一斉に頭を下げる。


 大司教だった。


「その帳面、こちらへ。マレナ解呪師」


 老人は手を差し出しながら、こともなげに言った。


「姪から文をもろうての。伯爵家の子の命を一晩で拾った

 解呪師がいる、と。どんな者かと調べるうち、

 ――例の請求書の噂まで、届いてしもうたわ」


 あの夜の夫人の顔が、頭の中で叔父上と並んだ。

 世の帳尻は、妙なところで合うのである。


 老人は帳面を受け取り、その場で頁をめくり始めた。

 広間の誰も、口を開かなかった。

 頁をめくる音だけが、千百四十件ぶん、続いた。


 途中、老人の手が一度だけ止まった。

 最初の頁の、あたりだった。


「……この頁だけ、字が踊っておるの」


「十九の、初仕事でしたので」


 あの夜のことは、覚えている。

 生まれて初めて呪いをひとつ解いて、寝るのが惜しくて、

 誰に頼まれたのでもない記録を、一人でつけ始めた夜だ。

 給金のことなど、考えたこともなかった頃の字である。


 老人は何も言わず、頁を戻した。


 やがて大司教は帳面を閉じ、深い息を一つ吐いた。


「ラウル。この娘は八年、教会の代わりに倒れておった。

 倒れた者に足りなかったのは信仰ではない。給金じゃ」


「し、しかし聖下、御業に対価など前例が」


「前例ならこれから作る。書記、筆を」


 大司教は机の上の私の見積書を、とん、と叩いた。


「本日より教会規定に『解呪師報酬規定』を設ける。

 料率の草案は――この見積書を土台とする。

 監修者として、マレナ解呪師に報酬を支払うこと」


 私は暗算した。規定監修の相場。前例がないので、

 言い値である。良い響きだ。


「謹んで、お見積もりいたします」


「うむ。……ときにマレナや」


 大司教は帳面を私に返しながら、声を落とした。


「深夜割増とやら、わしの腰痛の祈祷にもつくのかの」


「聖下。お身内価格をご用意しております」


「話が分かる」


 ◇


 規定ができて、三月が経った。


 教会の解呪室には給金が出るようになり、

 辞めていった解呪師が二人、戻ってきたと聞く。


 私はといえば、相変わらずフリーで、相変わらず繁盛だ。

 規定価格という「相場」ができたおかげで、

 値切る貴族がむしろ減った。


 先週は、ラウル教区長から依頼が来た。

 東地区の呪詛。依頼書には、教会の新しい様式で、

 報酬額と、深夜割増の欄が印刷されていた。


 欄の数字は、規定どおり。一枚も欠けていなかった。

 私は受託の印を押し、備考にひとこと書き添えた。


『お布施は結構です。お代はきちんと頂きますので』


 それから、もうひとつ。

 昨日、店の前に若い娘が立っていた。

 教会の解呪室の見習いだという。頭を下げて言った。


「弟子にしてください。

 その、解呪の技も、ですけど……

 あの、見積書の書き方を、教わりたくて」


 いい目をしていた。

 私は中に入れて、椅子を勧め、紙とペンを渡した。


「では最初の課題です。

 あなたの今日一日に、値札をつけてごらんなさい」


 娘は一刻悩んで、銅貨八枚と書いた。

 安い。安すぎる。

 だが八年前の私は、ゼロと書いたはずだ。


 先は長いが、始まりとしては上等だった。


 ◇


 今夜も、深夜の鐘が二つ鳴る。


 扉を叩く音。誰かの屋敷で、誰かが影に掴まれている。


 私は革袋を担ぎ、玄関で靴を履きながら暗算する。

 基本料、金貨五枚。深夜割増、五割。

 雨なので、足元不良手当を銀貨五枚。


 働く者に、値札を。

 祈る者に、恵みを。

 両方あって、世界の帳尻は合うのである。


「はいはい、ただいま参ります。

 ――お見積もりから、始めましょうか」


 おしまい。


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― 新着の感想 ―
これは良い 快作だと思う 最近よく見る労働に対する値付け系の話の中でも、ちゃんと「物語」になっていて嫌味がないし、展開もパターンにはまっていない なにより面白かったです
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