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小説

墓碑

作者: ちりあくた
掲載日:2026/07/15

 思えば、初めから私は終わっていたのかもしれない。


 白のN-BOXは、よくある郊外の一般道を走っていた。左手には赤と黒を基調とした家電用品店が悠然と立ちそびえている。右手には茶けてひび割れた外壁があり、よく見れば「そば屋」という表札がひっそりとある。趣味で個人営業をしているのか、まるで宣伝の一つもないが、道沿いの駐車場はすべて埋まっている。甲虫のようなレクサスも停まっていて、それを見つけた瞬間、壁のひびが金継ぎのように見えてくる。たちまち私はまぶしくなって、左の無機質な黒壁へと目をそらした。すると、真昼の陽光が窓ガラスに反射し、網膜へと襲い掛かってきて、たまらず正面を見るほかなかった。


 そこには電柱に付属した青い道案内の標識があった。白の矢印は上方向と左右方向に分かれ、その先端付近に地名が書かれている。直近で修繕したのか、新しく取り付けられたのか、どちにせよ標識は真新しかった。目を凝らさねば文字を読めない私でも、眉間にしわを寄せることなく読むことができた。


 私が向かうのは右方向、「梶木かじのき」という地であった。右折後、個人店が立ち並ぶ細道を進むと、やがて左右にはよく整備された田んぼが現れる。その先にはうっそうと茂る山がそびえ、中腹あたりに公営の墓地がある。私はいつも、あの田園風景を横目に山と向き合うたび、どこか居心地の悪い雰囲気に襲われていた。車という文明の利器を携え、まだまだ瑞々しいと言える肌色を滾らせて、どこか具合の悪そうな山色へ立ち向かうことが、なんだか嫌味ったらしく思えるのだ。田んぼに水が張っているときは、水面に青空が反射して、なおさら自分が浮かんで見える。生者が三途の川を渡っているような違和感と言えよう。


 とはいえ、墓地に行かない理由はなかった。私の祖母が眠っているからだ。彼女の肉親と言える人物はもはや私だけになり、彼女の数十年来の友人たちもとっくに灰と化してしまったので、私が手入れしなければ墓は朽ちていくのみだ。「それもそれで」なんて思っていた時期もあるが、おそらくは現実逃避だった。思想の正当性はともかく、その原理に歪みがあれば私は同意しかねるのだ。だから私は墓へ行く。


 やがて路地を抜け、田園を抜け、山へ入り、墓へ着いた。ほどほど長い道のりだが、特段感慨はない。墓参りという行為は、不思議なほど何も起こらないのだ。線香に火をつける。花立ての水を替える。雑草を抜く。墓石に柄杓で水をかける。手を合わせる。誰にも見られていないことを確認して、小さく息を吐く。マニュアルが用意されているかのように、私は一連の行動を再現するのだろう。祖母が語りかけてくることもなければ、風が意味ありげに吹くこともない。鳥は鳥として鳴き、雲は雲として流れるはずだ。


 墓地は、山の中腹にある駐車場から少し登った先にある。平日の昼間ということもあって、駐車場には一台も停まっていなかった。車を降りると、さっきまで車内を満たしていた冷房の名残が皮膚から剥がれ落ちる。急き立てるような蝉の声だけが、耳の奥へと容赦なく流れ込んできた。


 祖母の墓石は一番奥の列にある。水をかけると、灰色だった石は一瞬だけ黒く艶めき、刻まれた名字がくっきりと浮かび上がる。その様子を見ていると、石は死者のためではなく、生者の目のためにあるのだと思えた。見えなくなったものを、見える形に留めておくための装置である。彼女らが壺の中の灰に宿っているならば、光沢を帯びた大理石も、静謐な美しさを備えた菊も、何一つ目に入らないはずだ。灰には目がないのだから。あるいは蝉の声の煩さや、生前の思い出をつぶやく静かな声色も、彼女らの鼓膜を振るわすことはない。灰には耳がないのだから。


 私は線香を立て、手を合わせた。何を祈ればいいのかは毎回わからない。祖母は別に信心深い人ではなかった。仏壇に手を合わせることはあっても、それは誰かに見られているからではなく、誰にも見られていない時間を作るための習慣だったように思う。だから私も祈らないし、ただ目を閉じて祈るふりをしている。すると、決まって祖母の顔ではなく、自分の顔が浮かぶのだ。これが死者に囚われていないということなのか、自分よがりということなのか、その時々で私の解釈は変化する。


 ともあれ、歳を重ねるたび、その顔は少しずつ祖母に似てきた。まだ私は若いものの、鏡を見るたびでは気づかない変化が、墓前では妙にはっきりとわかる。私が墓参りに行くのは、死者を思い出すためではなく、死者に似ていくことを確かめるためなのかもしれない。


 思えば、初めから私は終わっていたのかもしれない。


 その気づきは最近起きたものだ。

 人は生まれた瞬間から、終わりへ向かう生き物だ。そんな当たり前のことを、私は長い間「いつか終わる」と言い換えて誤魔化していた。「初めから終わっている」のと、「最後に終わる」のでは、似ているようで少し違う。


 私が灰になれば、きっとこの考えも塵となるのだろう。生前の母はよく、「あんたはおばあちゃんに似てるね」と言っていた。私にはそんな自意識はなかったが、ともすれば、祖母も同じような思案をしていたのかもしれない。


 だが、もう真偽は分からないのだ。

 灰に口などないのだから。

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