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花は桜、愛でるべし〜女学生が初恋とお役目を全うするまで〜  作者: 倉桐ぱきぽ
1章 華族十三家

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帰り道、手をつないで

 軍病院を出たところで、宗右真が「ほら」と、手を差し出してきた。

 左久夜はきょとんと、その手のひらを見る。

 意味が分からなかった。 一つ思い当たるのは、宗右真が持っている自分の荷物。


「何? かばんの運び賃、取るつもり? だったら、自分で持つから返して」


 手さげを引ったくろうとした途端、こちらに向けられていた手のひらは拳になって、コツンと脳天に落とされた。

 痛くなくても「痛い!」と言うのは、条件反射。


「手だよ。手を出せ!」

「何で?」

「つかまれって意味だろうが。ほら」


 再び差し出された手を、左久夜は、ただただ見る。

 宗右真と手をつなぐのは、何年ぶりになるのだろう。

 できるものなら、左久夜も手をつなぎたい。でも、そう思うだけで、もう胸が破裂しそうなくらいバクバクしてしまって。自分から手を重ねるなんて、とても無理。宗右真の手に触れるには、勇気が足らなかった。

 子供の頃は、手をつなぐのも抱きつくのも、好きだって口にするのも、簡単だったのに。それが今では、栄語の試験で満点をとる以上に、難しくなってしまった。


「もう、全然、平気だって」


 左久夜は、手を取らずに歩き出そうとしたが。その寸前、宗右真に手をつかまれた。


「さっさと帰るぞ」


 宗右真はそのまま、左久夜の手を引いて、歩き出す。さっさと帰ると言ったのに、歩く速さはゆっくりとしている。

 左久夜はドキドキしながら、ほんの少し、指先に力を入れて、手を握り返してみた。ゴツゴツとした指先と、手のひらの温かさ。体中の感覚が右手に集まったような気分。そこにばかり、意識がいってしまう。いつものくだらない話も出てこない。

 家まで十五分。その間、左久夜は無言のまま歩いた。

 次に左久夜が口を開いたのは、玄関まであと少しの所。


「どうしたの?」


 ふと足を止めた宗右真に、左久夜は尋ねる。


「まだ咲いてるんだな」


 宗右真は、土塀の向こうに視線を向けていた。見上げているのは、夜空に枝を伸ばした八重桜。花が球状にかたまって咲いている、遅咲きの桜だった。

 宗右真は、しばらく桜を見上げていたかと思ったら。

 

「『(クレナイ)の一重の花は小桜や』」


 不意に、歌を口ずさんだ。桜の品種を並べて詠まれたもので、父の好きだった歌だ。

 そこへ左久夜も声を合わせる。


「『枝は柳の糸桜。はみる()もなき、うば桜』」


 桜家には、その家名の通り、色々な種類の桜を植えてあり、春になると観桜会が開かれた。

 酔っ払った父が、この歌を延々と口ずさみ、しつこくからむのが恒例ともなっていた。

 それを、宗右真も思い出していたのか。その横顔には、微苦笑が浮かんでいた。


 ひらりと花びらが舞い落ちる。

 それを追いかけるように、再び、宗右真は歩き出した。

 玄関先まで来て、宗右真の手が離れていく。現金なもので、離されると今度は名残惜しい気分になる。


 宗右真が玄関の戸を開けて、左久夜の背を押した。左久夜は玄関の中に入り、振り返る。


「夕飯、食べてく?」


 先ほどの八重桜は、丁度、客間から見える所にある。しかし、宗右真は首を振って答えた。


「先約がある」

「え、誰?」

「トラ」

「なんだ、トラちゃんか」


 よく知った名前に、左久夜はほっと胸をなでおろす。

 椿木寅(ツバキキトラ)は、華族十三家である椿家の次期当主で、二人の幼なじみだ。きっと、二人で酒を飲むのだろう。


「だったら、さっきだって、そう言ってくれればよかったのに」

「言ったところで、うちに来るって言うだろうが。お前は何かと、すぐ、トラを当てにするし、トラはトラでお前に甘いしな」

「だって、」

「何度も言うが、お前は倒れたんだ。せめて、今日くらいは大人してろ」

「はぁい」 

「じゃあな。おやすみ」


 自ら玄関を閉めて、宗右真は行った。




 翌日、左久夜が起きたのは、昼すぎだった。体は自分で思っている以上に、疲れていたらしい。


「それで、体はどうなの? まだ具合が悪いなら、往診に来てもらう?」


 母のカホルが聞いてきた。


「もう、大丈夫。昨日は寝不足で、ちょっと、ふらついただけだから」


 左久夜は、これ以上の心配をかけないように笑う。


「そう。よかった」


 カホルが、ほっとしたように息をついた。

 母は、左久夜が当主を継ぐと言った時、反対しなかった。だからと言って、心配していないわけでもないようで。初陣のあとには、左久夜がどんな様子だったか、宗右真に話を聞きに行っていたらしい。あとから宗右真に聞いた話だ。


「それはそうと、体調が悪いのなら、ちゃんと、宗右真君には言っておきなさい。迷惑がかかるでしょう」

「……はい」


 左久夜は、しおらしく返事する。


「お昼ご飯は、食べられる?」

「お腹、ペコペコ!」

「あんパンなら、すぐに用意ができるけど」


 あんパンは、左久夜の大好物。すぐさま「食べる!」と、飛びついた。

 しかもカホルが出したのは、人気のパン屋、森村屋(モリムラヤ)のもの。他店(よそ)より少しお高めで、女学生の左久夜には気軽に手に取ることができないけど。昨日、ちゃんとお役目を果たしたご褒美に、カホルが買ってきてくれたのかもしれない。


「いただきます」


 手を合わせてから、左久夜は、ゆっくりと食べ始めた。


「んー、おいし!」


 さすが、帝都でも一、二を争う人気店のパンは違う。ふかふかのパン生地に、上品なこしあんの甘さ。ご褒美にふさわしい。

 それをゆっくり味わっていると、カホルが笑った。


「さっきね、お昼休みに、宗右真君が様子を見に来てくれたわよ」

「え? 本当?」

「よく寝てたから、起こさなかったけど。それ、宗右真君から」


 カホルが指さしたのは、左久夜がかぶりついていたあんパンだった。


「ちゃんとお礼、言っておきなさい。あんたの好物だから、わざわざ買って来てくれたのよ、きっと」


 左久夜は小さくうなずいた。



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