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花は桜、愛でるべし〜女学生が初恋とお役目を全うするまで〜  作者: 倉桐ぱきぽ
1章 華族十三家

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あの日、父の殉職

 その日は、いつもと同じ朝だった。


「あ〜、おはよう」  


 大きなあくびをしながら、最後に食卓についたのは、父の左々凪(サザナギ)。  

 左久夜と弟の左希斗(サキト)は、身支度を済ませ、座って待っていた。朝はできるだけ、家族みんなで食事を取る。それが桜家の決まりだ。

 

 母のカホルがいつもの割烹着姿で、おひつからご飯をよそっている。  

 それをぼんやりと眺めながら、左久夜は大きなため息をついた。今日は栄語の試験があって、それはもう、非常に憂うつだった。


「一生、栄吉利国(イングリース)なんか行かないのに……」


 左久夜は常日頃、そう思っていた。

 栄語の先生が、風邪でも引いて授業がなくなればいい。いや、この世から栄語がなくなってしまえばいいのに……。授業が来るたび、心の底から願うほど、大の苦手なのだ。


「またかよ」


 うんざりした左希斗の声が、聞こえてきた。毎度毎度のことに、家族も今日が試験だと分かっている。


「苦手なものは苦手なんだから、仕方ないでしょ」


 うなる左久夜に、父が言う。


「じゃあ、サクが、もし、今日の試験でいい点数を取れたら、六越(ムツコシ)百貨店へ連れて行こう。ご褒美に、サクの欲しい物を一つ、買ってあげようじゃないか」


 父の提案に、左久夜は、ぱっと顔を上げた。


「本当?」

「ついでに、食堂でご飯を食べよう」

「いいの?」


 確認のため、母に目を向けると「いいわよ」と、うなずいた。

 百貨店、ご褒美、食事。そうなれば、左久夜もやる気が湧いてくる。


「約束だからね!」


 左久夜は、急いで朝食を食べる。

 早めに学校へ行って、勉強しなくてはならない。栄語が得意な級友を捕まえ、教えてもらおう。ついでに、どのあたりが出題されそうか、山を掛けてもらえば何とかなるかもしれない。


 何でもない秋の日。


 左久夜は、いつもと変わらない一日を過ごした。

 友人と所作に厳しい先生の陰口を言い合って、くだらない話で笑った。帰り道は校則を破って、こっそりたい焼きを買い食いし、散々、おしゃべりしながら帰って来た。


 いつもと同じ。


 いや、いつもより気分が弾んでいた。栄語の試験で、約束していた点数を、ぎりぎりで取ることができたのだ。

 ご褒美は、何を買ってもらおう。欲しい物はいっぱいあって、まだ一つに絞りきれてなかった。こんな機会は、二度と来ないかもしれない。どうせなら、一番値段が高いものにしようか。

 

(……やっぱり、自転車かな?)


 お小遣いをコツコツと貯めてはいるものの、まだまだ買えそうにない代物だ。

 左久夜は、うきうきしながら、玄関を開ける。


「ただいまー!」


 日常の風景は、ここまでだった。


「………?」


 いつまでたっても、母の『おかえり』が聞こえてこない。

 どうしたのだろう。左久夜は首を傾げる。

 玄関には、宗右真の靴がきちんと揃えてあった。このところ、ちょくちょく家に来ていたが、平日は夕方より前に訪ねて来るのは珍しかった。


 何かあったんじゃないか。

 漠然と感じとった左久夜は、そういえばと思い出した。


『南部に、すごい魔物がいるかもしれないという情報があって……』


 少し前に、父がそんな話をしていた。

 そうだとしたら、大きな作戦になるだろう。そして、自分や宗右真も参加することになる、と。


 それを思い出した途端、左久夜の胸はざわつく。数日前には、嫌な夢を見ていた。


 今日が、その作戦日だったなら……。

 ……まさか父様が?

 いや、きっと何でもない。大丈夫! あんな夢を見たのは、大変な作戦になると聞いて心配になったから。


 そう思おうとする一方で、嫌な予感は大きくなっていく。


 左久夜は、まっすぐ居間に行った。宗右真が来ているのなら、二人はここにいるはずなのだが。誰もいない。

 次に左久夜は縁側を通って、客間に行った。あとはもう、ここしかない。


「母様、入るよ」


 声をかけてから、左久夜はふすまを開ける。

 二人は、そこにいた。


(何、これ……)


 その異様な雰囲気に、ドキンと、胸が大きく脈打つ。


 今さら、お客様なんて、改まるような間柄ではないのに。宗右真は軍服姿で、きっちりと正座をして。

 向かい合って座るカホルもまた、手ぬぐいをぎゅっと握り締め、うつむいている。その顔は今にも泣きそうで、口を真一文字に結んで、何とか堪えているように見えた。


「……」


 左久夜は突っ立ったまま、声を出せなかった。

 先に振り向いたのは、宗右真。悲しくて辛くて、苦しい。彼のこんな顔は初めて見た。


「左久夜」


 宗右真が、そんなふうに呼ぶことは滅多にない。それだけで、左久夜には充分だった。ぼんやりとしていた不安が、くっきりと浮かび上がる。

 予感が的中した。あの夢と同じことが起こったのだ。左久夜はそう直感した。

 さっと身を翻し、自分の部屋へ駆け込む。宗右真が呼び止める声は無視した。


「……何で?」


 ふらふらと荷物を手放し、部屋の真ん中で、うずくまる。


「左久夜、話がある」


 ふすまの向こうから、宗右真の静かな声がした。


「いや! 聞かない!」

「……開けるぞ」

「いや!」


 左久夜は両手でぎゅうっと、耳をふさいだ。

 どのくらい、そうしていたのか。

 すぐそばで空気が揺れる。左久夜がそれを感じた直後、いきなり両方の手首をつかまれた。力ずくで耳から手を離される。

 左久夜は座り込んだまま、小さく万歳をするような格好になって、その正面に宗右真がいた。


「左久夜、聞け」

「いや!」

「大事な話だ」

「いや!」


 左久夜は幼い子供のように、首を振る。


「左久夜。お前が聞かなくて、」

「聞かなくたって、分かる!」


 そこで、かろうじて堪えていた涙が、ボロボロとこぼれた。一度、あふれ出すと、もう止まらなかった。


「すごい魔物がいるかもって、前に父様が言ってた。今日はその討伐だったんでしょ?」

「あぁ」

「……だったら、どうして? ……どうして、ソウちゃんだけが、帰って来るの!」

「左久夜」

「どうして? えっ、栄語の、しけ……六じゅっ……点、取ったのに! ひゃっ、貨店……てって、くれ……言ったのに! どう、してっ……と、父様は、帰って……来ない、のよ!」

「……悪い。ナギさんを助けられなかった」

「やめて!」


 その先は言わないで。左久夜は必死に首を振った。なのに、宗右真は口を開いて。


「ナギさんは、立派だったよ。立派な最期だった」

「あ、あぁぁああああ!」


 そこから先、左久夜の記憶はない。




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