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花は桜、愛でるべし〜女学生が初恋とお役目を全うするまで〜  作者: 倉桐ぱきぽ
3章 にらみ合う二人、遭遇する二人

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はやる心

「……ク……おい! サク!」


 誰かが呼んでいる。


「……サク姉!」


 左久夜は、その声で目が覚めた。


「んぅ?」


 自分の部屋の文机。辞書に教科書。筆記用具。その一つ一つが目に入るごとに、頭もはっきりしてくる。


(そうだ、栄語の課題をしてて……)


 開いた本には、栄語の物語がつづられている。カタリーナとペトルーキオは、その中の登場人物だ。訳に悩んでいるうちに、眠ってしまったらしい。いつの間にか日が暮れて、辺りは薄暗くなっていた。


「サク姉?」


 顔を上げると、左希斗(サキト)が心配そうに覗きこんでくる。最近、この弟は、ちょっと生意気で、誰の真似をしているのか、『おい、サク』なんて、呼ぶこともあったが。


「お前、うなされてたぞ」

「……あぁ、うん。夢を見て、」

「夢?」

「ソウちゃんが、死んで……」


 自分の言葉に、ありありと、倒れた宗右真の姿を思い出す。心臓がビクリと震え、胸がぎゅうっと締めつけられたように、苦しくなった。


「っ!」


 左久夜は、勢いよく立ちあがる。


「おい、何だよ?」


 戸惑っている左希斗に答えず、部屋を出た。

 心臓が早鐘を打ち、左久夜を急かす。居ても立ってもいられなかった。今すぐ、宗右真の顔が見たい。

 玄関の手前で、母親と鉢合わせる。行く手をふさがれる格好になった。


「こんな時間に、どこ行くの?」

「ソウちゃんち!」

「ご飯は?」

「置いといて!」

「……遅くならないうちに、帰って来るのよ」


 ため息混じりのカホルに、左久夜は「分かってる!」と、家を飛び出した。



 左久夜は、ワンピースの裾をはためかせて走る。

 とにかく宗右真に会いたい。あんなの、ただの悪い夢だ。宗右真は無事だと、確認したい。


 鱗屋根の洋館まで必死に走ると、玄関の明り取り窓から、常夜灯の光が漏れていた。いつもと同じく、玄関の鍵は開いていて、靴がきちんと揃えてある。これに、ひとまず、左久夜はほっとした。


「ソウちゃん!」


 いつものように呼びかける。しかし、いつまで経っても返事がない。家の中は静まり返っている。

 一人暮しの彼が、鍵を開けたまま、外出するはずがない。もしかしたら、二階にいるのかも。今度は階段の上に向かって、少し大きめに呼んでみるが、やっぱり、返事はなかった。


(……何で?)


 不安が一気に膨らんでいく。その時。家の奥の方で、がたがたと物音がした。

 左久夜は大きく息を吸ってから、あらん限りに叫ぶ。


「ソウちゃん! いるなら返事して! ソウちゃん!」

「うるせぇ‼」


 初めにその声があって、次に廊下の先の角から、どたどたと宗右真が出て来た。


 安堵したのも、つかの間。左久夜は宗右真の姿に、そのまま硬直してしまった。


「何だよ!」


 宗右真が、鬱陶しそうに前髪をかき上げる。その毛先から、ぽたぽたとしずくが落ちる。どうやら、風呂に入っていたらしい。急いで出てきたのだろう。

 浴衣の胸元が鎖骨から腹筋まで、大きくはだけていた。

 普段、見ることのない姿に、耳がかあっと熱くなる。


「あ、え、」


 左久夜は、ぱくぱくと空気をかんで、固まってしまった。と、不意に、宗右真の左の鎖骨辺りに、黒ずんだあざのようなものがちらりと見えた。

 左久夜の視線に気づいたのか、宗右真はさっと襟を直して、肩を隠してしまう。


「それ、怪我、したの?」

封呪フウジュの紋」

「あぁ、そっか」


 そう言えば、前にも話を聞いたことがあった。左久夜は、ほっと胸をなでおろす。


「で、何なんだ?」

「え?」

「だから、何の用で来たのかって、聞いてんだ」

「あ……ううん、何でも、ない」


 左久夜は、自分のつま先を見ながら、首を振った。宗右真を確認できたのだから、目的は達成した。もう帰ろうと思っていた。


 しかし。


「何でもなかったら、うちには来ねぇだろ」

 

 そう言って、宗右真は納得しない。


「また、カホルさんとケンカしたのか?」

「え?」

「学校帰りでもねぇし、栄語の課題も持ってねぇ。晩飯が目当てのはずもねぇしな。そしたら、あとはケンカだろ? 前みたいに、カホルさんとケンカして、飛び出して来たんじゃねぇのか」

「あ、……うん」


 理由を言うのもためらいがあって、左久夜はそういうことにした。カホルには、心の中で謝っておく。


「お風呂、入ってたんだ」


 左久夜が何気なく言うと、


「疲れてんだよ」


 宗右真は、ぶすっとした声で答える。


「どいつもこいつも、面倒事を押しつけやがって」


 ブツブツと文句を言って、最後には「あのバカどもめ」と舌打ちした。こういう時の宗右真は、触らぬ神にたたりなしというやつだ。


「ごめん……帰る」

「おい、こら」


 それと同時に、腕を掴まれていた。


「お前なぁ、カホルさんとケンカしたんだろう? 晚飯は食ったのか?」


 左久夜は、正直に首を振った。それまでは何ともなかったのに、途端に空腹を覚える。


「上がってけ」

「でも、疲れてるんじゃない?」

「あいつらに比べたら、お前一人、どうってことねぇよ。丸久(マルヒサ)で弁当、詰めてもらったから、食ってけ」

「でも、それって、ソウちゃんの晩ご飯でしょ?」

「でもでも、うるせぇ。とっとと入れ!」


 左久夜は力ずくで、家の中へ引きずりこまれた。





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