追試の帰り道
授業を終えた左久夜は、一人、甘味屋にいた。
軒先の縁台に腰かけながら、たい焼きのしっぽにかぶりつく。居残りで栄語の補習と追試が、たっぷり二時間。
疲れたぁ……。
ぼんやり思っていると、ふっと手元が陰った。
「おい、女学生。学校帰りの買い食いは、校則違反じゃねぇのか」
それに顔を上げれば、宗右真が腕を組んで、見下ろしている。
「大丈夫、大丈夫。今まで一度もバレたことないもん」
「それで、何してんだ? とっくに、学校は終わってる時間だろ」
「何だか、すっごく、甘い物が食べたい気分になっちゃって」
左久夜は、笑ってごまかす。結局、今日まで、軍の作戦も訓練もなかったので、追試のことは話さないままになっていた。
「お前は、毎日、そういう気分じゃねぇか」
そんな宗右真のツッコミを聞き流し、左久夜はそれとなく話を変える。
「ソウちゃんは、また、出張?」
「その帰りだ」
「ご苦労様」
「あぁ」
うなずいた宗右真は「ふぅ」と、大きく息をついて、左久夜の隣に腰掛けた。軍帽で目元に影が差しているせいか、疲れているように見える。
出張先で、大物の討伐作戦でもあったのだろうか。そもそも、風邪は、ちゃんと治ったのか。
左久夜は、試しに、たい焼きが入った紙袋を掲げてみた。
「ソウちゃんも食べる?」
「いや、いい」
「ねぇ、無理してないよね?」
左久夜が聞いてから、一拍、二拍と間が空いて、宗右真は「してない」と答えた。
「本当に?」
「あぁ」
「無理はしてないけど、無茶はしてるとか、そういうのでもなくて?」
「何だ、それ。七区の状況を聞きに行っただけだ」
「でも、疲れてるでしょ?」
こちらを見た宗右真は、少しバツが悪そうな顔をして、小さくため息をついた。
「お前には、正直に言う」
「うん」
「ナギさんの敵討ち、あの土蜘蛛は、今年中に討伐したいと思ってる」
「それは、あたしも同じ」
年が明ければ、左希斗は十五になる。それまでのつなぎの当主。そう言って、左久夜はその座についた。だから、左久夜としても、年が明けるまでに敵を討ちたい。
ただ、宗右真の言葉は、そこで終わりではなかった。
「できれば、ナギさんの一周忌で、墓前に報告できればいいんだけどな」
「父様の一周忌って、あと、三ヶ月くらいしかないよ?」
「分かってる」
つぶやくように言って、宗右真は空を仰いだ。
「やっぱり、無理してるでしょ?」
「無理も無茶もしてねぇよ。ただ、」
「ただ?」
「土蜘蛛の情報が集まらなくて、少し、苛ついてる」
「そっか」
左久夜は小さくうなずいて、紙袋から、たい焼きを取り出した。
「はい、これ。甘いものを食べると落ち着くよ」
たい焼きを差し出すが、
「こしあんだろ、それ」
宗右真は受け取らない。
「お腹に入れば、同じでしょ」
「お前、人には大ざっぱなこと言いやがっ、」
左久夜は、宗右真がしゃべっているのを見計らって、口の中に、たい焼きを突っ込んだ。
「んぐっ」
目を見開いた宗右真は、次の瞬間、左久夜の手首を掴んで、たい焼きごと引き離す。
「おい!」
「一度、口に入ったものは、返品不可」
そう言って、左久夜は強引に、たい焼きを宗右真に持たせる。渋々といった顔で受け取った宗右真は、パクパクと、すぐに食べ終えてしまった。
「ねぇ、ソウちゃん。本当に無理はしないでね」
「しつこい」
「だって、一人で、突っ込んでいきそうなんだもん」
「それはこっちの台詞だよ。お前の方こそ、へっぽこのくせ、一人で突っ込んでいきそうで、俺は怖い。もし、お前に何かあったら、ナギさんに申し訳が立たない」
「それは、あたしも同じだから。ソウちゃんに、もしも何かあったら、あたし、」
左久夜は、宗右真を見つめる。
「あたし……」
そこでふと、宗右真の後ろ、こちらへ歩いて来る軍人が目に入った。東条だ。彼の姿に「あっ」と、思ったのも、つかの間。東条と一緒に歩いて来るのは、さらによく知る顔で。
「サヤ⁉」
その珍しい組み合わせに、びっくりした。
左久夜は、東条に挨拶すると、サヤ子の腕をぐいっと引っぱった。
「ねえ、どういうこと?」
離れた所で、左久夜はヒソヒソと尋ねる。
「サヤと東条さんって、そういう関係なの?」
「本屋へ行った帰りに、ばったり会っただけ。私は、ここで大福を買って帰るつもりだったから、それで一緒に来たの」
「あぁ、そう」
何だと、少しがっかりして、サヤ子から離れた左久夜だったが。
「それで、サクはどうだったの? 栄語の追試は、うまくいった?」
「サヤ!」
左久夜は慌てて、口元に人差し指を当てる。が、遅かった。
「おい」と、宗右真の低い声が響く。
東条と話をしていたんじゃなかったのか。振り向けば、バチッと目が合った。
「追試って、何だ?」
「話してなかったの?」
サヤ子の呆れたような声に、左久夜は小さくうなずいて答えた。
ぎゅうっと眉根を寄せた宗右真は、すぐに、「そういやぁ」と、反応する。
「ちょっと前に、栄語の試験がどうのこうの、言ってたな?」
左久夜はギクリとして、そろりと、宗右真から視線をそらした。
「あー……うん。その追試」
「その、追試? お前、まさか、落第点とったのか⁉」
左久夜がコクンとうなずけば、宗右真はガクンとうなだれる。
「なぁ、俺が今まで教えてきた時間は、どこに消えていったんだ?」
「それが、不思議なんだよねぇ」
「じゃねぇよ」
「でも、寝て起きたら、次の日には、すっきり、忘れてるんだもん」
「おい、何だ? お前の頭ん中には、脳みその代わりに、あんこが詰まってんのか? 食ってやろうか、ん?」
「ソウちゃん、ガラ悪い。軍の品位が問われるよ?」
「うるせぇ。そもそも、」
と、宗右真が言いかけた所で、「ぐふっ」と、のどに何かをつまらせたような音がした。
そちらに目を向ければ、東条が口に手を当てて、クスクスと笑っていた。
「おい、東条」
「いえ、他意はありません。仲良しだなぁと、思っただけです」
にこにこ笑う東条に、
「仲良し⁉」
左久夜と宗右真、二人は互いに顔を見合わせた。
左久夜だって、仲が悪いとは思っていない。むしろ、この先も、ずっと仲良しでいたい。けど、第三者から指摘されるのは、それはそれで、こっ恥ずかしい。
宗右真が黙りこくったまま、左久夜も何とも言えないでいると、東条が時計を取り出し、
「あ、そろそろ、軍に戻った方がいいですね」
さらりと話を変えた。
「じゃあな」
宗右真は東条と行ってしまった。
その後ろ姿を見送っていた左久夜は、ふと気がついた。サヤ子もまた、小さくなっていく後ろ姿を、じっと見ていることに。
やっぱり……と、左久夜は思う。先ほどサヤ子は否定していたけど。
「サヤ。東条さんのこと、気になってる?」
左久夜が尋ねると、サヤ子は、フルフルと首を振った。
「軍人さんは、ちょっとね……」
「東条さん、いい人だよ?」
「そういう問題じゃないの」
「じゃあ、どういう問題なの?」
左久夜が聞き返すと、
「……心配なのよ。軍人さんは、危険と隣り合わせでしょう?」
そう言って、サヤ子は目を伏せた。
「小さい頃ね、よく家に来て、お父様とお酒を飲んでいた人がいたの。とっても優しくて、私はその人が大好きだった。でも、突然、パタリと来なくなった」
「それって、もしかして……」
つぶやいた左久夜に、サヤ子はうなずく。
「殉職されたの」
「……そう」
「その後も、お父様が入院したり、橘のおじ様が大怪我をしたり、サクのお父さんも……ずっと、そういうのを見てきた。子供の頃は、まだ良かったのよ。どこかのご当主が怪我をしたって聞いても、顔が浮かばないことも多かったから。でも、今は違う。もっと、もっと身近になった」
サヤ子は、小さくため息をつく。
「兄様、ソウちゃん、白瀬君に紅緒ちゃん。そしてサクまで……幼なじみは、みんな、軍人さんだもの。心配だらけよ。そういうのは、もう、充分なの」
だからって、好きにならない訳じゃない。左久夜はそう思う。
でも……。
『ソウちゃんに、もしも何かあったら、あたし、』
……きっと、正気じゃいられない。
サヤ子の気持ちも、よく分かった。




