走れ、軍病院
この日、電話に出たのは、学校から帰って来たばかりの左久夜だった。電話局の交換手が、椿木寅からだと告げる。そのまま左久夜が応答すると、木寅は第一声に「大変だ!」と叫んだ。
「サクちゃん。大変なんだよ! 今日の討伐でソーマがやられた!」
「え?」
聞き返した受話器の向こう、「今日は本当! 真面目な話!」と早口に木寅は言う。
「今すぐ来られるか? 軍病院」
「分かった」
左久夜は母親に説明して、制服のまま家を飛び出した。
以前、左久夜が運び込まれた軍病院。その入り口で、木寅が待っていた。
「ト、トラちゃん。ソウちゃんは?」
息も切れ切れに、左久夜は尋ねた。
「大した怪我はないんだけどさ、脳しんとうを起こして運び込まれた」
頭を強く打ったから、様子見のために一日入院するらしい。その話を聞いて、ひとまず、左久夜は安心した。
「それで、だな。サクちゃん」
「うん?」
「ちょっと、話しておいた方がいいかなって。あ、こっちな。病室、ニ階だから」
案内されるまま、左久夜は病院の奥へと進んで行く。
木寅は歩きながら、今日は隣の管区の助っ人に行って来たんだと言った。
華族十三家は、軍の管区ごとに、十の地域に散らばって住んでいる。そのため、必要に応じて、近隣から召集される仕組みだった。
左久夜などは、単純に華族十三家を三十家くらいに増やせばいいと思うのだが。宗右真が言うには、十三家の機能を維持しつつ、これ以上の権力を持たせないための、必要最小限の人数らしい。大人の理論は面倒くさい。
「で、結論から言うと、ソーマな、新兵をかばって、代わりにぶっ飛ばされてさー。それで、頭打ったんだ」
「うん」
「ただ、ソーマのやつ、朝から、具合が悪そうにしてたんだよ」
「風邪か何か?」
聞き返した左久夜に、木寅は首を振って否定する。
「あいつ、この一週間で三日、あっちこっち助っ人に行ってたんだって。つまり、働きすぎ。この一週間だけじゃない。春先から、あいつの出張は、格段に増えてる」
「春って……あたしが当主になった、から?」
左久夜が言うと、木寅は今度は否定しなかった。
「これは、俺の勝手な推測なんだけど、ソーマが、あっちこっち助っ人行ってるのは、土蜘蛛を探してるんじゃないかな。あいつ、自分の手で、土蜘蛛を討とうとしてんのかもしれない」
「それって、あたしのせい? あたしがへっぽこだから?」
「というより、サクちゃんに無理をさせないため、かな? それと、もう一つ」
そこで木寅はふと足を止め、左久夜を見た。
「ナギさんの敵を討ちたいのは、サクちゃんだけじゃないってことだ。ソーマだって、もちろん、俺だって。ナギさんには、そりゃぁ、世話になったんだからさ」
「……」
言われて、左久夜はそのことに気がついた。
木寅が左久夜の頭にポンと、手を乗せる。その温かい手は、頭の上を二度跳ねて離れていった。
「だからな、サクちゃんも、あんまり無理はしないでくれ。サクちゃんが無理すると、それ以上の無理をするバカがいるんだから。な?」
左久夜はうなずいて、自分のことしか考えてなかったと反省する。
「はいっ。そーいうわけで、この話は終わり!」
パンッと手をたたいて、木寅は話を締める。かと思ったら、すぐそこにあった扉を開いて、その中へ左久夜を押し込んだのだった。
「え⁉ わっ! わっ!」
背中を強く押された左久夜は、転がるようにそこへ足を踏み入れていた。
何が何だか分からないうちに、
「ごゆっくり〜」
背中から木寅の声がして、パタンと扉が閉まる。
「トラちゃん。何なの?」
「うるせぇな」
左久夜が振り返って扉を叩いたのと、宗右真の声がしたのは、ほぼ同時。
「え?」
室内を向けば、寝台に宗右真がいた。
見た目に目立った傷があるわけでもなく、いつもと変わらない。 それどころか、左久夜を見るなり、宗右真はうんざりした顔になった。
「トラのやつ、お前にまで連絡したのかよ」
宗右真は舌打ちする。眼鏡をかけていないので、いつにも増して目つきが悪い。
左久夜は、備えのイスを持ってきて座った。
「大丈夫?」
尋ねると、宗右真はむっとした表情になる。まるで、すねた子供のようだった。
「大したことはない」
「……ごめんね」
「何だよ、突然」
「ソウちゃんが一人で土蜘蛛を、父様の敵を討とうとしてるんじゃないかって……あたしはへっぽこだし、それで色々、無茶させてるんじゃないかって」
「トラか」
「あたし、父様の敵を討たなきゃって。自分にできるのは、それだけだって。それしかなかった」
あれは、年が明けてすぐのこと。
桜の新しい当主が、中々、決まらずにいた中、軍の幹部が家に来た。これが最後通告であると。今度こそ、当主を決めてもらわなくてはならないと。そこで幹部の一人が、左久夜に継がせろと母に迫ったのだ。
『弟が継ぐまでの時間稼ぎでいい』
『能力が低くとも、鬼姫の器にくらいはなるだろう』
『桜の娘なら、そのくらいは役に立て』
酷い言われようだった。そして、その最後、彼は左久夜にこう尋ねてきた。
『君は、お父上の敵をとりたくはないのか?』と。
左希斗が今にも飛びかかりそうな顔でにらみつけていたのを、左久夜も覚えている。けれど、左久夜にとって、それは天啓のように思えた。
自分が当主になり、鬼姫の力を得て、父の敵を討つ。それが自分のやるべきことなのだ、と。
「けど、結局、あたし、ソウちゃんに負担をかけるばっかりで、」
そこで、宗右真が大きくため息をついて、左久夜の頭を軽くたたいた。
「負担なんて思ってもねぇよ。ナギさんのことは、お前だけのことじゃないんだ」
「うん」
左久夜は小さくうなずく。
「俺もお前と同じだ。ナギさんの敵を討ちたい。いや、必ず、絶対に討つ。俺が討たないと……あれは、俺の、」
「ソウちゃん?」
「なぁ、左久夜」
宗右真は布団をめくると、左久夜と向かい合うように体の向きを変える。その改まった様子に、左久夜は顔を見た。
「どうしたの?」
「あの日の話をしてもいいか?」
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。
あの日──それは、父の左々凪が殉職した日のことだろう。二人の間では、今まで一度も話したことはない話。
左久夜は深呼吸してから、うなずいた。




