十三家筆頭と元十三家
左久夜は、きょろきょろと辺りを見回す。薄暗い廊下に、ぽつんと一人。宗右真の姿はどこにも見えず、がくんとうなだれる。
(……お腹、空いた)
先ほどまで左久夜は、軍の訓練に参加していた。
新兵を対象とした魔術の訓練で、左久夜が参加できるよう、宗右真が頼み込んでくれたらしい。その訓練のあと、宗右真は『少し待ってろ』と、どこかへ行ってしまった。
(全然、少しじゃないし!)
置き去りにされてから、随分と経っていた。
心の中で一通りの文句を言ったところで、ようやく足音が聞こえてきて、左久夜は振り向く。
しかし、視線の先にいたのは、待ちかねた人物ではなかった。かといって、まったく知らない相手でもない。以前、三人組の男にからまれていたのを、助けてくれた人物だ。
「……こんにちは」
一瞬だけ迷って、先に会釈をしたのは左久夜の方だった。彼も左久夜に気づくと、柔らかく微笑む。
「あぁ、桜さん。こんな所で、また何か?」
「いえ。今日は訓練があって、先ほど終わったところです」
「でしたら、玄関まで送って行きましょうか?」
「人を待ってるんです」
左久夜が答えると、男は納得したようにうなずいて、言う。
「橘少佐ですか」
「はい」
「では、少佐がいらっしゃるまで、少しよろしいですか?」
「えぇっと……」
左久夜は答えに迷う。助けてくれたとはいえ、名前も知らない相手だ。
「あぁ、まだ名乗ってもいませんでしたね。大河内貴明と言います」
彼はよろしくと微笑んでから、
「一つ、あなたにお聞きしたいことがあったんですよ」
と、話を続けた。
「何ですか?」
「橘少佐とは、どういったご関係で? 許婚だという噂は、本当ですか?」
「は?」
あまりに突然で、左久夜はぽかんと聞き返す。
「少佐の許婚。そういった噂が、」
「ち、違います!」
慌てて、左久夜は、大河内の言葉を遮った。かぁっと、耳が上から熱くなっていく。子供の頃、一方的に『お嫁さんになる』宣言をしたことはあるけど。
「ぜ、ぜぜん、い、許婚なんて、違います!」
左久夜は必死に否定して、それから「そういえば」と、話を変える。
「橘少佐と大河内さんって、もしかして、士官学校の同期生ですか?」
「いえ。私は、少佐の一期下になります。でも、そうですね、私が本科へ入った頃には、少佐は有名人でしたよ」
大河内は、次々と宗右真の話を聞かせてくれた。
宗右真の士官学校時代のことなど、自分が知らない話は、左久夜の方も聞いていて楽しかった。
正直なところ、左久夜は大河内を少し苦手に思っていた。前に『女性が騒がしいのは感心しない』なんて、言われたからだ。
けれど話をするうちに、いつの間にか、そんな気持ちもなくなっていた。
また絡まれたりしないよう、話し相手になってくれているのかもしれない。左久夜は、そんなふうにも考えていたのだが。それもしばらくの間だった。
「……あの当時から、少佐に魔術で勝てる人間は、いませんでした。ですが、」
突然、言葉が切れたかと思ったら、大河内の顔からは笑みが消えていた。
「大河内さん?」
どうしたんだろう。左久夜がそう思った直後。
「左久夜」
その声に左久夜は、後ろを振り返る。ようやく宗右真が来た。
どれだけ待ったと思っているのか。
「遅い」
続けて文句を言ってやるつもりだったのに、言葉は引っ込んでしまう。
硬質な靴音を響かせ、宗右真がこちらへと歩いて来る。その顔が怖かった。怒っているようだが、左久夜には、その理由がまるで分からない。戸惑っているうちに、宗右真に腕を引っ張られた。一瞬で、左久夜は大河内から引き離され、先ほどまで左久夜がいた所には、宗右真が立っていた。
「な、何?」
見上げた宗右真の顔は、険しい。大河内をにらみつけるような眼差しだった。一方で、宗右真の肩越しに見た大河内は、笑みを浮かべている。
仲がよくないのかもしれないと、左久夜は思った。少なくとも、宗右真は大河内を嫌っているようだ。
「これはこれは、少佐殿」
「失礼する」
宗右真は大河内に素っ気なく言って、歩き出す。左久夜も、背中を押されて歩き出したが、これがかなりの早足だった。
「ねぇ、何なの?」
「とにかく、歩け」
宗右真が前を見たまま、ささやく。
左久夜は、気になって振り返った。大河内はまだあの場所に留まり、こちらを見ていた。
「見るんじゃねぇ」
「だから、何なの?」
「あいつは、葵の人間だ」
「青井? 大河内さんでしょ?」
「元華族十三家の、葵だよ」
「え? だって、葵って……」
自分たちの周りには、誰もいない。それでも左久夜は、自然と声を潜めていた。
「百年くらい前、葵家の当主が十二神将を使って、たくさんの人を殺して、それで、その当主は、ソウちゃんの……」
ちらりと宗右真を見ると、彼は小さくうなずく。
「うちの先祖が、十二神将ごと斬った。それで、葵は廃家となったが、当主には幼い息子が一人いて、その子供を引き取ったのが、遠縁で跡取りのなかった大河内家だ。つまり、あいつは葵の直系ということになる」
それには、左久夜も驚いたけれど。
「でも……別に、大河内さんは昔のこととは、関係ないじゃない?」
率直に言うと、宗右真がピタリと足を止めた。
「そもそも大河内ってのは、由緒ある伯爵家の、大金持ちで、事業も手広くやってたはずだ。それなのに、あいつはわざわざ術師として、軍に入って来やがった」
「大河内さんって、術師なの?」
「葵の直系だから、当然と言やぁ、当然なんだけどな。しかも、かなり優秀だ」
宗右真はそこで一旦、言葉を切って、小さなため息を挟んだ。
「軍の中には、十三家を特権だと非難する連中や、十三家不要論を唱える連中もいる」
「大河内さんが?」
「さあな。でも、大河内は多分、葵を廃家にした十三家を今でも恨んでる」
「でも、前に助けてくれたよ?」
「は? 何だ、それ」
宗右真に迫られ、左久夜は三人組に絡まれたことを、洗いざらいしゃべらされた。全部、話し終えると、宗右真は重苦しい息を吐き出す。
「……お前なぁ。いいか。京安女学院のセーラー服を着て、軍をうろついてるのは、桜の《《女当主》》だって、ほとんどの奴が知ってる。大河内もお前だと分かってて、助けたに決まってるだろ」
「そんなに悪い人には、」
言いかけた言葉を、「サク」と、宗右真が低く遮った。
「今後、あいつとは一切、関わるな。いいな?」
宗右真が左久夜の人間関係に、ここまで口出しすることは、なかった。
それだけ、要注意ということだろうか。
「……分かった。気をつける」
左久夜が答え、話は終わる。
それでも、まだ、空気が重い。宗右真はぴりぴりとしているようで。その空気を変えたくて、左久夜は話しかけた。
「この間、持って来てくれた『びすけっと』、おいしかったよ。でもね、最後は左希斗に横取りされたの」
最後の一枚を巡って、ケンカが起きたことを、おどけて話す。そこで、ようやく宗右真が笑った。
「じゃあ、これ、やる」
上着のポケットから何かを取り出し、左久夜にその手を向ける。そこにあったのは、拳よりも小さめの、紙に包まれたもの。
「何?」
「まんじゅう。同僚にもらった。温泉旅行の土産だとさ」
「ふぅん」
何の気なしに受け取ると、ほんのりと温かい。どれくらい、ポケットに入れていたのだろう。
(……ソウちゃんの体温、)
そう思うと、何と言うか、食べづらい。黙り込んだ左久夜の気も知らないで、宗右真はのんきに言う。
「訓練、疲れただろ? 食え。中は、こしあんらしいぞ」
「……うん。ありがと。うちに帰ってから食べる」
その頃には、普通のまんじゅうに戻っていることだろう。




