*縁談の相手
実家に戻った宗右真は、玄関で首をひねった。女物の、見慣れない草履がある。
突然の来客だろうか。
今日は、母親から一緒に食事をしようと、呼び出されていた。その際の指定で、わざわざ三つ揃いの背広を着て来たのだが。
まぁ、食事会が中止となったところで、一向に構わない。この年になって、家族団らんというのは正直、疲れる。
靴も脱がずに色々考えていると、伊佐木フミが出てきた。宗右真が生まれる前からこの家にいる乳母で、母親よりも怖い人物である。
「お帰りなさいませ、宗右真様」
「ただいま。客か?」
「はい。旦那様のご友人でございます。宗右真様もご挨拶を」
フミにそう言われれば、従わない訳にはいかない。
しかし、あの父に、女の友人なんていただろうか。『友人の奥方』の間違いではないのか。多少、引っかかりながらも、宗右真は彼女について、奥の座敷に赴いた。
「ただ今、戻りました」
宗右真は父に挨拶をしながら、向かいに座る客人を確認する。
そこにいたのは、華やかな着物に身を包んだ、愛らしい少女だった。年は、左久夜と同じくらい。
嫌な予感がした。そして嫌な予感というのは、往々にして、よく当たるもので。
「おぉ。宗右真、帰ったか。こちら、伊集院百合子さんだ」
「はじめまして」
彼女は目が合うと、ふわり、微笑む。続けて、彼女が名乗るのを、宗右真は苦々しく聞いた。
これはいわゆる、顔合わせではないか。
そのため、食事会を口実に呼び出されたのだと、宗右真は悟った。
父に目を向けると、わざとらしく咳払いをして、口を開く。
「あー、そのー、なんだ。先日、我が家にあった茶器を、こちらの伊集院伯爵にお譲りしてな。ほら、納屋に、ずっとしまってあった古い物があっただろう? あれだ、あれ。百合子さんは、たまたま、今日、その礼を持って来てくれたのだ」
宗右真は内心で舌打ちしつつ、笑顔を作って、百合子に挨拶をする。
約束を破ったのは、父の方。そう開き直った。
「それはそれは。私も今日はたまたま、荷物を取りに戻ったところでして。急いでおりますので、これにて失礼させていただきます。ごゆっくりどうぞ」
会釈をして、客間を出る。
伊集院百合子。
宗右真が、その名を聞いたのは去年の夏。その直後に、左々凪の殉職、左久夜の入院とあって、今の今まで存在を忘れていた。
宗右真は自分の部屋に入ってから、ネクタイを投げ捨て、畳に寝転がる。
橘の当主を継いだとはいえ、それはお役目においてのこと。この家で権力を持っているのは、依然、父であった。その父によって、結婚が決められたのなら、宗右真は従うしかない。
そのまま、怒鳴り込んでくるであろう父親を待っていると、しばらくして、ふすまが開いた。
「宗右真! 何だ、あの態度は。百合子さんに失礼だろうが」
父の右京と、そのあとから母の千鶴子が部屋に入って来た。百合子は帰ったのだろう。宗右真は体を起こし、言い返す。
「ナギさんの敵を討つまでは待って欲しいと、お願いしていたはずですが」
「そう言って、もう半年以上にもなるではないか」
「たった半年でどうにかできるほど、土蜘蛛は甘くはありません。父上もお分かりでしょう」
「宗右真。お前は橘の当主となった。妻をめとり、子をなすことも、その務め、」
そこで父親がはっとした顔で、宗右真を見た。
「まさか、お前が一人暮らしを始めたのは……あちらの家で、どこの馬の骨とも分からぬ女子を、囲っているのではあるまいな?」
突然、何を言い出すんだ、この父は。
宗右真が呆れていると、さらに右京は続けた。
「よいか、宗右真。結婚とは好いた女子とするものではない。家のためにするものだ」
それに、「まあ!」と、何とも大げさな声を上げたのは、母の千鶴子だった。
「なんと言うことでしょう! つまり、右京様は、わたくしを愛してらっしゃらないと、おっしゃるのね」
「え、あ、いや、それは、」
「わたくしは、今まで右京様をお慕いし、尽くして参りましたのに……右京様には、誰か他に思う方がおありなのね。うぅっ」
千鶴子は着物の袖口で目元を隠し、嗚咽をもらした。母が得意の泣き落としである。しかも、あからさまに嘘泣きなのだが。
父は母には弱い。
宗右真がちらりと目をやれば、案の定、右京は、あたふたとしていた。
「い、いや、違うぞ。千鶴子。誤解だ」
「何が誤解だと、おっしゃるんです? 右京様は、わたくしのことなど、愛してらっしゃらないのでしょう?」
「いや、だから」
「だから?」
「その、あ、愛している。千鶴子。お前しかおらぬ」
「まぁ、右京様。わたくしもあの頃から変わらず、お慕い申し上げております。うふふ」
母はけろっとした顔で、父の腕をとると、ピタリと寄り添う。
「これ、千鶴子。よさんか」
口ではたしなめながらも、いかめしい父の顔はゆるんでいた。
ここまで黙っていた宗右真は、最後の最後、我慢できずに小さな舌打ちを漏らす。
一体、何を見せられているか。この年になって、両親がイチャイチャしているのは、どうにも胸焼けがする。そして、これが一人暮らしを始めた本当の理由だとは、あまりに馬鹿馬鹿しくて言えるはずもない。
「父上も母上も、そういうことは、よそでやっていただけませんか?」
「あっ、いや、あれだ」
「結婚は、いずれします。ですが、今はナギさんの敵を取りたいんです」
「分かった。ただし、今年、いっぱいだ。あるいは、左々凪の敵を討つまで。それ以上は待たん。分かったな?」
「はい」
「では、伊集院家には、こちらからそのようにお願いしておこう」
「よろしくお願いします」
宗右真は頭を下げる。
それで、ようやく部屋から出ていってくれると思ったら、右京がふと振り返る。
「宗右真。くれぐれも、橘の意義を忘れるでないぞ」
そう言い残して、出て行った。
十三家筆頭としての、他の十二の家とは異なる役目。
一つは十二神将が暴走した時、その当主を斬ること。
そして、もう一つが、十二の家を守ること。
たった十三の家が、強大な武力を持っているのを気に食わない人間もいる。これまでも、十三家を失墜させようとする陰謀や策略が、様々あったという。
その対抗手段として、橘は政界、財界問わず、権力者との婚姻を繰り返してきたのだ。
「……意義、か」
宗右真は、ネクタイを拾い上げ、部屋を出る。
このまま家を出て行こうと、玄関で靴を履いていると、千鶴子がやって来た。こういうところは中々、勘のいい母親である。とはいえ、先ほどの茶番が、自分を助けるためなのか、本気なのかは、宗右真にもよく分からない。
「宗右真君。これ」
千鶴子が、風呂敷包みを差し出す。
「何ですか?」
「左久夜ちゃん、好きでしょう?」
「え、」
思わず、どきりとした。
「先日、いただいたものだけど。ビスケットという、西洋の焼き菓子ですって。左久夜ちゃん、甘い物が好きでしょう。持って行ってあげて」
「……あぁ」
正確に言うと、あんこだが。それを説明するのも面倒で、素直に受け取っておいた。




