緊急事態⁉
どうやって、宗右真に謝ろう。
左久夜は、朝から悩んでいた。昨日、『謝るのは明日にしよう』と先延ばしにしてしまったけれど。今日になったところで、すんなりといくものでもない。昨日のことは自分でもひどい八つ当たりだったと、自覚があるからなおさらだった。
電話にするか。
それとも、直接、家に行くか。
顔を見て謝りたいという気持ちは、左久夜にもある。栄語の宿題を持って行けば、それなりの口実になるだろう。でも、どんな顔をして会いに行けばいいのか。
かと言って、電話で謝るにしても、一方的に切られてしまう可能性だってある。
どちらにも決められず、グダグダしているうちに、どんどん時間だけが経っていった。
やっぱり、電話にしよう!
左久夜は受話器を上げ、電話機にあるハンドルをぐるぐる回す。十回ほど回せば交換手が出て、相手方とつないでもらうのだが。
ハンドルを何回か回したところで、息苦しくなってきて、ガチャンッと受話器を置いてしまった。
「…………はぁ」
バクバクする胸を押さえ、左久夜は大きく息を吐く。
深呼吸しては受話器を上げ、受話器を上げはまた下ろす。何度も何度も繰り返すが、なかなか決心がつかない。そんな時だった。木寅から電話があったのは。
左久夜は、相談してみようと電話口に出た。
「サクちゃん、緊急事態だ!」
その第一声で、吹き飛んでしまった。
「えっ? 何? どうしたの?」
「大変だ。今すぐ、ソーマの家に来てくれ!」
木寅が早口で、まくし立てる。
「何かあったの?」
「とにかく、大変なんだよ! 急いでくれ!」
詳しいことは何も言わず、そこで切れるものだから、不安がふくらむ。家を出る時には、気まずい思いは消えていた。
左久夜は、宗右真の家まで急ぐ。通い慣れた道、五分ほど走れば、鱗屋根の洋館が見えてくる。この洋館に、宗右真は一人で住んでいた。
勝手に中に入って、居間の扉を開ける。
「ト、トラちゃん。何がっ……」
部屋に飛び込むと、木寅は軍服姿でソファーにどかっと座っていた。大きなあくびをしながら、のんびりと手を上げる。
「おっはよぉ〜」
「えぇっと?」
左久夜は息を弾ませ、ぽかんと部屋を見回した。
てっきり宗右真に、何かあったのだとばかり思っていた。しかし、本人は、こちらも制服のシャツのまま、絨毯の上で寝ている。
むしろ大変なのは、部屋の状況だ。
いつもは、この板の間も、そこそこきれいに片づけてあるのだが。 座卓は食後のまま、食器や空き瓶が置きっぱなし。左久夜の足元にも『大吟醸 あまのさけ』の一升瓶が転がっている有り様。
「どうしたの、これ?」
「ん? あぁ、昨日、二人で飲んで、えぇーと、結局、何時まで飲んでたんだっけなー?」
木寅は、そこで二度目のあくびを挟んで、
「でな、サクちゃん。俺、もう帰らなくちゃいけなくてさー。ソーマの面倒よろしく」と、言った。
「え。何で、あたしが……」
左久夜が今さらながら、口を尖らせれば、木寅はニヤニヤと笑う。
「そんなこと言っちゃって〜。ソーマに何かあったんじゃないかって、すっ飛んで来たくせに〜」
それを見越して、電話であんなふうに言ったのだと左久夜は気がついた。こういう時、気心が知れている分、幼なじみというのはありがたくもあり、面倒くさくもある。
左久夜が答えないでいると、木寅はまた笑った。
「ごめん、ごめん。でも、本当に俺も帰らなきゃならないんだよ。サヤ子たちを百貨店へ連れて行く約束でさ。だから頼むよ。ね?」
そう頭を下げられたら、嫌とは言えなかった。
木寅は宗右真をソファに引っ張り上げると、次は左久夜に分厚い本を差し出す。
「はい、これ。サクちゃんに、ちょうどいいと思うんだ。貸してやるよ」
そう言われて、左久夜は反射的に手を伸ばしたものの、すぐに「えぇー」と、顔をしかめた。
分厚い本の表紙は、栄語で書かれていた。題名の単語一つ読むのも、すんなりとはいかない。
「マ、マギ……カ、ロ? キャル?」
「魔導石の研究論文だな」
「窓ぉ、席? 何それ?」
初めて耳にする言葉は、頭の中でそう変換されてしまって、左久夜は首を傾げる。
当然、木寅が説明してくれるものだと思っていたら。
「俺は、もう帰らなくちゃいけないから、中身はソーマに聞くといいよ」なんて、言うのだった。
これもまた、木寅の作戦だろうかと、左久夜は思う。
「……分かった」
左久夜は本を机に置いて、帰る木寅を玄関まで見送る。彼は上がり框に腰を掛け、靴を履きながら、呼んだ。
「なぁ、サクちゃん」
「うん?」
「俺さー、サヤ子とカノ子が大事なんだよ。年がちょっと離れてるせいかな。あいつらが可愛いくって、仕方がないんだ」
「トラちゃん、甘いもんね」
左久夜が笑うと、まあなと木寅も笑った。
「確かに俺も、甘やかしてる自覚はある。でもさー、妹は大事だろ。いつか、あいつらが嫁いで行っても、あいつらはずっと俺の妹で、困ってれば助けに行くと思う……でもさー、違うんだよ」
うなり声を上げ始めた木寅に、左久夜は何かあったのかと首をかしげる。
「それを、《《アイツ》》、全然、分かってないんだよな」
木寅は、ボソッと言って、うなだれた。こんなふうに、しょげている姿は珍しい。
(……兄妹げんかでもしたのかな?)
もしかしたら、相手はサヤ子かもしれない。普段は物静かな彼女だが、怒らせると、それはもう怖い。
左久夜がそんなふうに思っている間にも、木寅は何やらぶつぶつ言っている。
「真面目な顔して、ぼろぼろにされてもいいとかさー。そう言うのは違うんだよ。妹相手に普通は、そんな感情、抱かないっての……ホント、バカだよなー」
玄関のたたきに向かって、つぶやいた木寅は、最後に大きなため息をついた。
と、一転。木寅が「あっ、そーだ」と左久夜を振り返る。
「ソーマのやつがさー、サクちゃんに『すけこまし』とか『色魔』って言われたのを、すっげー、気にしてるみたいだから、ほどほどにしてやってくれ」
「それは、つい……」
言い淀んだ左久夜を、木寅は笑った。
「それと最後にもう一つ。ソーマはサクちゃんのこと、ちゃんと考えてるよ。ここだけの話、あいつはサクちゃんに、甘い。激甘なんだからな! まずは、あの栄語の本のこと、ソーマに聞いてみな」
そう言い残して、木寅は帰って行った。




