第99話:最強の引きこもり 〜ここが俺の楽園(エデン)だ〜
S区・相葉邸のリビング。
昼下がりの穏やかな日差しの中、俺、相葉湊の目の前には、黒く輝く巨大な物体が鎮座していた。
【政府特別支給品:スーパーコンピューター『富岳・改』個人用カスタムモデル】
先日、総理大臣と結んだ「S区不可侵条約」の報酬の一つ。
国家予算を注ぎ込んで開発された、世界に一台だけの究極のゲーミングPCだ。
「……すげぇ」
俺は震える手で電源ボタンを押した。
シュゥゥゥン……。
起動音すらしない。完全な静音設計。
だが、モニターには瞬時にOSが立ち上がり、デスクトップ画面が表示された。
七色に光る水冷パイプが、未来的な輝きを放っている。
「インストール、開始!」
俺は愛用のFPSゲーム『地獄の戦場』のアイコンをクリックした。
数百ギガバイトある大容量データだ。普通なら数十分はかかる。
——ピロン♪
【インストールが完了しました】
「はっや!?」
一秒。いや、コンマ数秒。
瞬きする間に終わっていた。
昨夜、家がデレて回線速度が神域に達したとは聞いていたが、ハードウェアの性能も合わさるとここまでとは。
「よし、早速プレイだ!」
俺はマウスを握った。
マッチング開始。戦場へ。
ヌルヌル動く。
画質設定を『ウルトラ』にしても、カクつきゼロ。
敵の動きが、スローモーションのように見える。
銃弾の軌道、爆発の粒子、背景の草木の揺れ……全てが鮮明だ。
「見える……! 見えるぞ!」
俺は歓喜した。
これが、スペックの暴力。
もはや、現実の視界よりも高解像度だ。
「あー、最高だ……」
一試合を終え(もちろん圧勝)、俺はチェアに深く沈み込んだ。
心地よい疲労感と共に、ふと部屋を見渡す。
そこには、完璧な世界が広がっていた。
足元では、愛犬のポチ(ケルベロス)が、モフモフの腹を天井に向けて爆睡している。
平和な寝息。
時折、寝言で「ワフッ(肉うめぇ)」と呟いている。
デスクの横では、フィギュアのアリスちゃんが、小さなティーセットでお茶を淹れてくれていた。
湯気の立つカップを、両手で一生懸命に差し出してくる。
「ありがとう、アリス」
一口飲む。
適温。甘さ控えめ。俺の好みを完璧に把握している。
そして、キッチンからは。
「ふふふ〜ん♪」
鼻歌と共に、トントンと包丁を叩く軽快な音が聞こえてくる。
住み込み家政婦(EXランク探索者)、銀条レイナちゃんだ。
漂ってくるのは、スパイスの効いたカレーの香り。
今日の夕飯は『ドラゴン肉の欧風カレー』らしい。
さらに、部屋そのものも。
窓から差し込む日差しが暑くならないように、自動でブラインドが調整され、エアコンの風が心地よく頬を撫でる。
家全体が、俺を全力で甘やかしてくれている。
「…………」
俺は、天井を見上げた。
思い返せば、三年前。
ダンジョンが発生し、世界が激変したあの日から、俺はずっとこの部屋に引きこもってきた。
外に出るのが怖かった。
人と関わるのが怖かった。
そして数日前。
Wi-Fiが切れたことで、俺の平穏は脅かされた。
モンスターに襲われ、ヤンキーに絡まれ、挙句の果てには世界を滅ぼす巨人と戦う羽目になった。
大変だった。
本当に、面倒くさかった。
——だけど。
「……完璧だ」
俺は呟いた。
戦ったからこそ、手に入れたものがある。
最強のPC。
最強の回線。
美味い飯を作ってくれる仲間。
そして、国家レベルで保証された、誰にも邪魔されない安息の地。
「これこそが……俺の求めていた楽園だ」
世界最強の力?
英雄の称号?
そんなものは、この心地よいソファと、冷えたコーラの前では無価値に等しい。
俺は、今、世界で一番幸せな引きこもりだ。
「ご飯できましたよー!」
レイナちゃんの明るい声が響く。
ポチがガバッと起き上がり、アリスが嬉しそうに飛び跳ねる。
「おう! 今行く!」
俺は立ち上がった。
世界を救う戦いは終わった。
これからは、この楽園を守りながら、堕落の限りを尽くす戦いが始まるのだ。
窓の外。
S区を囲む黒いフェンスの向こうには、復興に向かう東京の街並みが広がっている。
だが、その喧騒はここには届かない。
ここは、半径6畳の絶対聖域。
俺と、俺の大切なものだけが存在する、優しい世界。
「さて、腹ごしらえしたら、次はランクマッチで世界一位を目指すか」
最強の引きこもりは、ニカっと笑った。
その笑顔は、どんな英雄よりも晴れやかだった。




