第98話:ダンジョン(部屋)の声 〜我が家がデレた夜〜
S区・相葉邸、深夜二時。
祭りのような騒動が過ぎ去り、世界中が安堵の眠りについている頃。
リビングでは、新たな同居人たちが幸せな寝息を立てていた。
ソファの上では、ポチがヘソ天で爆睡している。
飾り棚の上では、アリスが小さな布団を被ってスリープモードに入っている。
そして、客間(元物置をリフォームした部屋)からは、レイナちゃんの健やかな寝息が微かに聞こえてくる。
「……ふぅ。静かだ」
俺、相葉湊は、一人起きていた。
ゲーマーにとって、深夜こそが活動時間だ。
だが今夜は、なんとなくゲームをする気分ではなかった。
俺は、アイスコーヒーを片手に、部屋の中をゆっくりと歩いた。
壁紙は少し煤けているが、レイナちゃんが綺麗に拭いてくれた。
床の傷も、ポチの爪痕も、俺にとっては愛着のある歴史だ。
「……ありがとな」
俺はふと、リビングの壁に手を当てた。
誰に言うでもなく、独り言が漏れる。
「お前も、3年間ずっと俺を守ってくれてたんだよな。外の世界が大変なことになってる間も、俺が気づかないように、ずっと」
この家は、ボロい木造住宅だ。
隙間風も吹くし、夏は暑くて冬は寒い。
だけど、ここが俺の城であり、俺の全てだった。
巨人の攻撃からも、世間の目からも、俺を守り抜いてくれた「相棒」。
「これからもよろしくな。……なんて、家に向かって何言ってんだか」
俺は苦笑いして、手を離そうとした。
——その時。
ドクン。
壁の奥から、心臓の鼓動のような振動が伝わってきた。
「え?」
地震か?
いや、違う。
振動は、俺の手のひらを通じて、温かい「熱」となって流れ込んでくる。
ブゥゥゥゥン……。
部屋全体が、低く、心地よい音色で鳴り始めた。
まるで、巨大な猫が喉を鳴らしているような音。
『……主ヨ……』
『……愛シイ……我ガ主ヨ……』
脳内に直接、声が響いた気がした。
言葉ではない。
絶対的な肯定と、親愛の情念。
「……お前、生きてるのか?」
俺は驚いて周囲を見渡した。
すると、信じられない現象が起きた。
カチッ。
エアコンが勝手に起動した。
吹き出してくる風は、冷たすぎず、ぬるすぎず。
今の俺の体温と湿度を完璧に計算し尽くした、「究極の適温」だ。
肌に触れる空気が、絹のように優しい。
さらに、PCの方から通知音が鳴る。
ピロン♪
俺はモニターを覗き込んだ。
回線速度の測定画面が表示されている。
【DOWNLOAD:測定不能(∞ Mbps)】
【UPLOAD:測定不能(∞ Mbps)】
【Ping:0 ms(固定)】
「は……?」
俺は目を疑った。
政府が引いてくれた軍事用回線でも、ここまでの数値は出ないはずだ。
「0ms固定」なんて、物理的にありえない。サーバーの横に住んでいても無理だ。
だが、試しに重い動画を再生してみると、読み込み(バッファ)という概念が存在しなかった。
クリックした瞬間に、既に再生が終わっているレベルの爆速。
「すげぇ……。未来予知でもしてるのか?」
俺が「見たい」と思ったデータを、先回りしてダウンロードしているとしか思えない。
壁が、またドクンと脈打った。
『……快適デスカ……?』
『……モット……便利ニ……』
部屋の隅の観葉植物が、ニョキニョキと伸びて、俺の座るソファの上に「木陰」を作ってくれる。
冷蔵庫が勝手に製氷し、コーラをキンキンに冷やし始める。
「……なるほど」
俺は理解した。
この家は、俺の感謝の言葉を聞いて、「デレた」のだ。
主のために、最高環境を提供しようと張り切っているのだ。
「……スマートホーム化が進んでるなぁ」
俺は感心して、壁を撫でた。
AI搭載住宅ってやつか。
最近の建築技術は魔法みたいだ。
「ありがとう。最高の環境だよ」
俺が言うと、部屋中の照明が一斉にパァッと明るくなり、すぐにまた落ち着いた間接照明(ムーディーな光)に切り替わった。
照れているらしい。可愛い家だ。
「よし! これならあと50年は戦える(引きこもれる)!」
俺はガッツポーズをした。
衣食住に加えて、住環境そのものが味方についた。
もう何も怖くない。
俺はPCの前に座り直した。
爆速回線で、世界中の猛者たちと戦うために。
窓の外では、S区を囲む結界が、以前より遥かに強固で、美しい虹色の光を帯びて輝き始めていた。
それは、世界中のどんな核シェルターよりも安全な、神の加護そのものだった。
夜は更けていく。
最強の家主と、最強の家。
二つの魂(?)が共鳴し、S区の夜はかつてないほど穏やかに過ぎていった。




