第96話:世界のその後 〜S区は今日も観光日和です〜
世界を滅亡の淵から救った「S区防衛戦」から、一週間が経過した。
東京都S区。
かつては「魔境」「地図から消された場所」と恐れられたその地は今、日本で——いや、世界で最も熱いスポットへと変貌を遂げていた。
ザワザワザワ……。
S区の境界線に設置された、高さ五メートルの黒いフェンス。
『国家指定・特級聖域』と記された厳重なゲートの前には、早朝から長蛇の列ができていた。
「ここが……伝説の地か」
「空気が……空気が美味しいわ!」
「見て! あそこの雑草、光ってる!」
観光バスから降りてきた人々が、フェンス越しに中の景色を拝んでいる。
彼らは、世界中から訪れた「巡礼者」たちだ。
フェンスの外側には、屋台が並び、怪しげな土産物が売られている。
『S区の空気(缶詰)』『魔王饅頭』『レプリカ・サンダル(ゴム製)』。
飛ぶように売れていた。
人々はフェンスに向かって手を合わせ、祈りを捧げる。
「ありがたや、破壊神様……」
「ジャージの神様、どうか我が家の家内安全を……」
「(受験に受かりますように……)」
彼らが拝んでいるのは、フェンスの遥か奥に屋根だけが見える、古びた一軒家——相葉邸だ。
あそこには、神が住んでいる。
世界をスリッパで救った、偉大なる「引きこもり神」が。
◇ ◇ ◇
その頃、テレビの経済ニュースでは、アナウンサーが興奮気味に語っていた。
『——続いてのニュースです。通称「S区バブル」の影響により、日経平均株価は過去最高値を更新し続けています』
画面には、右肩上がりのグラフが表示されている。
『先日、S区から回収された廃棄物——通称「神の落とし物」の研究が進み、新たな魔導エネルギー技術が確立されました』
『これにより、日本のエネルギー自給率は1000%を超え、余剰分の輸出により莫大な利益が生まれています』
コメンテーターが頷く。
『ええ。あそこから排出された「ドラゴンの鱗」一枚で、発電所一基分のエネルギーが取れますからね。まさに現代の錬金術ですよ』
『さらに、S区周辺の農地では、聖域から流れてくる「風」の影響で、野菜が通常の十倍の大きさで収穫されているとか』
『食べて応援、ならぬ、吸って健康、ですね』
S区から漏れ出る魔素は、かつては猛毒だったが、湊とポチ、そして庭の植物たちが「浄化」し続けた結果、今や「超高濃度のマイナスイオン(生命力)」へと変質していたのだ。
フェンスの周りで深呼吸するだけで、持病が治ったという報告が後を絶たない。
世界は変わった。
たった一人の青年の、無自覚な生活排水(ゴミと呼気)によって。
◇ ◇ ◇
——そして、聖域の中心。相葉邸。
「ふわぁ……。よく寝た」
俺、相葉湊は、いつものように昼過ぎに目を覚ました。
カーテンの隙間から、明るい日差しが差し込んでいる。
「今日もいい天気だな」
俺は窓を開けた。
心地よい風が入ってくる。
窓ガラスは、先日レイナちゃんが手配してくれた業者によって、ピカピカの新品(対魔力防弾ガラス)に交換されている。
庭の穴も綺麗に埋め戻され、以前よりも青々とした芝生が広がっている。
「……ん?」
俺は遠くを見た。
フェンスの向こう側に、豆粒のような人影がたくさん見える。
「うわ、すごい人だ」
俺は目を丸くした。
フェンス沿いに、びっしりと人が並んでいる。
なんか、手を合わせたり、こっちに向かってカメラを構えたりしている。
「……ピクニックか?」
俺は首を傾げた。
最近、S区周辺は緑化が進んで、空気が綺麗になったらしいからな。
都会の喧騒を離れて、廃墟の静けさを楽しみに来ているのだろう。
ソロキャンプとか流行ってるし。
「楽しそうで何よりだ」
俺は微笑ましく思った。
俺の家の周りが賑やかになるのは、防犯上も悪くない。
人の目があれば、泥棒(悪徳ギルド)も入りにくいだろうし。
「ま、俺の敷地(結界内)に入ってこなければ、何してくれてもいいけどね」
俺は寛大だった。
なにせ、今の俺は満たされている。
背後を振り返る。
そこには、政府から贈呈された『超高性能ゲーミングPC(スーパーコンピューター直結)』が鎮座している。
七色に光るファン。水冷式の静音ボディ。
そして、モニターに表示されたPing値は『0ms』。
「完璧だ……」
俺はうっとりと呟いた。
これさえあれば、俺はあと百年は戦える。
「師匠、お目覚めですか?」
部屋のドアがノックされ、エプロン姿のレイナちゃんが入ってきた。
手にはお盆。
焼きたてのクッキーと、アイスコーヒーが乗っている。
「おはようレイナちゃん。外、すごい人だね」
「はい。皆様、師匠の威光を浴びようと集まってきているようです」
「威光? ああ、日向ぼっこか」
俺は納得して、クッキーを手に取った。
サクッ。
美味い。
世界樹の粉末が入っているのか、噛むたびにMPが回復する気がする。
「平和だなぁ……」
俺はコーヒーを飲みながら、窓の外の群衆を見下ろした。
彼らが俺を拝んでいるとは露知らず、俺は「みんな暇だなぁ」と悠長に構えていた。
世界は激変した。
けれど、俺の部屋だけは、相変わらず平和で、怠惰で、最高に居心地がいい。
これこそが、俺が戦って(布団叩きを振るって)守り抜いた日常なのだ。




