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第93話:S区特別自治区 〜世界平和よりPing値が大事〜

 S区・相葉邸の玄関。

 ドアチェーンの隙間から覗く俺、相葉湊と、直立不動の御子柴総理大臣。

 その間には、張り詰めた緊張感(と、俺のコミュ障による気まずさ)が漂っていた。


「……あー、その」


 俺は視線を泳がせた。

 総理の背後には、レイナちゃんがニコニコと立っている。

 彼女が「大丈夫」と言うなら、逮捕されることはないのだろう。

 たぶん。


「では、改めて提案させていただきます」


 総理が、恭しく一枚の書類を隙間から差し出した。

 そこには、俺の想像を絶する文字が並んでいた。


 【国民栄誉賞の授与】

 【S級特別国家顧問への就任要請】

 【報奨金:非課税100億円】

 【東京都心・超高級タワーマンション(最上階)の贈呈】


「うわぁ……」


 俺はドン引きした。

 重い。あまりにも重すぎる。

 100億は魅力的だが、顧問就任とか、タワマンへの引っ越しとか、生活環境が激変するのは困る。

 俺はこのボロ家(実家の離れ)が好きなんだ。

 それに、こんなの貰ったら、一生マスコミに追い回される人生確定じゃないか。


「……いりません」


 俺は書類を押し返した。


「えっ!?」


 総理が目を見開く。


「ご、ご不満でしょうか!? では、予算を倍に……いや、北海道の土地を差し上げても構いません!」

「いえ、そういうことじゃなくて」


 俺は溜息をついた。


「目立つのが嫌なんです。僕はただ、静かにゲームをして暮らしたいだけなんです」

「あと、引っ越しも面倒くさいので」


 俺の言葉に、総理が絶句する。

 そして、震える声で呟いた。


「……なんと。富も、名誉も、権力も……全て『面倒』と切り捨てられるか」

「真の賢者とは、これほどまでに無欲なものなのか……!」


 総理の中で、俺の評価が「危険分子」から「聖人君子」へと爆上がりしていくのが分かる。

 いや、ただの怠惰なニートなんだけど。


「で、でもですね、総理」


 俺は、ここぞとばかりに切り出した。

 向こうが「何でもあげる」と言っているのだ。

 いらないものは断り、本当に必要なものだけを要求するのが賢い交渉術だ。


「僕からも、いくつかお願いがあるんですけど」


「な、なんでしょうか!? 何なりと! 法をねじ曲げてでも叶えます!」


 総理が食いついてきた。

 よし、言っちゃえ。


「まず一つ目。この家の周り、もっと静かにしてください」


 俺はフェンスの方角を指差した。


「最近、観光客とかヘリコプターとかが多くて、昼寝もできないんです。だから、半径……そうだな、1キロくらいは誰も入れないようにしてくれませんか?」


「承知いたしました!」


 総理が即答する。


「直ちにS区全域を『国家聖域サンクチュアリ』に指定し、特別措置法を制定します! 自衛隊と警察を動員し、一般人の立ち入りを完全封鎖! 鳥一匹通しません!」


「(鳥は通していいけど……まあいいか)」


 これで安眠は確保された。

 次、二つ目。これが一番重要だ。


「この家、インフラが弱いんです」


「インフラ、ですか?」


「はい。ここ、田舎なんでネット回線がたまに不安定になるんです。昨日の夜も切れちゃって、ランクマッチで負けました」


 俺は切実に訴えた。

 FPSゲーマーにとって、回線速度(Ping値)は命より重い。

 ラグで撃ち負ける悔しさは、世界滅亡の絶望に匹敵する。


「だから、もっと強くて速い回線を引いてください。国が持っている一番いいやつを」

「あとついでに、電気とガスと水道も、止まらないようにしてください。料金は……えっと、安くして貰えると助かります」


 俺の上目遣いのお願いに、総理は数秒間ポカンとしていたが、やがて顔を真っ赤にして頷いた。


「わ、分かりました! 承りましょう!」


 総理が後ろの側近に指示を飛ばす。


「聞いたか! 直ちに通信各社に連絡! この家まで、スーパーコンピューター『富岳』直結の軍事用光ファイバーを引け!」

「電力は専用の変電所を建設し、直通ルートを確保! 生涯無料だ!」

「ネット回線のPing値は、常時『1ms』以下を維持させろ! 一瞬でもラグが発生したら担当者の首が飛ぶと思え!」


「えっ、そこまで!?」


 俺はビビった。

 軍事用回線? 専用変電所?

 やりすぎだろ。

 でも、「Ping値1ms以下」という言葉には心が踊った。

 夢の神回線環境だ。


「あ、ありがとうございます! 助かります!」


「い、いえ! 世界を救った対価としては安すぎます!」


 総理は恐縮しきりだ。

 よし、これなら最後のお願いも通るだろう。


「あと、もう一つだけ」


 俺は少し言い淀んだ。

 これは、個人的な欲望丸出しのお願いだからだ。


「通販の荷物……特に、新作ゲームとフィギュアなんですけど」

「はい」

「あれ、たまに『配送不可』とか『遅延』になることがあるんです。それを、発売日に必ず届くようにしてもらえませんか?」


 S区は危険地帯だから、普通の配送業者は来てくれない。

 YAMAZONの剛田さんのようなプロは稀だ。

 だが、発売日にプレイできないゲーマーの悲しみは深い。


「……お安い御用です」


 総理は胸を叩いた。


「物流各社に要請……いえ、命令を出します。相葉様宛の荷物は『国家最優先指定物資』として扱い、パトカー先導で、何があろうと指定時間にお届けさせます!」

「もし業者が行けない場合は、自衛隊の輸送機を使っても構いません!」


「輸送機でゲームソフトを!? すごいな!」


 俺は感動した。

 これが権力の力か。

 引きこもり生活の質(QOL)が、天井知らずに上がっていく。


「交渉成立ですね、総理!」


 俺は嬉しくなって、ドアチェーンを外した。

 ガチャリ。

 ドアを全開にし、総理の手を握る。


「ありがとうございます! これで安心して引きこもれます!」


「は、はい……! こちらこそ、日本の平和を守っていただき……!」


 総理は涙目で俺の手を握り返した。

 

 こうして、日本政府とS区の魔王(俺)の間に、歴史的な『S区特別自治区協定』が締結された。


 その内容は、世界中が注目する中で発表されたが、その実態は「最強の引きこもり環境の整備」でしかなかった。

 だが、国民はそれを好意的に受け入れた。


 『英雄には、静かな安息が必要だ』

 『彼がゲームをしている限り、世界は平和なのだから』


 ◇ ◇ ◇


 交渉を終え、総理たちが帰っていく。

 俺はホクホク顔でリビングに戻った。


「やったぞアリス! 今日から電気代タダだ!」

「ネットも爆速になるって!」


 アリスが万歳ポーズをする。

 ポチも嬉しそうに吠える。


 窓の外では、早くも国の特別工事部隊が、光ファイバーの敷設工事を始めているのが見えた。

 仕事が早い。


「ふふふ……。完璧だ」


 俺はソファに寝転がった。

 全ての憂いは消えた。

 これぞ、俺が求めていた理想郷エデン


 ……そう思っていた俺の視界に、一人の人物が入ってきた。


「師匠。お喜びのところ恐縮ですが」


 銀条レイナちゃんが、真剣な顔で立っていた。

 彼女は総理と一緒に帰らなかったのか。


「なに? レイナちゃんも、お礼が欲しい?」

「いえ。逆です」


 レイナちゃんは、玄関に置いてあった自分の大きなボストンバッグを引きずってきた。

 そして、その場で正座し、深く頭を下げた。


「私を……この家で飼ってください!!」


「……はい?」


 俺の思考が停止した。

 飼う?

 人間を?


「違います、ペットではありません! 私は……そう、『家具』になりたいのです!」


 最強の引きこもり生活に、最後の(そして最大の)異物が混入しようとしていた。

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