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第92話:政府との協定 〜総理大臣、門前払い〜

 バラバラバラバラ……!!


 S区・相葉邸の上空。

 瓦礫の山と化した庭に、凄まじい風圧と共にヘリコプターが降下してきた。

 機体には日の丸のマーク。

 さらに、破壊されたフェンスの隙間から、黒塗りの高級セダンが数台、厳かに滑り込んでくる。


「うわぁ……。なんかすごいの来た」


 俺、相葉湊は、半壊したベランダの手すりにしがみつきながら、その光景を眺めていた。


 車から降りてきたのは、耳にイヤホンをした屈強なSPたち。

 彼らはテキパキと周囲を警戒し、そして——あろうことか、瓦礫の上に「真紅の絨毯レッドカーペット」を敷き始めたのだ。


「え? なに? 映画の撮影?」


 俺が呆気にとられていると、リムジンのドアが開き、一人の初老の男性が降り立った。

 仕立ての良いスーツ。

 整えられた白髪。

 そして、テレビのニュースで毎日のように見かける、あの顔。


「……そ、総理大臣!?」


 俺は叫んだ。

 御子柴みこしば総理だ。日本のトップだ。

 なんでそんな雲の上の人が、こんな廃墟(我が家)に来るんだ?


 総理は、まっすぐに俺の家を見上げ、神妙な顔つきで何かをSPに指示している。

 そして、ゆっくりと玄関の方へ歩き出した。


 俺の脳内で、警報が鳴り響く。


 【警告:権力者が接近中】

 【予測される事態:説教、尋問、逮捕、賠償請求】


「ひっ……!」


 俺は震え上がった。

 昨夜の騒動だ。

 布団叩きで「うるせぇ!」と叫んで暴れた件が、国家レベルの問題になったんだ。

 騒音公害? 器物破損?

 いや、あの巨人が外国の要人(?)だったとしたら、国際問題か!?


「やばい。マジでやばい」


 俺はパニックになった。

 総理大臣直々に怒りに来るなんて、死刑宣告も同然じゃないか。


「……逃げなきゃ」


 いや、囲まれている。逃げ場はない。

 ならば、戦術は一つ。

 引きこもりの最終奥義——『居留守』だ。


 俺はベランダから部屋に飛び込み、雨戸をピシャリと閉めた。

 一階へ駆け下り、玄関の鍵、チェーン、U字ロックを全てかける。


「アリス、ポチ! 隠れてろ! 偉い人が怒りに来たぞ!」


 俺はリビングの電気を消し(停電中だけど)、息を潜めて玄関ホールにうずくまった。


 ◇ ◇ ◇


 ——玄関前。


 御子柴総理は、緊張で喉を鳴らした。

 目の前にあるのは、世界を救った英雄の住処。

 だが、その扉は固く閉ざされ、雨戸まで閉められてしまった。


「……拒絶、か」


 総理は冷や汗を拭った。

 無理もない。

 国は、彼を「S区の危険分子」として監視し、フェンスで囲い込んでいたのだ。

 彼からすれば、我々は「敵」に見えても仕方がない。


「だが、引くわけにはいかん。ここで誠意を見せなければ、日本は終わる」


 総理は覚悟を決め、インターホンを押した。


 ピンポーン。


 沈黙。

 応答はない。


「……相葉湊様。内閣総理大臣の御子柴でございます」


 総理は、ドアに向かって深々と頭を下げながら語りかけた。


「昨夜の件につきまして、日本政府を代表して、感謝と……そして非礼のお詫びに参りました」

「どうか、お目通り願えないでしょうか」


 静寂。

 SPたちが緊張で銃のグリップを握りしめる。

 もし彼が機嫌を損ねて攻撃してくれば、我々は一瞬で消滅する。


 数分後。

 ドアの向こうから、ガサゴソという音がした。

 そして、スピーカーから、震える声が聞こえてきた。


『……か、帰ってください』


「ッ!」


 総理が顔を上げる。


『うちは何もしてません! 昨日の夜は、ちょっと虫の居所が悪くて暴れちゃいましたけど、反省してますから!』

『壺も買いません! 新聞も取りません! NH〇も払ってます!(親が)』


 必死の拒絶。

 だが、総理の耳には、その言葉は全く別の意味に聞こえていた。


(……なんと)


 総理は戦慄した。

 『何もしていない』だと?

 世界を滅ぼす「終焉の王」を討伐しておきながら、それを「何もしていない」と言い切るのか。

 あの大激闘を、「虫の居所が悪かった」程度の小事として片付けるのか。


(これが……超越者の視点……!)


 俗世の権力(総理大臣)など、彼にとっては新聞の勧誘と同レベルの煩わしさでしかないのだ。

 「帰れ」という言葉は、彼の高潔さの証明。


 総理は、さらに深く頭を下げた。


「滅相もございません! 壺などを売るつもりは毛頭ありません!」

「ただ、貴方様の偉業に対し、国として報いたいのです! どうか、ドアを開けていただけないでしょうか!」


 ◇ ◇ ◇


 ——家の中、湊の視点。


(しつこいなぁ……)


 俺はドアに背中を預けて頭を抱えた。

 総理大臣、めっちゃ食い下がってくるじゃん。

 「報いたい」ってなんだ?

 「法で裁きたい」ってことか? 裁判所への出頭命令か?


「……あの、本当にいいんです」


 俺はドア越しに訴えた。


「賞状とか、感謝状とか(逮捕状とか)、そういう紙切れはいりません」

「僕はただ、静かに暮らしたいだけなんです」


 有名になりたくない。

 ニュースで晒されたくない。

 刑務所に行きたくない。


「お願いですから、放っておいてください……」


 俺の声は、半泣きだった。


 ——その時。

 外から、聞き覚えのある声がした。


「師匠。……私です、銀条レイナです」


「えっ? レイナちゃん?」


 俺は耳を疑った。

 なんでレイナちゃんが総理と一緒にいるんだ?

 まさか、彼女も参考人として連行されてきたのか?


「師匠、ご安心ください。総理は、師匠を逮捕しに来たのではありません」


 まるで俺の心を読んだかのような言葉。


「彼らは、師匠に『謝礼』をしたいだけなのです。お金や、物資や、権利……。師匠が望むものを、何でも差し上げたいと」


「……え?」


 俺はドアに耳を押し当てた。


「何でも?」


「はい。何でもです」


 俺の脳内で、電卓が弾かれた。

 何でも。

 つまり、割れた窓ガラスの修理代も?

 ボコボコになった庭の整備費も?

 溶けたアイスの代金も?


(……もしかして、怒られるんじゃなくて、本当に褒められるやつ?)


 少しだけ、警戒心が解ける。

 相手は国だ。金払いはいいはずだ。

 ここで意固地になって損をするより、貰えるものは貰っておいた方が、今後の引きこもりライフにはプラスかもしれない。


 俺は意を決して、立ち上がった。


「……チェーン越しなら、いいですよ」


 俺はゆっくりと鍵を開けた。

 ガチャリ。

 ドアを数センチだけ開ける。


 隙間から見えたのは、直立不動で待機する総理大臣と、その後ろでニコニコと手を振るレイナちゃんの姿だった。


 ここから、日本国と引きこもりの、歴史的な交渉が始まる。

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