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第91話:英雄への土下座 〜世界平和よりガラス修理〜


 S区・相葉邸の庭(跡地)。

 朝日が差し込む瓦礫の山に、三つの人影が走っていた。


「師匠ーーッ!!」

「Master!!」

「湊様ァァァッ!!」


 銀条レイナ、ジャック・バーン、そして剛田猛。

 人類最強の戦力でありながら、最後はただ見守ることしかできなかった三人が、半壊したベランダに立つ湊の元へ駆け寄る。


 湊は、朝日を背に仁王立ちしていた。

 腰にバスタオル、頭に手ぬぐい。

 右手には折れかけたハエ叩き。

 その姿は、神々しいというよりは、銭湯帰りの大学生そのものだったが、彼らの目には「光の巨人」に見えていた。


「師匠……! ご無事ですか!?」


 レイナが、ベランダの下で膝をつき、涙ながらに見上げた。


「信じられません……。あの『終焉の王』を、単独で、しかも無傷で……!」

「Oh, God... You saved the world... You saved us all!(神よ……あなたは世界を、俺たち全員を救ったんだ!)」


 ジャックがサングラスを外し、敬礼する。

 剛田に至っては、地面に額をこすりつけて号泣している。


「あ、ありがとうございますぅぅ! これで明日も荷物が運べますぅぅ!」


 感謝。崇拝。畏怖。

 世界中からの称賛を一身に浴びる英雄、相葉湊。


 彼は、ゆっくりと口を開いた。


「……あー、みんな無事だったか」


 その第一声に、全員が耳を澄ませる。

 どんな含蓄のある言葉が、あるいは勝利の宣言が飛び出すのか。


 湊は、困ったようにポリポリと頬を掻き、言った。


「でさ、相談なんだけど」

「は、はいッ! なんなりと!」


「誰か、ガラス屋さん知らない?」


 ——ズコーッ。

 全員が心の中でコケた音がした。


 ◇ ◇ ◇


 ——湊の視点。


 俺は必死だった。

 世界を救ったとか、そんなことはどうでもいい。

 目の前にある「現実的な損害」の方が大問題だ。


 俺は、背後の割れた窓ガラスを指差した。


「見てよこれ。派手に割れちゃってさ」

「これから梅雨だし、台風も来るだろ? 早く直さないと、部屋が水浸しになっちゃうんだよ」


 切実な悩みだ。

 スマホの充電が切れて検索もできない今、頼れるのはこの「現場に居合わせた人たち」だけだ。

 彼らは強そうだし、顔も広そうだ。いい工務店を知っているかもしれない。


「あと、庭もボコボコだし……。これ、現状復帰するのにいくらかかるんだろ?」


 俺はクレーターだらけの庭を見下ろし、溜息をついた。

 敷金が返ってこないどころか、追加請求されるレベルだ。

 犯人(黒い巨人)は逃げちゃったし、泣き寝入りするしかないのか?


「ねえ、こういうのってさ……保険降りるのかな?」


 俺はレイナちゃんに尋ねた。

 火災保険とか家財保険とか、親が入っててくれないかな。

 『巨人が来て暴れました』って申請して通るだろうか。


 ◇ ◇ ◇


 ——レイナの視点。


(……なんと)


 レイナは、感動で震えていた。

 この御方は、人類滅亡の危機を救った直後に、ガラスの心配をしている。


 普通なら、「世界を救ってやったぞ」と驕り高ぶる場面だ。

 だが、湊は違う。

 彼にとって、神話級の戦いなど「窓ガラスが割れる程度のトラブル」に過ぎないのだ。


(これが……『日常』を守るということ……!)


 レイナの中で、勝手な解釈が爆走する。


 あの方は教えてくれているのだ。

 英雄的な行為よりも、壊れた窓を直し、庭を整え、日々の生活を営むことこそが、人間にとって最も尊い営みであると。

 「ガラス一枚の価値は、世界の命運と等価である」と!


「……師匠」


 レイナは涙を拭い、立ち上がった。

 その瞳には、決意の炎が宿っている。


「ご安心ください! そのガラス、私が責任を持って手配いたします!」


「えっ、マジ?」


「はい! 最高級の……そう、核シェルターにも使われる『対魔力強化防弾ガラス』を! サッシはオリハルコン製で!」

「庭の修復も、日本一の造園業者を呼び寄せ、元通り……いえ、それ以上に美しく整備させます!」


 レイナは胸を張った。

 Sランク探索者の資産とコネクションを使えば、家一軒建て直すなど造作もない。

 国家予算を使ってでも、この聖域を修復してみせる。


「お金の心配は無用です! これは、私たち人類をお救いいただいた、ほんの些細な恩返しですから!」


「……!」


 湊の顔がパァッと明るくなった。


「いいの!? タダで!?」

「もちろんです!」

「やったぁ! ラッキー!」


 湊は無邪気にガッツポーズをした。

 

(ああ……なんて無欲な笑顔……)


 数十兆円の経済効果を生む偉業を成し遂げておきながら、窓ガラスの修理代が浮いただけで、これほど純粋に喜べるとは。

 レイナは改めて、一生ついていこうと心に誓った。


 ジャックも剛田も、深く頷いている。


「I'll pay for the garden.(庭代は俺が出そう)」

「配送ルートの整備は俺に任せてください!」


 皆が、湊のために動こうとしている。


 湊は、ホッとした表情でベランダの手すり(ひしゃげている)に寄りかかった。


「よかったぁ……。これで母さんに怒られずに済む」


 その言葉に、レイナたちは再び涙した。

 世界の王よりも、母親を恐れる謙虚さ。

 この男こそ、真の聖人だ。


 ——だが。

 彼らの感動タイムは、空からの騒音によって遮られた。


 バラバラバラバラ……!!


 上空から、数機のヘリコプターが接近してくる。

 機体には、日本国旗と『内閣府』の文字。


「……ッ! 政府か!」


 レイナが警戒態勢に入る。

 ついに、国が動いたのだ。

 この聖域を管理下に置こうとするのか、それとも——。


 湊が、嫌そうな顔で空を見上げた。


「うわ、なんか偉そうなヘリが来た。……工事の騒音で苦情言いに来たのかな?」


 最強の引きこもりVS日本政府。

 最後の戦い(交渉)が、始まろうとしていた。

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