第87話:ハエ叩き(神殺しモード) 〜息が臭いので扇ぎました〜
S区・相葉邸の瓦礫の山。
終焉の王は、屈辱に震えていた。
『……ヌゥゥゥ……』
放った無数の「闇の槍」は、全て弾かれた。
それも、魔法障壁や聖剣によってではない。
目の前の人間が持つ、安っぽいピンク色のプラスチックの網(ハエ叩き)によってだ。
ありえない。
自分の攻撃は、概念そのものを侵食する絶対の死だ。
それが、物理的に「はたき落とされた」などと。
『……小癪ナ……』
『……認メヌ……』
王の巨体が、大きく仰け反った。
周囲の空間が歪み、S区の空気が一気に薄くなる。
全魔力を、一点に集中させる。
槍が通じぬなら、消し飛ばすまで。
家ごと、S区ごと、この島国ごと。
ゴオオオオオオオオオッ……!!
王の口(裂け目)が限界まで開かれた。
その深奥に、赤黒い極光が収束していく。
それは、文明をリセットするために用意された、王の最大火力。
【終焉の咆哮】
触れた物質を原子分解し、魂さえも虚無へと還す、回避不能の熱線。
「——っ!!」
後方で倒れていた銀条レイナが、悲鳴を上げた。
「師匠ッ!! 逃げてくださいッ!!」
「あれは防げません! 物理攻撃じゃない! 純粋な『死』のエネルギーです!」
ジャック・バーンも、青ざめた顔で叫んだ。
「Master! Dodge it! That's a nuke!(師匠! 避けろ! あれは核弾頭だ!)」
終わる。
誰もがそう確信した。
あの光が放たれれば、相葉湊という存在は影も残さずに消滅するだろう。
——だが。
当の湊は、あろうことか一歩前に出た。
「ん? なんだ?」
湊は鼻をひくつかせた。
そして、心底嫌そうな顔で顔をしかめた。
◇ ◇ ◇
——湊の視点。
「うわっ、くっさ!!」
俺は鼻をつまんだ。
目の前の巨人が口を開けた瞬間、強烈な悪臭が漂ってきたのだ。
生ゴミを真夏の炎天下で放置して、さらにドブ川の水をかけたような臭い。
(こいつ、絶対歯磨きしてないだろ……)
(それとも、胃が悪いのか?)
どちらにせよ、公害レベルだ。
今、巨人の口元には、赤黒いモヤのようなもの(※極大ブレスの予兆)が溜まっている。
あれはきっと、口臭が可視化されたガスだ。
「やめろ! こっちに吐くな!」
俺は焦った。
あんなガスを家の方に吐かれたら、洗濯物に臭いがつく。
壁紙に染み付いたら、ファブリーズ(聖水)をいくら撒いても取れないかもしれない。
「換気だ、換気!」
俺は、右手に持っていたスリッパを一度ポケットにねじ込んだ。
空気を入れ替えるには、面積の広いアレのほうがいい。
そう、さっき使っていた『ハエ叩き』だ。
「あっち行けッ!!」
俺は、迫りくる黒いガス(ブレス)に向かって、ハエ叩きを横に一閃した。
イメージは、煙たい焼肉屋の煙を換気扇に送るように。
手首のスナップを最大限に利かせて。
ブンッ!!
ただの素振り。
だが、俺の「臭いのは嫌だ」という強い意志と、レベル9999の腕力が乗ったその一振りは、大気そのものを断裂させた。
◇ ◇ ◇
——その瞬間。
世界は、信じられない光景を目撃した。
ズガァァァァァァァァッ!!!!
王の口から放たれた極太の死の光線。
それが、湊の目の前で「壁」にぶつかったようにひしゃげた。
パァァァァァァンッ!!!!
乾いた音が響く。
ハエ叩きの網目から生じた暴風が、ブレスを真っ向から押し返したのだ。
『!?』
王の思考が停止する。
自分の最強の一撃が、逆流してくる?
プラスチックの風圧に負けて?
ジュゴォォォォォォッ!!
ブレスは行き場を失い、そのまま王の口の中へと押し戻された。
そして、ハエ叩きから放たれた衝撃波が、追撃として王の顔面を直撃する。
ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!!
S区の夜空に、巨大な花火が上がった。
自分のブレスと湊の一撃を同時に食らった王の頭部が、内側から破裂し、消し飛んだのだ。
『ガアアアアアアアアッ!?(痛イッ! 痛イィィィッ!)』
断末魔の悲鳴。
500メートルの巨体が、スローモーションのように後ろへ倒れていく。
ズシィィィィン……!!
地響きと共に、王が倒れ伏す。
S区を覆っていた暗雲が、衝撃波で真ん丸に穴を開け、そこから美しい満月が顔を覗かせた。
「…………」
静寂。
レイナは、ポカンと口を開けていた。
ジャックは、サングラスを落とした。
剛田は、合掌していた。
神殺し。
その偉業が、たった一本のハエ叩きによって成し遂げられた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
——湊の視点。
「ふぅ……。危なかった」
俺はハエ叩きを振り、煤を払った。
やっぱり、安物だけど使い勝手がいいな、これ。
臭いも消えたし、風通しも良くなった。
俺は、倒れた巨人を見下ろした。
頭がなくなっているが、黒い霧が集まって、また再生しようとしているのが見える。
しぶといな。
まだ懲りていないのか。
「……おい」
俺は、再生しかけた巨人の顔に向かって、冷たく言い放った。
「口臭ケアくらいしてから出直してこい」
「それと、まだ請求の話は終わってないぞ」
俺はポケットから、先ほど仕舞った『スリッパ』を取り出した。
ハエ叩き(扇ぐ用)の出番は終わりだ。
次は、直接的な「物理教育」の時間だ。
「寝てんじゃねぇよ。起きて払え」
俺はスリッパを手に、巨人の胸元へと飛び降りた。
スタッ。
世界最強の取り立て屋が、無慈悲な追い討ちを開始する。
ガラス代とアイス代。
そのツケは、神の命で支払ってもらう。




