第84話:聖域の崩壊 〜ガラス片入りチョコミントの悲劇〜
パリーンッ!!!!
鋭い破砕音が、S区の轟音を切り裂いた。
それは、ただの窓ガラスが割れる音ではない。
人類最後の希望、絶対不可侵の聖域であった「相葉邸」の結界が、物理的に突破された音だった。
「あ……ぁ……」
庭に倒れ伏していた銀条レイナは、絶望に瞳を揺らした。
見上げていた二階の窓。
そこが粉々に砕け散り、部屋の中の明かり(懐中電灯)が、暴風に揺れているのが見えた。
「結界が……破られた……?」
あの家は、核攻撃にも耐えるはずの要塞だ。
それが、終焉の王の一撃——いや、ただの「指先」が触れただけで、脆くも崩れ去ったのだ。
『……オオ……』
『……ミツケタ……我ガ……座……』
王が、喜悦の声を漏らす。
巨大な黒い指が、割れた窓枠にめり込み、さらに奥へと侵入しようとする。
家全体がミシミシと悲鳴を上げ、傾いていく。
「やめろぉぉぉぉッ!!」
剛田猛が、血を吐きながら叫ぶ。
だが、今の彼らに動く力は残されていない。
ジャックも瓦礫の下で意識を失っている。
終わった。
誰もがそう思った。
あの家が押し潰され、中の「神」ごと飲み込まれれば、この世界は深淵に沈む。
——だが。
その時、奇妙なことが起きた。
家の中に侵入しようとしていた王の指が、ピタリと止まったのだ。
『……?』
王が困惑したように唸る。
何かがある。
割れた窓の奥、暗闇の中に。
王の巨体ですら本能的に忌避するような、とてつもなく濃密で、冷たい「殺気」の塊が。
◇ ◇ ◇
——家の中、二階自室。
ヒューッ、ヒューッ……。
割れた窓から、生温かい強風と雨が吹き込んでくる。
カーテンが狂ったように踊り、部屋の中をめちゃくちゃにしていく。
俺、相葉湊は、テーブルの前で立ち尽くしていた。
視線の先にあるのは、愛用のマグカップに入った、溶けたチョコミントアイス。
その表面に。
キラキラと輝く、鋭利な破片が混入していた。
「…………」
俺は、震える手でスプーンを伸ばし、破片をすくい上げた。
ガラスだ。
窓ガラスの破片だ。
「……食えねぇじゃん」
俺は、掠れた声で呟いた。
溶けただけなら、まだ許せた。
液体スープとして飲むという、敗北者の選択肢があったからだ。
だが、ガラス片が入ってしまっては、もうどうしようもない。
食べれば口の中が血だらけになる。
——廃棄。
このアイスは、ゴミ箱行きだ。
ブチッ。
俺の中で、何かが焼き切れる音がした。
セーブデータ消失の怒り。
停電の怒り。
そして、最後の楽しみを奪われた絶望。
それらが混ざり合い、化学反応を起こし、臨界点を突破した。
「……おい」
俺は顔を上げた。
目の前の窓枠には、巨大な黒い指が食い込んでいる。
泥だらけで、臭くて、不快な指。
こいつだ。
こいつが割ったんだ。
「人の家の窓、割ってんじゃねぇよ……」
俺は、部屋の隅に立て掛けてあった『100均のハエ叩き(ピンク色)』を手に取った。
布団叩きはベランダに置いてきてしまった。
手元にある武器はこれだけだ。
だが、十分だ。
害虫を駆除するのに、大砲はいらない。
俺はサンダルを履き直し、ガラス片を踏み砕きながら、窓際へと歩み寄った。
ガララッ!!
残っていたガラスの破片を蹴り飛ばし、俺はベランダ——いや、半壊した壁の縁に立った。
目の前には、空を覆い尽くすほどの巨大な顔がある。
こいつが犯人か。
工事現場の重機か何かだと思っていたが、どうやら違うらしい。
この悪意。この破壊。
間違いなく——「悪質な不法投棄業者」だ。
「……弁償、してもらうぞ」
俺はハエ叩きを、巨人の鼻先(と思われる場所)に突きつけた。
◇ ◇ ◇
——外の世界。
土煙が晴れていく。
レイナは、信じられないものを見た。
半壊した二階の窓辺。
そこに、一人の男が立っていた。
灰色のジャージ。
手には、頼りないプラスチックの棒。
だが、その背中から立ち昇るオーラは、終焉の王の瘴気すらも押し返していた。
鬼神。
いや、修羅。
「し、師匠……!?」
生きていた。
無事だった。
だが、様子がおかしい。
いつもの「脱力感」がない。
今の彼からは、触れれば切れるような、張り詰めた殺気が放たれている。
『……貴様……』
王が、初めて「言葉」を発した。
虫ケラだと思っていた人間から放たれる、底知れないプレッシャーに、本能的な恐怖を覚えたのだ。
『……何者ダ……』
その問いに対し、湊は低く、地を這うような声で答えた。
「……この家の、住人だ」
湊が一歩、宙に踏み出した。
重力を無視して、空中に立つ。
(※実際には、超高速で貧乏揺すりをして空気を固めているだけだが、外からは浮遊スキルに見える)
「ガラス代、サッシの修理代、そしてアイス代……」
湊が、ハエ叩きを振りかぶる。
「きっちり請求させてもらうからな!! 耳揃えて払えやァァァッ!!」
——最強の大家さんが、ブチ切れた。
世界を救うための戦いではない。
損害賠償を請求するための、仁義なき取り立てが今、始まる。




