第8話:『その頃、本人は』
「う〜ん、快適! Ping値3ms! 神回線!」
S区の離れ。
世界中が「ジャージの悪魔」の話題で持ちきりになっている頃、俺——相葉湊は、PCの前でご満悦だった。
ルーターを再起動したおかげか、ネットの調子がすこぶる良い。
さっきまでラグで負け越していたランクマッチも、回線が直った途端に連戦連勝だ。
やっぱり、引きこもりにとってネット回線は命綱だな。
「さて、ちょっと休憩するか」
俺は一息ついて、SNSを開いた。
世の中の動向をチェックするのも、自宅警備員の務めだ。
画面の右端にある「トレンド」欄を見る。
1位:#ジャージの悪魔
2位:#謎のデコピン
3位:#S区の魔王
4位:#レイナちゃん無事
5位:#物理演算バグ
「……ん?」
俺は首を傾げた。
なんだこれ? 新しいアニメのタイトルか?
『ジャージの悪魔』って、最近流行りの「なろう系」ラノベっぽいな。
庶民的な悪魔がコンビニでバイトでもする話だろうか。ちょっと面白そうだ。
『S区の魔王』というワードも気になる。
俺の住んでる地域だ。
クリックして詳細を見てみる。
——『S区の廃墟ヤバすぎ。あんな魔境に住んでる奴とか人間じゃねぇ』
——『魔王が降臨したらしいぞ。近づいたら消される』
——『S区は日本地図から消すべき』
「うわぁ……」
俺はドン引きした。
ネットの評判、最悪じゃん。
まあ確かに、ここは過疎化が進んでるし、廃墟も多いけどさ。
「魔境」とか「消すべき」とか、住んでる身としては傷つくなぁ。
でも、思い当たる節はある。
「さっきのデカい野良犬とか、変なコスプレイヤーの人とか……」
最近、この辺りも治安が悪くなってきたのかもしれない。
野良犬が徘徊してたり、不法侵入者がうろついてたり。
さっきの人、庭で寝転がってたしな。酔っ払いかもしれない。
「……物騒だなぁ。戸締まり、ちゃんとしとこ」
俺はヘッドホンを外し、立ち上がった。
防犯意識は大事だ。
ここは一軒家だし、セコムも入ってない(と思っている)。自分の身は自分で守らなきゃ。
俺はペタペタとサンダルを鳴らして玄関へ向かった。
重厚な鉄の扉。
内側には、昔ながらの回転式の鍵がついている。
俺はノブを掴み、サムターンを回した。
カチャリ。
金属と金属が噛み合う、重たい音が響く。
よし、施錠完了。
——その瞬間だった。
ズゥゥゥン…………。
家の床下から、腹に響くような低い振動が伝わってきた。
同時に、家全体の空気が「ピリッ」と張り詰めたような気がした。
「ん? なんだ今の音」
俺はキョロキョロと見回す。
地震か?
それとも、冷蔵庫のモーター音か?
「ま、古い家だしな。ガタが来てるのかも」
俺は気にせず、あくびをしながら部屋に戻っていった。
◇ ◇ ◇
——相葉湊は、気づいていなかった。
彼が何気なく回したその「鍵」が、この家における**『最高警戒レベル(コード・レッド)』**への移行スイッチだったことに。
湊の家の上空。
目に見えない魔力の波紋が、ドーム状に展開されていた。
【システム起動:絶対防衛結界】
【物理耐性:MAX】
【魔法耐性:MAX】
【認識阻害:ON】
【迎撃モード:殲滅】
鍵をかけた瞬間、家全体が「要塞」へと変貌したのだ。
庭の雑草たちは根を張り巡らせて侵入者を待ち構え、空気中の魔素濃度は致死レベルまで上昇した。
もし今、Sランクの魔物がこの結界に触れれば、細胞の一つも残さず消滅するだろう。
核ミサイルが直撃しても、この家の窓ガラス一枚割ることはできない。
それは、世界中の軍隊が束になっても突破できない、神域の断絶壁。
S区の周囲を監視していた探索者協会の魔力レーダーが、一斉に警報音を鳴らしたことなど、知る由もない。
「ふぁ〜……眠くなってきた」
要塞の主である湊は、そんなこととは露知らず。
コーラの空き缶をゴミ箱に投げ入れると、再びPCの前に座った。
「さて、ランクも戻したし、今日はこの辺にして寝るか」
湊は、世界で最も安全で、最も危険な部屋の電気を消した。
外の世界が、「S区で謎の魔力爆発を観測!」「魔王が城門を閉ざしたぞ!」と新たなパニックに陥っている間、彼は布団に潜り込み、スヤスヤと平和な寝息を立て始めたのだった。




